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戦前の一般人が抱いていた天皇イメージ
明治維新の時に天皇が神格化されて1945年に敗戦するまでは 天皇はずっと神聖不可侵の神と見なされてきたという事がよく言われます。 しかし明治以前、例えば「太平記」などを読むと、天皇は非常に人間くさいイメージがあります。 後醍醐天皇が勝手に足利尊氏と和睦しようとして新田義貞からたしなめられて反省したりとか。 高貴な立場ではあるのですが、必ずしも立派な人間ではなく、神聖不可侵とは違う感じがします。 喩えとして適切か分かりませんが、「狐」という動物を「お稲荷様」という神様として尊ぶ反面、 そうは言っても動物は動物だよね、という感覚も持っているのに近いのかな、と思ったりします。 で、明治以前の一般人が持っていた天皇イメージは、大体そういう感じだったんじゃないか?と想像しています。 だとすると、明治政府がいきなり「天皇は神聖不可侵の神だ」と宣言しても、 一般人の天皇イメージがいきなり変わるとも思えないので、 「政府がそう言ってるからそういう事にしとくか」ぐらいの感じだったのでは・・と思ったりします。 天皇=神聖不可侵の神というイメージは、一般人にどれぐらい浸透してたんでしょうか? 明治維新の頃はあまり浸透してなかったけれども、時間が経つにつれて浸透して行ったんでしょうか?
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