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園芸の神様
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こんにちは。 確かに日本には八百万の神がいると考えられてきた訳ですが、それでも何の分野にでも担当の神様がいるというものでもありません。 何しろ神様達より新しく生まれたものが溢れている世の中ですからね。 しかし人々の生活スタイルなどの変化に伴ってその管轄を広げていく神様もいます。 もっともこれは神様の都合ではなく、人間の都合で一方的に解釈が広げられ当初存在しなかったようなものにも当てはめられていくという図式ですね。 例えばお公家さん達が「蹴鞠」の上達を願って拝んでいた神様を現代のサッカー関係者達が拝んでいたりします。 「○○にご利益があるということは○○にもと考えて良いのでは」という具合に広がっていくという寸法です。 挙げた例は随分ストレートですが、中には何故それらが結びつくのか説明を受けないとわからないようなものやこじつけとしか思えないようなものもあります。 そのようにして昔は無かったようなものにでも「○○の神様」というものがいるようなことがある訳ですが、だからと言って何にでもそのようなことが起こる訳ではありません。 例えば「商売」の神様であれば何の商売でもご利益があるという風にも捉えられますから、特にそれ以上細分化しないようなこともあったりする訳なのです(例え話なので非常に大雑把ですが)。 結局は人々がどのようなご利益を求めてきたかということに尽きてしまいますね。 そこで「園芸」ということを考えてみた場合その分野に専門の神様がいるようなことは聞いたことがありませんが、「植物の生育を司る神様」ならイソタケル(五十猛)とその妹達などがその代表格でしょう。 記紀神話によればイソタケルは天降る父スサノオに同行する際樹木などの種を沢山持ってきましたが、それを最初に訪れた新羅には植えずに日本に着いてから植えたとされます。 更に妹のオオヤツヒメ・ツマツヒメらと共に国中に木を植えてまわり(詳細は伝えるものによって多少差異がありますが)そのことによって日本はこのように緑豊かな土地となったと伝わっているのです。 実際イソタケルや妹達は林業従事者などには厚い崇敬を受けてきました。 また父神であるスサノオ自体も抜いた体毛などから沢山の植物が生じたと伝えられている為、一緒に信仰の対象となっていることもあります。 「園芸」の歴史にはあまり知識がないので細かいことはわかりませんが、「植物の生育」にスポットを当てた場合信仰対象とするに相応しい神様と言えるのではないでしょうか。
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- Mumin-mama
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>日本には八百万の神様がいるといわれています。 桜の木もその語源から御神木として植えられると聞いたことがあります。 http://gogen-allguide.com/sa/sakura.html 現代社会においては、庭の所有者のあがめている神様なら、 たとえば、天照大皇神、木花咲耶姫、御神木、お稲荷様、お地蔵様など 何でもよいのではないでしょうか。 皇室、大名や将軍所縁の庭園もそれぞれお家の神仏で、庭園造りの地鎮祭を行ったのではないのでしょうか。 また、古くからある庭園は社寺の敷地にあったり、社寺に縁があるところが多いと思いますので、その社寺の神様、仏様が庭園の神仏ということになるのではないでしょうか。
- tomajuu
- ベストアンサー率38% (304/782)
まっ先に思い浮かんだのが、 「木花咲耶姫…この花の咲くや姫」でした。 字づらから、まさに園芸の神様!と思ったんですが、 あらためて調べてみると 以外とそうではなかった・・・ごめんなさい! http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%8E%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%8E%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A4%E3%83%93%E3%83%A1
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