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戦前の一般人が抱いていた天皇イメージ

pasocomの回答

  • pasocom
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回答No.1

当時生きてたわけじゃないので想像ですが・・・(^^)。 明治憲法(大日本帝国憲法)が公布されたのは明治22年ですから、維新からだいぶ経っていたわけです。 明治維新から政府は当然天皇絶対主義を奉じて来たのですが、20年を経てその思想が「天皇は神聖にして侵すべからず」に明文化されたのでしょう。 江戸時代は庶民は徳川様の幕府のことは知っていても「天皇」などというのは存在さえも知らなかったのではないでしょうか。 それが明治維新から明治憲法の制定によって一気に「絶対君主」として祭り上げられていったのだと思います。

yamyamyam
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほど、明文化して示さなければ一般人には伝わらないですよね。 参考になります。

yamyamyam
質問者

補足

一般人が天皇のことを知らないとなると、幕末の尊皇攘夷運動って、 実は武士階級が盛り上がってただけで、一般人はそんな興味なかったんでしょうか? 大河ドラマの篤姫で「公武合体すれば幕府の権威を取り戻せる」と井伊直弼が言ってましたが、 一般人が天皇のことを知らないとなると、公武合体しても大した権威付けに ならないような気もするのですが・・どうなんでしょうか? (最初の質問と中身がズレてしまいますが)

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