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「西郷南洲 勝海舟 会見の地」記念碑の疑問
薩摩藩上屋敷があった、いまの東京・三田に記念碑があります。 この絵で勝海舟は、刀を左側に置いています。 武士が対面するときは、敵意がないことを示すために、刀は右側に置くと聞いたように思いますが、そうではないのでしょうか。 「記念碑」 http://lonpari.blog.shinobi.jp/Entry/186/ 同じ絵と思います。 http://www.z-flag.jp/blog/archives/2008/03/post_587.html
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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詳しく解説してくださってありがとうございます。 ご回答から重要なヒントを得ました。 鉄舟が西郷を駿府に尋ねた場合はどうなのか、調べました。 この場合は、鉄舟は西郷にお願いに参上している立場なので、刀を右側に置いています。 http://yasuike.pr-blog.jp/Entry/32/ さらに調べますと、岩手県の「シニアネット」というサイトで「西郷と勝の会見」の絵を見つけました。 この絵では、勝は刀を左背後に、西郷は左手元に置いています。 http://isnhp.web.infoseek.co.jp/bunkasalon/42kai.htm また、鹿児島県のHPでは、西郷南洲顕彰館にある「会見の模型」を紹介しています。 ここでは、刀を左手元に置いています。 http://www.pref.kagoshima.jp/pr/gaiyou/rekishi/bakumatu/boshin.html 刀をどこに置いたのか事実を知りませんが、武士の作法を守るか、自分の決意を相手に知らしめるために作法を逆に取るか、勝の心理を理解する上で、ご回答は大変役立ちました。