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権利の哲学

cse_ri2の回答

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3287)
回答No.25

>また 権利に代わる将来的な人類を救う概念がなにか >思い当たる方 その斬新な発想を教えてください。 所有権の放棄、すなわち「布施」が該当するかもしれません。 斬新な発想でもなんでもなく、紀元前から説かれていた内容ですが。 ただ、「布施」の実践が難しいのは、仏教やキリスト教で この教えを説きはじめてからずいぶん時間がたっています が、布施を実行する人よりも、既得権の確保に奔走する人 が多いということからもうかがえます。 だからといってあきらめるのではなく、少数でも布施を実践 する人が増えていけば、それだけ世の中がよくなっていく ことでしょう。 #布施といっても、財産や知識・創作物・真理などに限りますよ。 #質問者の方は「性」の布施に走りそうなので... #性の放縦は、自然の摂理に背くと私は考えているので #反対です。

H_hoko
質問者

お礼

●布施という言葉自体よく存じませんけれども  自分が持っているものを神仏に捧げること  と解釈すれば これにより世界が収まらない原因は  いくら布施をしても 幸せになれないからだと  わたしは思います。  けれども この際そんなことは無視して  思考実験してみましょう。  世界のすべての人々が布施をして生きるようになれば  環境破壊は治まりますでしょうか?  治まるとしたら どのようなかたちに落ち着くのでしょうか?  世界の人口はどらくらいに保てばいいのでしょうか?  どのようにバースコントロールするのでしょうか?  科学技術は無制限に許されるのでしょうか?  神仏が布施を薦めるのならば 布施により実現する  理想の社会のありようが示されていなければ  無責任という感じがいたします。  布施をさせといて 布施で集まった財の使い方を  示さず 自分でかんがえろでは 必ず不正が起きます。  なぜなら ひとそれぞれに考え方も解釈もちがうからです。  また 均等に分配しろでは 地球は破壊されます。  大切なのは 人間の地球における領分が示される  ことだと わたしは考えます。それができるのは  たぶん宗教ではなく 科学だとわたしは見ています。 ♯わたしから性の布施がほしいのはcse_ri2さんご自身じゃ  ありませんこと・・・。

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