• ベストアンサー

目的の推移

スポーツのインタビューなどで偶に『応援してくださった皆様のために~』とか『皆さんの応援のおかげで~』などという言葉を耳にすることがありますが、その時その人は何を考えているのでしょうか? 自分としては、何かしらのスポーツを始めるにあたって、やり始める理由は何にせよ「自分がやりたいから」というのが気持の大半を占めていて応援してほしいからという理由はほとんど無いと思ってるので、 だから応援があろうがそうでなかろうが自分が好きで始めたなら全力でプレイするものであって周りに左右されるものではないと思ってるので、 文頭のようなスポーツ選手インタビューなどがどうにも軽薄で中身のない胡散臭いものに聞こえてしまいます。 だから、そういった言葉を聞くたびに、「おまえは、応援がなきゃ何もできないのか?」と内心思ってしまいます。 プレイヤーのプレイする目的が、自分→他人のため、と推移してしまってるように感じるが, もし、そうであるとしたら、そんな言葉をしゃべっているプレイヤーの心理とはどんなものなのでしょうか?どの辺からそうなってしまうのでしょうか? 当事者の方々に中々には失礼なことを聞いてるとは思いますが、気になってるので宜しければご回答お願いします

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • noname002
  • ベストアンサー率36% (97/264)
回答No.5

(BGM:「タブー」でお願いします♪) あぁ。。。アタシ見られているのね。。。視線が熱いわ。。。 ああ~んステキよ、お客さ~~ん!! (さるマンガのセリフからパクってます) …すみませんNo.4さまの御投稿内容に反応してしまいました。 他の御投稿者さまたちも仰っておられるようですが、プロ・スポーツ界って、お金かかるみたいですね。スポーツ用品の企業をスポンサーとして提携してたりとかも多いようです。 スポーツ界だけじゃなくて音楽の世界なんかもそうらしいです。 そもそも女の子にモテたくて始めた、ってのはロック・ミュージシャンでも、よくそう言ってる人見かけますが、フシギなのはミュージシャンで「皆さんの応援のお陰で…」などと挨拶するのがスポーツ選手ほどには、あまり見かけないような気がすることです。 一人でプレイするのかチームを組んでやるのかで多少の気質の違いみたいなものがあるのかどうか知りませんが一般的に体育会系というのは上下関係が大変厳しいとか聞いてます。ということは相手の要望や希望に応えなくては…という義務感的な意識も強くなるのじゃないかと思われます。 またゲームの勝敗に拘る世界でもありますよね。それらのことから、ヒエラルキー的人間関係ですとか勝敗によって思い知らされるプレイヤーとしての、またはチームのなかの自分の位置とか役割ですとか、そういったことに敏感にならざるを得ないものがあるかな、と思います。(だから企業ではスポーツ経験者を優先的に採用したりするというのでしょうか。) いずれも私個人にとっては、うっとうしいばかりと感じることなのですが、ましてスポンサーがつくというようなことになりますと尚更、結果を出さなきゃならない。そしてプロ・スポーツの世界というのは結果を出せば巨額の報酬がついてまわりますよね。負けちゃったら余計にズシーンと来るでしょうが、勝者となれば報酬と名誉、賞賛の嵐で歓喜も倍増、いきおい「皆さんの応援あったればこそ…」と殊勝な感謝の言葉も湧き出てくるというものではないでしょうか? その点、あくまで個人的楽しみで細々やってるようなことでしたら誰にも頼らないし恩も義理もありませんので不特定多数に向かって謝意を述べる必要もありません。 イチローなんて、もう単なる野球選手の域を超えてる感じがします。スタイル持ってる俳優みたいなカッコよさじゃないですか。そのカッコよさを楽しむファンのためにカッコよい自分でい続けられることに、それこそ「エクスタシー」を感じているかも。「男の色気」プンプンさせてるし(笑) でも、それだけに「墜ちた英雄」になったときのダメージとバッシングも大きくなるのでしょう。いずれやってくるかもしれない、その日のためにも、ふだんから、まわりに対してリップサービスも必要でしょう。 プロは負けたら、ほうぼう謝らなきゃならないし、勝ったら申し訳が立ったのみならず「妙技の報酬」ってやつも莫大ですからホクホクしながら謝意を表する余裕のあるとこ見せられるんでしょう。(笑) 人間関係が重視される世界では何かと「縛り」めいたものがキツくなるようですし、その分、義務と報酬にも敏感になる、ひいては一種、芸能人みたいなサービス精神が旺盛になってくるのかもしれません。(実際、芸能界入りする人、けっこういますね) プロの場合は業界との関わりも、動くお金も非常に大きくなりますから、負けても勝っても、いずれにせよ大変気を遣わざるを得ないのでしょう。 それに、これは日本特有のことなのかは分かりませんが、武道で言う「心技体」ほどではないにせよスポーツ界には、まだまだ精神性重視の面が多少は残っているのかもしれません。 そう言えば、今オリンピックやってますね。 昔の日本のオリンピック選手って、日の丸背負ったごとくに「お国のために勝たねば!」とか、負けたら「国民の皆さんに申し訳ない」とか言ってたそうです。 それが、いつ頃からかは分かりませんが、「国はカンケーない。自分がやりたくてやってるだけ!」ってハッキリ言う選手たちが出てくるようになりました。 それでも、プロ入りした選手ですと、「カンケーないね」とは言い辛いだけの人間関係があるんだろうと思います。それとプロの世界は、どこでもそうだと思いますが自分個人の楽しみ以上に職業なのですし、やはり、お客さんあっての世界だからじゃないでしょうか。                                

am-etc
質問者

お礼

お返事ありがとうございます 遅れてしまってすみません。参考になりました。ありがとうございます。

その他の回答 (4)

回答No.4

>「おまえは、応援がなきゃ何もできないのか?」  その通りです。あなたの熱い視線がなければやる意味なんてほとんどありません。町内対抗草野球大会をやっているのではありません。  イチロー選手のバッターボックスに何があると思われます?  誰も見ていないランニングホームランに何の意味があるのでしょう。  金じゃありませんよ。熱い視線があるからです。  正確には応援ではないんです。  あなたの喜びとか歓喜とか希望とかのために日々汗を流しているのです。そして、あなたの喜びが彼らのエクスタシーなのです。  応援はそれらの結果のあらわれの一つにすぎません。  スポーツ選手もミュージシャンもお笑い芸人も、基本的に、あなたに楽しんで頂くために日々芸を磨いています。 >自分が好きで始めたなら  好きで始めてもやめるのは本人の自由。プロ、アマの差というのも考慮すべきでしょうし、金を取りながらろくなプレー、ろくな芸をしないプロに対しては、罵声として「おまえは、応援がなきゃ何もできないのか?」もアリですけどね。

am-etc
質問者

お礼

お返事ありがとうございます 遅れてしまってすみません。参考になりました。ありがとうございます。

  • Hurrypon
  • ベストアンサー率44% (12/27)
回答No.3

もちろんきっかけは自分がやりたいから,であって,誰かに応援してほしいからそのスポーツを始めたわけではないと思います(中には異性にもてたい,といった理由から始める人もいますが)。 が,応援してくれる人がいる,ということは「自分がやりたいから始めたことに対して応援してくれる人がいる」ということなわけで,それはそのスポーツをその人が続ける1つの要因になると思います(スポーツに限らず,自分のやっていることを認めてくれる人がいる,というのは大きなモチベーションになります)。 サッカーなどでは,ホームなのか,アウェーなのかでパフォーマンスが違うことがあります。アウェーでの厳しい状況での試合をした後であれば応援してくれる人がいるホームゲームはとても心強いでしょう。 と,ここまでは肯定的(?)な解釈。ここからはちょっとうがった(でも社会心理学をきちんと勉強した人にとっては妥当な)解釈を。 インタビューを受ける,ということはそれなりにそのスポーツでは成功している人たちですよね。そういった人たちが本当にその成功が自分にあると思っていたときに,それをそのままインタビューで言ってしまったらどうでしょう?「お前一人の力でここまで来たと思うなよ!」と思う人が出てきそうな気がしませんか? 会社などでも,大きな契約を獲得した社員が「皆さんのおかげで…」ということがあります。もちろん,周りのサポートに対する感謝の気持ちとしてそういうことを言っている面もありますが,上司や同僚などが「あんた一人の力じゃないだろ」という無言のメッセージを送っていて,それを察知してそういった発言をしている可能性も十分にあります。 ちょっと違う話になるかもしれませんが,アメリカでは成功した実業家は多大な寄付を慈善団体などにします(ビルゲイツなどは自分で団体作っちゃいましたが)。もちろん,「自分の成功を社会に還元したい」という気持ちもあるでしょうが,一方で,そういったことをしないと,周りから「あいつは自分の成功を独り占めしているとんでもないやつだ!」と非難されるため,それを避けるためにそういったことをしている,という面も実はあります。そんなことは決して口にしませんが。

am-etc
質問者

お礼

お返事ありがとうございます 遅れてしまってすみません。参考になりました。ありがとうございます。

  • rinmedic
  • ベストアンサー率27% (22/80)
回答No.2

>~その時その人は何を考えているのでしょう? 純粋に感謝を伝えている人がほとんどだと思います 始めるのは誰でも出来るのではないでしょうか? 続ける、上達するには自分一人の力では限界があると思います そうなると、応援者(スポンサー含む)の協力が必要になってきます また、応援があれば実力以上の力が出ることもあり それを実感出来たときに感謝として出てくる言葉というのはあるとおもいます プレイヤーのプレイする目的についてですが プロ・セミプロになれば割合の大小はありますが 他人の為にという部分も出てくると思います・・・商売にしているのですから 「応援がなければ何も出来ない」のではなく、 「応援があったのでここまでこれた(できた)」から 『皆さんの応援のおかげで~』『応援してくださった皆さんの為に~』なのではないでしょうか?

am-etc
質問者

お礼

お返事ありがとうございます <<<応援がなければ何も出来ない」のではなく、「応援があったのでここまでこれた(できた)」 <<<応援があれば実力以上の力が出ることもあり そうなんですか、自分は仲間内でスポーツこそすれど商売にしているわけではないので何となくしっくり来ないのですがそんな感じなんですね

  • v7nV1dZjx
  • ベストアンサー率10% (7/64)
回答No.1

プロやセミプロのアスリートがどれだけ各方面人間や スポンサー企業から精神的また技術的なサポートを受 けてテレビの前に立っているのか、あなたが知らない だけでしょ。

am-etc
質問者

お礼

お返事ありがとうございます >>>、~あなたが知らないだけでしょ。 …確かに知らないです。だからこそ聞いてみたんですが…

関連するQ&A

  • 「自分のプレーができた」という表現について

    「自分のプレーができた」という表現について 最近スポーツや勝負ごとのインタビュー等で、 「自分のプレーができたから良かった」 「自分のピッチングができず悔しい」 「自分の走りができれば結果がついてくると思った」 等々、「自分の○○」という表現をよく耳にします。 一見もっともらしく聞こえますが、違和感を感じるのは私だけでしょうか? おそらく「自分の持ち味や得意なプレースタイルを、相手や雰囲気にのまれることなく発揮できる」ことを言いたいのだと思いますが、良く知らない選手がいきなりこういうことを言っても「自分のプレーってどういうプレーだよ」って突っ込みたくなります(^^; なんか、最近あまりにも頻繁に簡単にこの言葉が出てくるので、薄っぺらくて中身のないインタビューに聞こえてしまいます。「自分らしさ」「個性」さえアピールすれば、表面的にはもっともらしいことを言ったような、頑張ったような感覚を与えられる。でも、深く理解しようとすると、漠然としていてよく分からない。そんな表現だと思います。うまく説明できないですけど、なんかごまかされたような、はぐらかされたような印象を受けるんです。 どうしてこんな表現が流行ってしまったんでしょうか。 皆さんの中に、私と同じように感じている方はいませんか?

  • 応援よろしくお願いします

    スポーツ選手などがインタビューを受けた時に、よく「応援よろしくお願いします」と答えているのを耳にします。 私にはこの言葉に違和感を感じます。 そこで、この用法は、 (1)日本語として正しく問題ない使い方か (2)誤用であれば何が間違いで、どう言うことが適切な日本語か をどなたか教えてください。

  • 東京五輪について

    波乱万丈の五輪となりそうですが、やるからには、国民は全力でTVやネット記事や動画を見て応援したいものです。個人的には、野球、ソフトボール、女子サッカー等の身近なスポーツを応援しております。日本がメダルを手にする競技はどれでしょうか?その理由も教えてください。

  • あなたの『嫌いな』スポーツ選手は?

    スポーツ選手の活躍が新聞・テレビを賑わす昨今ですが、その一方でインタビューなどに答える姿勢、私生活、またプレーに垣間見える人間性などに大きな疑問を抱く事も少なくありません…。 あなたも、素晴らしいプレーをするけどこの選手は嫌いだ。と思うことはありませんか? 簡単に理由も添えて是非教えてください。

  • 「感動を与える」って言い方に引っかかります。

    最近のスポーツ選手が、メディアのインタビューのときに 「人々に感動を与えるようなプレイを・・・」という発言を耳にします。 「与える。」ってあんた何様?って感じるのは私だけ? 「感動していただけるプレイを・・・」っていうのが日本人 としてのマナーであり謙虚さではないでしょうか? あなた1人の力でここまで育ったわけじゃないよ、廻りの 人々が支え、応援してくれたから今のあなたがあるの、 「与える。」なんて「上から目線の発言はだめでしょ、」 というふうに感じてしまいます。 心に秘めるモチベーションとしては「与える。」くらいの気合が なければ大成できないとは思いますが、口に出してしまうこと には違和感があります。 この傾向は昨今の指導者の資質が掛けているのではないかと 感じる次第でございます。 皆様のご意見・ご教示お待ちしております。

  • セルビア語でのスポーツ応援

    「セルビア語」「応援」などで検索してもあまりヒットしなかったので質問です! スポーツ観戦が趣味なのですが、 とても応援したいセルビア人選手がいます。 応援フラッグなどを掲げたい!と思っているのですが 何かいい言葉はありませんか? もちろん、セルビア語での回答をお待ちしています。 ・頑張れ!等の鼓舞するもの ・ナイスプレー!等の褒める系 ・・・ セルビアで一般的なものがあれば知りたいです。 よろしくお願いします!

  • こういう考えはひねくれてる?

    「被災者に勇気を与えられるよう全力プレー」 「今、自分にできることは最後まで諦めないでプレーすること」 etc. いや・・震災あってもなくても当然じゃ? ましてプロならなおさら・・・・ 震災なかったらがんばらないの? ファンあってのプロスポーツ。手を抜いてプレーして いつまでもついてくるファンはいないと思います。 でも私は業種的にも地域的にも被災地の役に立たない仕事をしています。 「なかなか高額な募金やボランティアなど行けないですが被災者の為に  今自分にできる自分の仕事を精一杯するだけです」 と言ってもはっきり言ってマスターベーションです。 でも言っていること、気持ちはスポーツ選手と同じです。 それでいいのですか?被災者の為に何かやっていることになりますか? みなさんどう思いますか?

  • 手加減する。

    はじめまして。 僕はスポーツをしていて大会などでなければよく相手の度合いで手加減をします。(もちろん自分よりうまいプレーヤーには全力であたってますが) これは本気で戦っている相手を侮辱している行為になるかもしれないとは自分で分かっているつもりです。けど、自分が真剣にやってしまえば相手が勝つ気をなくして、つまんない思いをしてしまうんじゃないかと考えて、相手に気づかれない程度にやってきました。あくまでも相手が楽しくプレイできればいいと考えながらやっています。 自分が同じように手加減されていると分かったら、僕は自分に対する侮辱と考えるよりかは、相手を本気にさせてやろうとかえって勢いづくほうです。トモダチに侮辱行為といわれ、どうだろうか?と思い、質問してみました。上記のようにであっても、手加減等はするべきではないでしょうか?

  • スポーツ番組を見て与えられる夢や希望って何ですか?

    野球やサッカーのCMや選手のインタビューなどでよく使われるフレーズの 「夢や希望を与えられるように精一杯プレーします」って言葉の意味がよく分かりません。 選手がいいプレーをして与えられる夢や希望って何ですか? 「あのような選手になりたい」と子どもが思うことですか?それならばスポーツ番組は全て子供向けということになりますね。 NHKのEテレでやればいいじゃん。 別に選手がどんなプレーをしても、夢にも希望にも関係ないと思いますが

  • 中学生の野球大会での応援「あるよあるよ~!」って、アリですか?

    中学生の野球大会での応援「あるよあるよ~!」って、アリですか? 中学生の野球大会で、凡打の際に応援席から「あるよあるよ~!」という声がかかったのを何度も聞きました。野球をあまり見ないので、何が「ある」のかを聞いてみると、「相手のエラーが“ある”から全力で走れ」という意味だそうです。 なるほどとは思いましたが、相手にしてみれば「お前らはエラーをする」ということを大声で言われていることになります。それって、どうなんでしょう? よく応援を聞いていると、相手のエラーに「ラッキー!」とか、動揺させるためなのか「ピッチャーびびってるよ~!」とか、フライが上がったら「とれないとれない!」とか、相手への配慮のない言葉がドンドン出てきています。 プロ野球ならば野球が仕事なので何でもありなのかもしれませんが、スポーツで若者の心と体を育てるという意味合いでやっているであろう少年野球で、そのような応援はアリなのでしょうか? また、そのような応援は珍しいのでしょうか?