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夢遊病や催眠術についての心理学的現象とは?
- 夢遊病や催眠術による意識の喪失状態から通常の生活状態への移行現象について、心理学的な用語は存在するのでしょうか?小説や説話に登場する異界からの帰還や変化とも関連しています。
- 心理学的な用語に限定せず、他の意識界への参加や脱出といった現象を表現する言葉や用語は存在するのでしょうか?
- 夢遊病や催眠術による意識の支配や制御に関する心理学用語や一般的な表現方法はあるのでしょうか?
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宗教や民俗学の事項かな、とも思いました。 異界にもいろいろあるかと存じますが、あらゆる世界、あらゆる意識の世界(での or という)を頭において下さい。 お眼にふれたお話としては、説話、お伽、或は伝説などにもなると思いますが、新たにお考えになられたことでも、或はお考えになられているお話でも結構であります。 上田(雨月など)、聊斎志異、旧約聖書などにも、わが国の伝説、説話、お伽、東西のお話なども有るかと存じます。読みかじりで、探しきれないものですから、どうかお教えください。 仙界でも、桃源郷でも、黄泉でも、或は「夢翁の鯉(雨月)」などのような動物などの世界に、ひょいとして入ってしまった。 或は訪問が出来た。連れて行かれた。ということで、異界に入るお話は古今東西にたくさんあります。 仮想だ、架空だ、創作だ、夢だ、或は錯覚だ。ということもありましょう。 それらの全ての場合を含めて、 1. どんなお話をご存知でしょうか?どうかお教え下さい。 ご紹介ください。 2. 私の聞き及び、知る限りでも異界でのタブーも多々あります。 ○異界の水を飲んだら、異界の存在体になってしまい、 異界から出られなくなる。 ○異界のもの、何かに触れたりしてはいけない。 異界の力が働いて、異界から出られなくなる。 ○何かをしてはいけない(振り返って塩になった話。 何かをして、像になった話)。異界から出られなくなる。 などのお話を聞いた事がありますが、実はどこにそんな話が あったのか、判らなくなっております。 3. そういう○で事項を立てたことを含めて(重複しても結構 ですので)、こんなお話がある。それはこんなところにある。 その異界でのタブーになこんなのがあり、 それを犯すとこんなことになる。 (特に異界から出られなくなる。異界の存在体や物品になる) というものについてお教え、ご紹介下さい。 4. もし出来ましたら、その呪縛の解き方とか、 解いた仕方・行為などについても。
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お礼
No.1 No.2 kigurumi 様ありがとうございます。 該博な知識からの薀蓄にただただ恐縮しております。 お教えの“解離”を辞書で検索すると、確かに、今まで私が語感的に抱いていた意味より広い意味であり、仰せのように、今次の質問での“用語”として合致するであろうと存じます。私はこの“解離”をそのまま使うのではなく、“解離性真実在復帰”とでもしたいと考えております。この復帰が創造界の日常である、夢世界から解き離れて、本来的意識に復帰である、解脱と捉えております。 浦島太郎や家庭生活のお話はご見識からのご理解ですね。私自身は非常識というか非科学的でして、太郎が赴いた海底の黄泉やわだつみの世界をそのまま存在するという読み方をしておりまして、やはり異界に太郎はいった。肉体はどこかに見えなく隠されていたかもしれないが、意識はそういう異界を訪問していた、と理解しております。インドでも数百年に亘り、地下に、低いサマディで埋まっていて、掘り出された例もあり、日本でも即身仏が甦生させられた話も伝わっております。肉体は一種の仮死状態の、低いサマディで存続していたのでしょう。 有難う御座いました。なお文章は補足につ内でおります。
補足
有難う御座いました。お礼の箱からのつながりです。“つ内で”という誤植をお詫びします “昇華”は向こう三軒より大分通りご近所さんのようです。ダ・ビンチ・コードはみておりません。お祖父さんが、そういう行為を、行(ぎょう)をなさっていたのですか。性の力を以って解脱の力を引き出していく宗教や行法(ぎょうぼう)は日本にも立川流とかありますが、インドにもタントラとかシャクティとか、いろんな所にたくさん例がありますね。 クンダリニ・ヨガというのもあるそうですが、クンダリニを覚醒し、上昇させる行を、私達はプラナヤマで行うことを教えられ、実践しております。 ヴィッシュヌと千匹きの蛇、クリシュナ、ヴィッシュヌ、そしてシヴァのオウムの話は私達なりに教えられております。 火焔のチャクラは、私達の教えではマニュピューラ(これはパンダヴァ五兄弟の三番目のアルジュナで象徴されています。土・水・火・風・空の中の一です。)として教えられております。 私は女性ではないのですが、下丹田とか一定のチャクラを女性には備わっていないという話は、他の教えにはあるようですが、私達にはそのような教えはありません。勿論男女ではいろいろ違うことはありましょうが、解脱が無理だという話は伝わってはおりません。 釈迦もそうですが、一定の要請原理、当為からあえて地上に戻る、再誕する、地上の姿をとり続ける聖者のお話は伺っております。つまりあえて向こうに渡岸しないという聖者についてを。 お教えを拝読し、“解離性真実在復帰”を使おうかと存じます。他人に見せたり、話したりすることではないので、多少くどくて、抹香くさくはありますが。 ありがとうございました。