• ベストアンサー

死ぬ自由

kigurumiの回答

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.25

>この質問は、そのコミュニティーで受け入れられる思想かどうかという事に帰結するんでしょうか。 結局、そういうことでしょうね。 自然淘汰というものがあります。 生を欲するものと、生を欲しないもの。 当然 生を欲しないものは、時が来る前に消滅しやすいので、子孫を数多く残せません。 生を欲するものが5人子供を産み、親の特徴を受け継ぎやすいので、生を欲する子3人、生を欲しない子2人が出来たとします。 かたや、生を欲しない人も5人子供がいたとして、2人が生を欲する子、3人が生を欲しない子ができたとします。 何代か後に、生を欲するものと、生を欲しない者は どれだけの数 違いが出てくるでしょう。 生を欲しない人は早めに死にやいので、子孫も多く残せない。 なおさら 数に違いが出てきます。 現在の人間社会は、生を欲する人々が支配する社会。 じゃなきゃ とうに死を望む人だらけで、人類は地球上から消えていると思うので。 生を望む人が圧倒的に多い社会で、メジャーであるこの人たちの意見により現在の社会のこうあるべきが決定している。 自由ってなんでしょう。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%BC%AB%CD%B3&kind=jn&mode=0&base=1&row=1 【他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っている・こと(さま)。自らを統御する自律性、内なる必然から行為する自発性などがその内容で、これに関して当の主体の能力・権利・責任などが問題となる。 (ア)哲学的な意味では、自らを自律的に統御し、内なる必然から自発的に行為すること。外的自然からの自由、内的自然(理性や意志以外の要因)からの自由、他人による強制からの自由に分かれる。意志の自由とほぼ同義。】 生きる自由はあるのに、死ぬ自由は奪ってもかわまない? 人口が減るから? 社会が不穏になるから? そのために死ぬ自由は他が奪い生を強要してもかまわない? 不自由な社会で、これじゃあ 生きづらいし死にずらい。 他の強要、支配により成り立っている生。 もちろん生きるためには他から我慢を強いられる。 でも、そのために生きたいという欲望が満たされるのなら、その強制はそれほど苦じゃない。 そして自分の意志にもとづき、その強制を受け入れているわけで、自由による選択です。 ところが、死ぬことを我慢することは強いられる。 社会のため 家族のため 誰かのために生きなければならない。 自分の内なる自由は他人のため抹殺されている。 他人のために自分が存在することを強制されてしまう。 自分の意思による決定ではなく、他人の意思の決定で自分の存在が決まるなんて。 自分の人生じゃないじゃないか。 人生を他者に奪われた。 もう ここで既にその人の生は無い。 さんざん生を奪っておきながら、何故死んだだ? お前らがその人が自殺する前に既に殺しているのに、なに他人がやったかのように言う。 って思うんですね。 もちろん、家族のために今死ぬわけにはいかない というのは自分の意思ですから、家族に生を強いられているわけでもなんでもない。 問題なのは、死のうというその人のうちから発する自由意志を許さないことです。 自由に生きていいし、自由に死んでもいい社会なら、どんなに生き易いし、死にやすいでしょうね。 苦は自分の内なるものに逆らった時 生じると思います。 生きたいと内なるものが求めるにも関わらず死ぬことは苦であると同じように、内なるものが消滅を望んでいるのに、それを社会が許さず、その人に逆を強要してしまうと苦が生じる。 生に執着していてサインを出している人は「死にたい」と他人にもらす。 でも、執着していない人は、本当は生きたけどそれが難しいからどうにか助けてとサインを出さず、黙って死にます。 社会は自殺する人が全部前者だと思ってしまうんですね。 もちろん圧倒的に前者が多いでしょう。 でも、何の理由も無く死ぬ人もいる。 満足な人生で、ここで凍結したいと望む人もいる。 社会はそれを許さず、その人が望まないことを強要するんですね。 社会が自殺を否定する理由はわかります。 社会のため。  でも、集合体の維持のために個人の死ぬ自由が奪われていいと本当に言えるのか。 本当は自由・平等でもなんでもない社会。 まるで北朝鮮みたいです。 いいじゃないですか、圧倒的に死を望まない人で構成されている社会なので、死を望む人がそのうちなる自由に添っても。 生きることが自由なら、死ぬことも自由であるべきはず。 でも、現実は許さない。 マイノリティーの存在は、存在しているのに存在しないと否定される。 存在を無視されている。 それに気づいている人たちがこんな歪んだ社会に絶望する。 これじゃ 自由意思により死を望む人以外にも、死にたくも無い人までこんな社会に絶望して死ぬわけです。 自由を他人の幸福のため奪われ、人生を奪われ、生を奪われる社会。 先進国であるのに自殺者が増えるわけです。

noname#32404
質問者

お礼

この回答に限らず、kigurumiさんの回答からは考えるヒントもらいました。驚くほど博識で敬服します。まだkigurumiさんの回答のすべてを消化出来てませんが、どれも参考になりました。 ありがとうございました。

関連するQ&A

  • なぜ「結社の自由」は憲法で保障されているのですか?

    つまり「誰でも団体を結成できる権利」ということですが、会社や宗教法人など法的な手続きが必要な団体ならまだしも、ただの人の集まりのような団体の結成を、わざわざ憲法が保障することにどんな意味があるのでしょうか。 わざわざ憲法で保障するまでもなく、自由なのは当たり前のような気もしますが... 歴史的な経緯があるのでしょうか。

  • 「人を殺してはいけない」について論じている本を教えてください

    「なぜ人を殺してはいけないか」ということについては、すでに質問がなされており、参考になりました。 この問題についてさらに考えたいことがあるので、このことを論じている本を教えてください。 哲学、倫理、宗教、法律、医学など、どのような分野ものでもけっこうです。

  • 詐欺にあったほうも何かの罪になるのでしょうか

    法律的という意味ではなく、哲学的というか倫理的と言いうか宗教的という意味ですが、お考えを聞かせていただければ幸いです。

  • 高校公民の「倫理」と「政経」の関係

    政経・現代社会に比べて倫理だけ毛色が違う科目のような気がします。社会科学の基礎を教える前者に対して、倫理は哲学・思想史・宗教・心理など人文科学の基礎です。 高校時代、政経の教師(経済学部卒)が『概して、哲学科や宗教学科を出た倫理教師は公民教諭免許を持ってはいるが実際は倫理だけで政経や現代社会は教えられない。でも、政経の教師は現代社会も倫理も教えることができる。』と言っていました。 哲学や宗教学が専門の人が、政治学や経済学を教えるのにいささか抵抗があったり、特段の勉強が必要なことは理解できます。 でもこの逆の、「政経教師は倫理も担当できる」というのはなぜなのか、よく分かりません。政治学や経済学、憲法学と、ギリシア哲学だとか中国儒教史、ヒンドゥー教、仏教論、朱子学、蘭学といったジャンルを扱う倫理とは全く違うような気がします。 もう高校を卒業したので教師に真意を聞けないのですが、およそどういうことを言わんとしていたのでしょうか?

  • 倫理規範と法規範の違いは?

    17条憲法は、聖徳太子「憲法」といわれてますが、その16条規定を除いて、全ての条文は、天皇、君子に対する官僚への倫理規定、規範と読めるのですが・・・・・・又、明治憲法の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」(第3条)なども宗教性の倫理規範に読めます。法律規範と倫理規範との明確な違いはなんですか?例文を挙げてご教示いただければ大変ありがたいのですが。

  • 大日本帝国憲法について

    大日本帝国憲法では、国民には多くの権利が保障されていたがその権利には「法律の範囲内で」という条件があったと聞きました。 この時に、先生が法律の範囲内というのはとても良くないと言ってたのですが、法律の範囲内という条件は何が危険なのですか? 教えてください

  • 哲学は怖い学問ですか?

    私は高校生の頃に倫理を勉強してからというもの、哲学や宗教に大変興味を持っています。現在24歳・男です。 たまにこちらで哲学的思考にとらわれてしまい、常に悩み苦しんでしまっている方の書き込みを目にします。 哲学を深めれば深めるほど、哲学無しには生きていけなくなってしまうのでしょうか? 私は哲学を"個の宗教的価値観"として捉えているので、他者に押し付けたりしませんし(押し付けた時点でその哲学は宗教へと変化してしまう)、他者の哲学をまるまる信じてしまうこともしません。 しかしやはりニュースなどを見ると、哲学的な観点で見ることが多いです。例えば、殺人事件のニュースを見たときに『加害者はどういう生き方を送り、どういった価値観を持って人を殺してしまったのだろうか』とか、『もし、この○○が××だったならばどうなっていただろうか』などなど、真剣に背景の推測をすることが多々あります。 倫理の資料集などで様々な宗教や哲学者について簡単に学んできましたし、それらが自分の生き方に大なり小なり影響を与えてくれたのも確かなので、哲学的思考は捨てたくありません。・・・もう癖になっているので捨てられるわけもないのですが・・・^^; もしかしたら私の"哲学"という言葉の使い方は間違っているかもしれませんが、哲学の専門家の方がいらっしゃいましたら回答していただけると助かります◎ よろしくお願いいたします。

  • 憲法について分からないことがあります。

    憲法について分からないことがあります。 日本在留の外国人に外国移住の権利は保障されていますか?? 法律家目指して勉強中ですが初っぱなからつまずいてしまいました。 参考文献には保障する派、しない派両方あったのですが…

  • 報道の自由

    報道の自由を法律で制限することは可能ですか。 日本国憲法にも、表現の自由があるだけで、 報道の自由などの言及はないと思います。 マスコミの職員は、国民の選挙で選ばれた 人ではないので、そのような人に権力を 持たせるのは、おかしいと思います。 (どうしても、権力を持ちたいならば 入社試験を選挙でやればいい) おそらく、最高裁の判例で、認められている のだと思いますが、最高裁の判例も おかしいものが多いです。 例えば、企業は、従業員を雇用するか しないかの自由がある(勤労の権利、義務 に違反します)などがあります。

  • 西洋哲学>東洋哲学(東アジア、中国など)ではない?

    私が思うのは、西洋哲学や宗教>東洋(東アジア、中国など)哲学や宗教という式を考えた人をしらなくて、欧米至上主義の人が実際勝手に式を作ったらダメかと思ってます。 東洋(東アジア、中国など)の関係性の社会では、関係を破たんさせる人は遠ざけたり、淘汰したりするかと思います。 まだぴんときたりするものかと思いますけど、こういう感覚は東洋哲学からのものかと思ってます。 個を最大にとか、コネってきたないっていいますけど、現在関係が希薄化していて、つながりなど言葉があったりもしますけど、西洋哲学、宗教>東洋哲学、宗教でもなくて、実際そうとは言えないよう思えます。 実践されないのは大きな人口などだからとかで、哲学宗教など考え出されたもの自体が西洋に負けているとか思えないのですけど、どうなのでしょうか?