• 締切済み

論理の鍛え方

qsxdrfvgyhの回答

回答No.3

数学の証明問題をひたすら解くことでしょうね。 前提があって、定理を使用したり、積み重ねていく。 そのような訓練がいいと思います。 三平方の定理の証明もいくつか種類があるはずです。 それぞれの方法に納得した時には、なるほどと感心した経験を思い出しました。

関連するQ&A

  • 論理学と倫理学について

    哲学科で論理学と倫理学どちらを学んだほうがより論理能力をつけることができるでしょうか? 確かに論理学と倫理学どちらも論理能力は身につきはするでしょうがここで問題にしているのは、「どちらがより論理能力をつけることができるか?」です。 大学ではどちらも大差ない、優劣なんて決められないなどは回答になりません そこを了解してもらえるようお願いいたします。 ・ここでは論理学側と倫理学側の主張から、その中での疑問についてお答えしてもらうようお願いいたします 1、論理学で「論理的に正しく考えるにはどうしたらいいか」、ということを研究したほうが複雑な論理方法や論理のルールを身につけられて結果倫理学をやるよりもより論理的に考え、整理し、相手に伝える力が身につく 2、論理学はやらないが倫理学で実践的に論理を使い、実践的に論理能力を養っていくほうが論理的に考え、整理し、相手に伝える力が身につく 1、についての疑問は ・「論理的に正しく考えるにはどうしたらいいか」を研究し、複雑な論理方法や論理のルールを身につけたからと言って論理的に思考する能力がつくとはいえるのだろうか? 論理学の成果を利用して、多様な主題について検討し研究し、議論していったほうが論理能力は身につくのではないだろうか? 2、についての疑問は ・「論理的に正しく考えるにはどうしたらいいか」を研究し、複雑な論理方法や論理のルールを身につけていったほうが論理について詳しくなる=論理に強くなるのではないだろうか? 論理学の成果を利用しているだけでは論理能力はつかないのではないだろうか? 回答のほうよろしくお願いします

  • 論理学と倫理学について

    さきらから同じような質問をしてすいません どうして私がさっきから倫理学と論理学についてしつこく質問しているのかというと 私は元々この相対主義化、ニヒシズム化してしまった現代を疑問に思いつつも、虚無化してしまっている自分を憎くも感じていました。 私には自身が生きていくために不可欠な羅針盤がありません。 というか作ろうとも思ったことはありませんでした。  いままでそれにまったく、疑問にも思わず日々を送ってきました。 そして私には今問わなければならない課題が山のようにあります ・常識とは何なのか? ・何のために働き、何のためにお金を稼ぐのか? ・私は何を基準に善と悪をより分けているのだろうか? ・自分の意思を問うこともなしに周りに同調し、誰が作ったのかもわからないルールや法律の信託のままに生きる私に価値はあるのだろうか? ・自由や幸福、正義とはなんだろうか? そして私はこれらを追求することができる学部が大学にあると知り、その倫理学という学部にいくことを決めていました。 しかし大学のシラバスをよく見てみると生命や環境や社会などあまり私の疑問に思っていることを深く追求しているような大学はありませんでした。 それによくよく考えてみたらこの問いは自分で考えることができるし、大学の講義を聴いてそれで納得してしまうのであればそれはもはや虚無化してしまっているではないか、と疑問も出てきました。 そう、私が大学にいけばこの問いの答えが見つけられると考えていた時点で根本から間違っていたのです。 大学の講義で知識を手にれても答えは出ません。 自分にあった講義があるかないかではないのです。 講義を聴くのが目的ではなくそれを論理的に自分で思考するのが目的なのです。 自分で考えてこそ答えは導き出せるのです。 ですから私は倫理学にいくのではなく哲学に言って論理学を学ぶべきだと考え、 そのことについて質問したのが論理学と倫理学についてでした。 そこでここまで踏まえてもらった上でもう一度答えていただきたく質問させていただきました 大学で論理学と倫理学どちらを学ぶべきでしょうか? 質問していいものかとも思いましたが専門家の意見が聞きたく結局質問させていただきました 迷惑かけますが回答のほうよろしくお願いします

  • 大学哲学科の論理学と倫理学について

    哲学科で論理学と倫理学どちらを学んだほうがより論理能力をつけることができるでしょうか? ここで注意してもらいたいのが 確かに論理学と倫理学どちらも論理能力は身につきはするでしょうがここで問題にしているのは、「どちらがより論理能力をつけることができるか?」です。 大学ではどちらも大差ない、優劣なんて決められないなどは回答になりません そこを了解してもらえるようお願いいたします。 ・ここでは論理学側と倫理学側の主張から、その中での疑問についてお答えしてもらうようお願いいたします 1、論理学で「論理的に正しく考えるにはどうしたらいいか」、ということを研究したほうが複雑な論理方法や論理のルールを身につけられて結果倫理学をやるよりもより論理的に考え、整理し、相手に伝える力が身につく 2、論理学はやらないが倫理学で実践的に論理を使い、実践的に論理能力を養っていくほうが論理的に考え、整理し、相手に伝える力が身につく 1、についての疑問は ・「論理的に正しく考えるにはどうしたらいいか」を研究し、複雑な論理方法や論理のルールを身につけたからと言って論理的に思考する能力がつくとはいえるのだろうか? 論理学の成果を利用して、多様な主題について検討し研究し、議論していったほうが論理能力は身につくのではないだろうか? 2、についての疑問は ・「論理的に正しく考えるにはどうしたらいいか」を研究し、複雑な論理方法や論理のルールを身につけていったほうが論理について詳しくなる=論理に強くなるのではないだろうか? 論理学の成果を利用しているだけでは論理能力はつかないのではないだろうか? 回答のほうよろしくお願いします

  • この文章の論理性について。

    唐突ですが、なにかを実行して それに対しての批判があるとします。 その批判(意見)に対して、「そんなに、批判するなら最初からやらなければいい」とか 「そんなに、嫌ならやるな」、また 何か失敗をして謝ると「謝るくらいなら最初からするな」。 これは、原理的に不可能じゃないかなと思います。 ある主張に対して、その主張自体に反論するのではなく 相手の姿勢や気持ちに対する見解だと思うのですが、この文章の論理性についてご教授願います。

  • 2種類の論理主義者

    どうも世の中には2種類の論理主義者がいるようです。 (A)偽りの論理主義者と(B)真の論理主義者。 Aは最初から自分の主張が決まっていて、論理を自分に都合よく利用する人。 表面上は『徹底的な議論と話し合いで民主的・平和的に解決しましょう』と 言っておきながら、本当は最初から自分の主張を変える気がない人。 Bは本当に論理を重視する人。自分の主張はあるものの、相手が納得でき る反論をしてくれれば自分の非を認めて相手の主張に同意する意思のある人。 Aは普通の人と議論をするとたいてい勝つ。勝ったときは 『見ろ、自分の主張は論理的にも正しいんだ』と勝ち誇る。 ところがAはBと議論するとたいてい負ける。そのときAはBに決まってこう言う。 「屁理屈だ」「揚げ足をとるな」と。そう非難してBを悪者扱いし、 自分の非を認めようとしない。そんなBこそ悪なのだとAは言う。 この現状をどう思われますか? 非常にアバウトな質問なのでアンケートカテに投稿させていただきました。 私自身はBのタイプなのでAのタイプが許せません。

  • 論理的であることの重要さ

    最近ある先生から「あなたは論理的に物事を考える」と言われました。 自分ではずっと違うと思っていて、「論理的」という言葉もいまいちよくわかっていないのが正直なところです。 こちらでもたびたび議論されているようで、いろいろ読んでみて、参考になりました。 それで自分でもいくつか皆さんにお伺いしたいと思います。 ******************************* (1)論理的であることの重要さ ・意味 (2)論理的であることの欠点・不毛さ ********************************** 私が思うのは、 (1)・物事の原因と結果を結び付けて、気まぐれや嘘でないことを証明する。   ・段階を踏んで予測することでよりよい社会が築ける。  ・相手に自分の考えをわかりやすく説明し理解を促すことができる。 (2)・論理的になろうと思うあまり、自分が思ってないことも使ってしまう。   →本当は正しくない。  ・中庸な意見が出しにくい  ・論理をまくしたてて、自分を正当化したり相手を威圧するのに使われやすい  ・論理的でないものはすべて本当でないと決めつけてしまう  <論理的になろうと思うあまり、自分が思ってないことも使ってしまう。   →本当は正しくない>  経験豊富な人は「無理にこじつけている」とわかるものなのでしょうか? 一方で、論理と同様に勘も大事にしないといけないと思います。 「勘」を「論理的」に説明できるようになるまでには知識や熟考が必要で、 その間に問題が深刻化して、手遅れになることも多い。 個人的にはもっと勘や感情を重視してほしい、幼稚でも感情的でも、 自分の思うことをストレートにぶつけあわないと、深層心理も垣間見えてこないのではないか、むしろそのほうが意味あるのではないかと思う。 「自分が思うこと」=「真実」で、数の論理ではない。 でも、それをいかにして多数の人に認めてわかってもらうかには、 論理的に端的に説明するスキルも必要なんだと最近思うようになりました。 誰もがそれができる能力や状況ではないという前提で、論理的になる努力をしないといけないと考えるようになりました。 論理的というのは、最終的に 「相手に自分の考えをわかってもらう」 「相手の話に耳を傾ける/それに対しまた自分の考えを述べる」 正式なコミュニケーションのことなのかと思います。 でもやはり、なんとなくだけどそう思う、なんとなくうさんくさい、好き嫌い という動物的な直観は、とても大切だと思います。 すべてが言葉で言い表せたり形に残るものではないから。 本能を忘れ去るのは、もったいないと思う。 欧米の人のほうが、「論理的」だけど「動物的」だという印象を受けます。 どう役立てていけばよいか、どう注意したらよいか、あまり論理的かどうかを深く考えなくてもよいのか、 皆さんのお考えや経験をふまえて教えていただけるとうれしいです。

  • 「科学的視点」からの「論理の展開」って?

    私は文系の大学生で、一般教養の授業で「現代科学論」なるものを興味本位でとってしまいました。その授業のレポート課題で、『講義のテーマ(私の場合は地球温暖化を選ぼうかと思っています。)に即した本を2冊読み、見解・意見を述べよ。「科学的視点」からの「論理の展開」を期待する。』というのがでましたが「科学的視点」からの「論理の展開」??ハッキリ言ってワケ分かりません「科学的視点」が特に。文章を書くのは得意ですが己の視点が定まっていない以上どうしようもないです。「科学的視点」と端的にどういうものなのでしょうか?長々と申し訳ありません、是非教えて下さい。

  • 論理力の身に付け方について。

    皆様こんにちは。またお世話になります。私は25歳になるものですが、この年になっても論理的な考え方が身につかず、その結果論理的な言い方が出来ない、論理的な文章が書くことが出来ずに困っております。集団討論する時などもすんなり入っていけません。 他人と話していて、相手がスラスラと論理的な言い方をすると凄く羨ましく思います。このようなサイトで他人の論理的な文章を拝見しますと、思考力がある方だなと思ってしまいます。 自分としましては月に二冊の新書を読んだり、新聞を読んだり、漢字の練習をしたりしているのですが、全く身になってないように思います。何か読むコツがあるのでしょうか。このままでは思考力がない人間で終わってしまいそうです。そこで皆様にお伺いしたいのですが、論理的な考え方を身に付ける方法、若しくは思考力を養う方法などがありましたら教えて頂きたいのですが。どうぞよろしくお願い致します。

  • 論理数理学(命題論理・述語論理)のテキストやHPを探しています!

    こんにちは。 私は経済学部の大学四年生です。 就職活動が長引き、前期末試験はほとんど無出席で挑む今日この頃ですが、どの先生も情状酌量の余地がなく(涙)、必死こいてテストで点数をとるしかないようなので、特に難しいこの科目は、ネットで助けを仰ぐことにしました。 探しているのは、以下のものをカバーしている練習問題つきのテキストです。 先生が自分でかき集めた講義内容なので、内容が飛び飛びです。 具体的には、最後に載せる問題が解ければ(証明できれば)、試験の問題はないそうです。 (論理的思考法) 論理とは何か 命題論理の言語 連言の推論規則 含意の推論規則 選言の推論規則 否定の推論規則 述語論理の言語 全称の推論規則 存在の推論規則 証明の練習 で、問題は「次のようなNK証明図を書きなさい」 ∃x(Fx∧Gx)├∃yGy などです。割り算のようなものが3~5段ほど縦に並んだ数式になります。 ネットで色々探しましたが、飛び飛びのものや深すぎるものが多く、これに必要なものだけを効率よく集めたものになかなか出会えません。 その上、分野があいまいで、図書館でもなかなかそれらしい本と出合うことが出来ません。 よろしければ、アドバイスをいただきたく存じます。 よろしくお願いいたします。

  • 他人の論理の不備を指摘して自分の意見を言わない人

    他人の論理の不備を指摘ばかりして自分の意見を言わない人を評するのにぴったりの熟語は何でしょうか?教えて下さい。