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禅友に贈る書

「禅友に贈る書」という本を読んだのですが、よく分かりません。 曹洞宗を批判しているようですが、彼の意見が正しければ今の曹洞宗はおかしいのでしょうか?。 そもそも彼の悟りは本物なのでしょうか?。 禅に詳しい方、是非教えて下さい。

みんなの回答

回答No.3

曹洞宗は何もおかしくはないし、おかしいのは、その批判している人間個人だから。そんなことは気にしないで、あなたも禅をなさるが良いです。だいたい批判する人間という者は、たいがい自分が出来ていない人間が多いです。 わたしは身の程を知っているので、大それたことは言いませんがね。

noname#80673
noname#80673
回答No.2

お釈迦様も道元禅師も悟られた方です。だから中途辺でありながら「悟った」と思っている人のことがよく分かるのです。そういう人を祖師方は「外道」と呼んでいますね。また、勝他の念が無いということは他と争わないことです。自己があるからそれを立てて他を否定したくなるのです。法は善悪を超えていますが、その場その場で良し悪しを決めなければならないことがありますよね。悟られた方はそれを踏まえたうえで良し悪しを分別しますが、自己を絶対として他を否定しません。悪い事は悪いと言いますが、後を残しません。だから災いにならないのです。公の媒体を利用し特定の人を批判したり論争を楽しむようなことは後を残し災いの元となるのは明白ですよね。達磨大師はインドから中国に渡りましたが、この国では法は伝わらぬと諦めて山に篭り面壁9年したと伝えられています。それ独善では無くどうにもならない事があることを知っていたからです。それでも腕を切り落としてまで達磨大師に教えを乞い弟子になった慧可大師のような方が法を継承していくのでしょう。後は坐禅のみ。坐ることです。命がけで坐ることです。つまらない文にお付き合い頂きありがとうございました。これで失礼致します。合掌 九拝

noname#80673
noname#80673
回答No.1

曹洞宗がおかしいのは正解です。 悟りが本物なのか?についてはお会いしたことがないのでわかりませんが、決着のついた人は公然と他を否定して争ったり、論争をしかけるようなことはいたしません。勝他の念が依然として残っているからそうなるのです。又、自分で「決着がついた」「悟った」と言う人やその時の経験話をする人はまだまだです。「うたた悟ればうたた捨てよ」が分かっていないのです。法句経に「他の過ちを見るなかれ 他の作さざるを責むるなかれ おのが、何を、いかに作せしかを 自らに問うべし」とありますね。学人が迷うことの無い事を祈り慈悲の心から回答させていただきました。 

naka0618
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >曹洞宗がおかしいのは正解です。 なるほど、、、やっぱりそうなのですね。 道元禅師が泣いているのが目に浮かびそう。 >勝他の念が依然として残っているからそうなるのです。 又、自分で「決着がついた」「悟った」と言う人やその時の経験話をする人は まだまだです。「うたた悟ればうたた捨てよ」が分かっていないのです。< お釈迦様も道元禅師も“外道”と批判(指摘?)をしていたような記憶があります。それが史実とするとお釈迦様も道元禅師も悟っていないことになりますか?。 逆に勝他の念のない悟った人は、例えば俗世間の葛藤を逃れ山奥に隠遁した仙人のような人のことでしょうか?。昔からそのような禅者がいたような記憶もあります。でもそれは独善の域を出ないのでは、とも思えるのですが、、。宜しければ、ご指導下さい。

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