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「打ち過ぎた」とは?

夏目漱石「こころ」の七に、 「 私(わたくし)は不思議に思った。しかし私は先生を研究する気でその宅(うち)へ出入(でい)りをするのではなかった。私はただそのままにして打ち過ぎた。」 という表現が出てきます。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html この場合の「打ち過ぎた」の主語は何でしょうか。 「私はただそのままにして(それからの日々の時間の上を)打ち過ぎた」 という意味に解釈したのですが合っているでしょうか。 あるいは、「時間が」という隠れ主語が省略されており、 「私はただそのままにして、(それからの日々の時間が)打ち過ぎた」という解釈が妥当になるでしょうか。  

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • luune21
  • ベストアンサー率45% (747/1633)
回答No.2

ここでの「打ち過ぎた」は、文語上二・自「うちすぐ」の用法でしょう。 この語(過ぐ)には、「時間が経過する」(「経過する」じゃありませんよ)という意味のほか、「暮らす」、「生活する」、「やりすごす」、というような意味があります。ここはこんな語感なのではないでしょうか。 強調の「打ち=」が効果的だと感じました。

hakobulu
質問者

お礼

度々お世話になります。 ご回答ありがとうございました。 >「暮らす」、「生活する」、「やりすごす」というような意味もあるんですね。 気付きませんでした。 大変参考になりました。

hakobulu
質問者

補足

「打ち過ぎた」という表現は間違いではない、ということでよろしいでしょうか。 #1さんおっしゃるように「打ち過ごした」の方が感覚的にはなじむような気もしますが、 どちらでも良いというお考えでしょうか。

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その他の回答 (3)

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

打ち = 意味を強める、語調の整理は、どこから引っ張ってきたか? 白川静 常用字解 平凡社刊 P412 打 の説明より。 近世以降、動詞の前に付けて打聴(聴くこと)、打睡(眠ること)のようにいう。 国語の「うち興ずる」、「うち見る」のように、下の動詞の意味を強めたり、単に語調をととのえたりするためにつける「うち」に似ている。 とあります。 漱石は、漢文素読をやっていた世代で、日本語の表記方法に関して、かなり「発明」「開発」をやっちゃっているので、今回の 打ち過ぐ も、漱石の発明ではないかと推測した次第です。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 「>打聴(聴くこと)、打睡(眠ること)」は初めて聞く表現ですが、何となくイメージが湧きます。 >漱石は、漢文素読をやっていた世代で、日本語の表記方法に関して、かなり「発明」「開発」をやっちゃっている :ということも大変参考になりました。

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  • miya-mcl
  • ベストアンサー率51% (323/624)
回答No.3

古い辞書で申し訳ありませんが、旺文社古語辞典改訂新版(1993年重版分)にこうありました。 うち-す・ぐ【打ち過ぐ】(自ガ上二) 組成>「うち」は接頭語 1過ぎる。経過する。 2程度を越える。 この場合は、1でしょうね。 程度を越えるじゃあ、意味が通りませんから(笑) なので、文章の意味は、質問者様の解釈であっていると思います。 「打ち過ぎた」の活用に関しては、#2さんに同意です。 感覚的になじむ言い回しは、現代文学のもので、近代文学を私たちが読む場合、古文と原文を混ぜた感覚で読んだ方が無難です。 つまり、単語は古文、助詞助動詞は現代文・・・ですかね。 だから、我々現代の人間にはなじみのない言い回しがたくさん出てくるんですよ。 一つの例として、「ああ」という感嘆詞を漢字で「嗚呼」と書きますよね。 これ、他にも漢字があって(覚えていなくてすみません。国文科なんですがいかんせん古今集ばっかりやってたもので……)、全部意味が違うんです。 近代文学を読むときは、そこまで考えて読むと面白いですよ。 あ、でも、どこで調べたらわかるんだろう? 図書館で、文法の本でもあればいいのですが(笑) すいません……

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >近代文学を私たちが読む場合、古文と原文を混ぜた感覚で読んだ方が無難です。 :そうかもしれませんね。 因みに私の辞書も古いです。(^^;) 色々と大変参考になりました。

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  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.1

>この場合の「打ち過ぎた」の主語は何でしょうか。 私(わたくし) >...という意味に解釈したのですが合っているでしょうか。 意味はそういうことでしょう。 漱石には悪いのですが、この日本語は正しくありません。 ここは他動詞にすべきで 「私はただそのままにして打ち過ごした」 が正しい。 >あるいは、「時間が」という隠れ主語が省略されており、 時間はここでは主語ではなく目的語。 主語はあくまで、「私」です。

hakobulu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 >ここは他動詞にすべきで 「私はただそのままにして打ち過ごした」 が正しい。 :そうですね。感覚的にはこちらのほうがわかりやすい気がします。 ただ、何しろ文豪ですのでどうしても肯定的に捉えてしまいます。(^^;) 個人的には、 「(日々の上を)行き過ぎた」「(時間の上を)通り過ぎた」という意図で「打ち過ぎた」もありかな、とは思っているのですが・・・。   主語は私と伺って安心しました。 大変参考になりました。  

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