『こころ』の「上十」についての質問

このQ&Aのポイント
  • 日本語を勉強中の中国人が、夏目漱石の『こころ』の「上十」について質問します。
  • 質問1では、「滑稽」の意味と「が」の後ろに省略された意味について知りたいです。
  • 質問2では、「には」の意味と「そこまで来て」が指す場所について教えていただきたいです。
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『こころ』の「上十」

 日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上十」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.そういうと、夫の方はいかにも心丈夫のようで少し滑稽(こっけい)だが。  なぜ「滑稽」でしょうか。また、「が」の後ろにどんな意味が省略されたのでしょうか。 2.先生の宅(うち)へ帰るには私の下宿のつい傍(そば)を通るのが順路であった。私はそこまで来て、曲り角で分れるのが先生に済まないような気がした (1)「には」はどういう意味でしょうか。 (2)「そこまで来て」の「そこ」はいったいどこを指すでしょうか。 3.それがまた滅多(めった)に起る現象でなかった事も、その後絶えず出入(でい)りをして来た私にはほぼ推察ができた。  「して来た」の「くる」の使い方は下記辞典の「(17)(補助動詞)」の何番目にあたるでしょうか。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%AF%A4%EB&kind=jn&mode=1&base=1&row=1 4.先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あるべきはずであると断わったのか。  「断る」はここではどういう意味でしょうか。 5.先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。  「私に言い残す」という行為をする人は先生本人でしょうか。それとも奥さんでしょうか。  また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

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  • hakobulu
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回答No.1

1.そういうと、夫の方はいかにも心丈夫のようで少し滑稽(こっけい)だが。 a.>なぜ「滑稽」でしょうか。 :夫(=先生)が心強い(=頼りがいがある)と言っているわけで、自画自賛することになるからです。 b.>「が」の後ろにどんな意味が省略されたのでしょうか。 :前の文にありますが、 「私(わたくし)の妻などは私より外(ほか)にまるで頼りにするものがないんだから」という内容です。 こういった「が」の使い方は良くありますが、一種の倒置法的表現と考えて良いのではないでしょうか。 全体的には、 「(こう言うと)夫の方(自分)はいかにも心丈夫のようで少し滑稽だが、私の妻などは私より外にまるで頼りにするものがないんだから(ね)。」 という意図になります。 (ex) ・「この服はとても良い生地でできています。少し高いですが。」 ・彼は朝から元気に仕事をしている。昨日一睡もしていないのだから眠くないことはないのだろうが。 2.先生の宅(うち)へ帰るには私の下宿のつい傍(そば)を通るのが順路であった。私はそこまで来て、曲り角で分れるのが先生に済まないような気がした (1)「には」はどういう意味でしょうか。 :色々な意味がありますが、ここでは下記の「(4)軽い仮定条件を表わす」です。 『先生の宅へ帰るためには』といったような意味になります。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%CB%A4%CF&kind=jn&mode=0&base=1&row=1 (2)「そこまで来て」の「そこ」はいったいどこを指すでしょうか。 :意味としては『私の下宿のつい傍』です。 具体的には『曲り角』です。 「済まないような気がした」理由は、結果的に先生に「下宿のつい傍」まで送ってもらうような形になったからです。 実際に分かれた(別れた)場所は【(下宿のつい傍の)曲り角】ということになります。 3.それがまた滅多(めった)に起る現象でなかった事も、その後絶えず出入(でい)りをして来た私にはほぼ推察ができた。 :「して来た」の「くる」は、(17)の「(エ)動作が継続・反復されて現在に至るまで続く意を表す」です。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%AF%A4%EB&kind=jn&mode=1&base=1&row=1 4.先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あるべきはずであると断わったのか。 :「断る」は、この場合「前もって告げておく」「あらかじめ知らせておく」という意味です。 「前もって/あらかじめ」が意図しているのは、『私と交流を継続していく上で』ということだとお考えになって良いと思います。 5.{先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。} > 「私に言い残す」という行為をする人は先生本人でしょうか。それとも奥さんでしょうか。 :先生です。 奥さんであれば、「留守でも」という仮定は使わないはずですよね。 また、「私に待っているように」ではなく、「待っているように私に」となるはずです。 「先生はすぐ帰るから待っているようにと(奥さんは)いい残して(奥へ)行った。」 などとなるでしょう。 「先生は、『すぐ帰るから留守でも私に待っているように』と(奥さんに)いい残して行った。」 ということです。 6、ご質問文の添削 A.<なぜ「滑稽」【で】しょうか。> :間違いではありませんが、 『なぜ「滑稽」【なので】しょうか。』 としたほうが、より自然な表現です。 「なぜ、滑稽【ということになるので】しょうか」 「なぜ、滑稽【という解釈が可能になるので】しょうか」 というニュアンスが出ます。 B.<また、「が」の後ろにどんな意味が省略され【たの】でしょうか> :『また、「が」の後ろにどんな意味が省略され【ている】のでしょうか。』 としたほうが自然です。 C.<「そこまで来て」の「そこ」はいったいどこを指す【でしょう】か。> a.これも間違いではないですが、 『「そこまで来て」の「そこ」はいったいどこを指す【のでしょう】か。』 とすると、ずっと自然な表現になります。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%CE%A4%C7&kind=jn&mode=0&base=1&row=3 断定的結論を求めていないニュアンスを出すことができるので、 【強く問い詰める(問い質す)ニュアンス】が薄まるのだと思います。 結果として丁寧な表現に感じられるのでしょう。 b.< 「して来た」の「くる」の使い方は下記辞典の「(17)(補助動詞)」の何番目にあたるでしょうか。> の場合は、『あたるでしょうか』のままのほうが自然です。 (17)の中にあらかじめ項目が列挙されており、その中のどれかひとつを選択すれば良いだけだからです。 「相手に独自の見解を聞く」という要素が少ないために、強く問う形で断定を求めても不自然ではない、ということになるのだと思います。 ここで、 「何番目にあたる【の】でしょうか」とすると丁寧さは出すことができるでしょうが、やや冗漫な印象を与えることになるでしょう。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。「滑稽」のところはわかりました。「が」の倒置法的表現を覚えておきます。例文はわかりやすいと思いました。「には」は「ためには」と理解していいんですね。「そこ」を詳しく分析していただき助かりました。今回の「して来た」の「くる」はまた私にとって難しい使い方です。「して来た」はいろいろなところで顔を出していますね。「断る」は「拒絶」の意味だと思いました。このような意味ではない場合もあるんですね。5についてまだ難しいです。もう少しhakobuluさんの意見を伺うことができれば嬉しいです。いつも質問文を添削していただき心から感謝します。「の」の有無は私にとってまた難しい内容になりました。寝る前に暖かい牛乳を飲むと眠りやすいと聞いたことがあります。

awayuki_ch
質問者

補足

1.先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。 先生の友人は朝八時半の汽車で新橋を立つでしょう。約束の九時に先生は先生の家にいないはずです。先生がもし九時に「私」と会って、「すぐ帰るから留守でも待っていてください」と「私」に言ってから出かけるなら、間に合えないのではないでしょうか。 聞きたかったのは「私」は先生の口から直接に先生のその話を聞いたのでしょうか。それとも奥さんの口から間接に先生の伝言を聞いたのでしょうか。「言い残す」は二つの意味がありますから。 「私に」という成分がよくわかりません。「待っているように」と関係があるのでしょうか。それとも「いい残す」と関係があるのでしょうか。 「先生はすぐ帰るから留守でも私を待たせるようにといい残して行った」はおかしい日本語でしょうか。 「してください」という直接の記述方法を「するように」に変わったら、頭が混乱します。もう少し教えていただけませんか。 2. > C.<「そこまで来て」の「そこ」はいったいどこを指す【でしょう】か。> a.これも間違いではないですが、 『「そこまで来て」の「そこ」はいったいどこを指す【のでしょう】か。』 とすると、ずっと自然な表現になります。 ​http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%CE%A4%C7&kind=jn&...​ 断定的結論を求めていないニュアンスを出すことができるので、 【強く問い詰める(問い質す)ニュアンス】が薄まるのだと思います。 結果として丁寧な表現に感じられるのでしょう。 b.< 「して来た」の「くる」の使い方は下記辞典の「(17)(補助動詞)」の何番目にあたるでしょうか。> の場合は、『あたるでしょうか』のままのほうが自然です。 (17)の中にあらかじめ項目が列挙されており、その中のどれかひとつを選択すれば良いだけだからです。 「相手に独自の見解を聞く」という要素が少ないために、強く問う形で断定を求めても不自然ではない、ということになるのだと思います。ここで、 「何番目にあたる【の】でしょうか」とすると丁寧さは出すことができるでしょうが、やや冗漫な印象を与えることになるでしょう。 上の内容は大変難しいです。丸写しをして申し訳ありません。時々「の」がいるほうがいい、時々「の」がいらないほうがいいようです。このことがよく理解できません。 なぜ『「そこまで来て」の「そこ」はいったいどこを指す【のでしょう】か。』のほうが丁寧な表現になるの(←この「の」も丁寧な感じ?)でしょうか。 なぜ「何番目にあたる【の】でしょうか」はやや冗漫な印象を与えることになるの(←この「の」はどんな感じ?)でしょうか。

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  • hakobulu
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回答No.6

ご返事ありがとうござました。 1. 【No.4のご回答】 >>『先生はすぐ帰るから留守でも待っているようにと(奥さんを通して)私にいい残して行った』が自然な構文だと思いますが、一種の倒置法と考えていいかもしれません。 >「一種の倒置法」を使ったのは、夏目漱石の文でしょうか。それとも上に挙げられた例文でしょうか。 ーーーーーーーーーー :夏目漱石の原文です。 「私に」が「言い残した」に掛かると考えた場合のことを述べたつもりでした。 「待っているように」に掛かると考えることもできるので、「倒置法」は適切な説明ではなかったかもしれません。 2. >>自分の心の中だけで整理するのであれば、『先生は「すぐ帰るから留守でも待っているように」といい残して行った。』だけで十分なわけです。しかし、言い残した対象が「私」であることを読者に明確に示す必要があるので、「私に」という言葉を挿入しただけです。結果として、「先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。」という文になったと考えることができます。 >現代では、「私に」という言葉は普通どこに入れるのでしょうか。 ーーーーーーーーーー :現在でも、間接話法として原文と同じ位置が最も適切です。 3. 少し手直ししますが、基本的には自然な日本語です。 (1)「先生は私に言い残した言葉は何だったっけ」と思わず私自身に聞いた。(「言い残す相手」=「言い残す対象」=私) :「先生【が】私に言い残した言葉は何だったっけ」と思わず【自分】自身に聞いた。(「言い残す相手」=「言い残す対象」=私) (2)奥さん、先生は私に言い残した言葉は何でしょうか。(「言い残す相手」=奥さん、「言い残す対象」=私) :奥さん、先生【が】私に言い残した言葉は何でしょうか。(「言い残す相手」=奥さん、「言い残す対象」=私) 4. >>しかし、友人を見送らなければならないので、先生は【 】という伝言を奥さんに頼みました。 >2(直接話法=「先に行ってほしい」)、または3(間接話法=「先に行くように」)でしょうね。 >「てほしい」は二人称、三人称に対して使うと習ったのですが、「私に先に行ってほしい」でも問題がないのでしょうか。 ーーーーーーーーーー :話し手Aが実際に、「私に先に行ってほしい」という言葉を口にすることはあり得ません。 二人称の場合は、 A:「先に行ってほしい」と言うでしょう。 三人称の場合、私=Bとすれば、Cに対して、 A:「Bに先に行ってほしいと伝えてくれ(言ってくれ)」と言うばずです。 AがCにそう言ったのをBに伝える時に、Cは、 C:『Aが、「Bに先に行ってほしい」と言っていたよ』、あるいは、 C:「Aが、君に先に行ってほしいと言っていたよ」 と言うでしょう。 以上の内容をBが日記に書く時には、 「Aは私に先に行ってほしいと言っていた」 と書くわけです。 これは、Aの伝言内容を重視した表現です。 「その内容を実際に聞いたのはCからだ」ということも明らかにしたい時には、 「AはCに私に先に行ってほしいと言っていた」 という表現になります。 原文の場合でいうと、 「先生は奥さんにすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。」あるいは、 「先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにと奥さんにいい残して行った。」 などという文になります。 5. >> 1.先生は「Aに先に行ってもらう」と言っていました。 2.先生はAに「先に行ってほしい(と伝えておいてくれ)」と言っていました。 >なぜ2の「Aに」を括弧に入れられなかったのでしょうか。「Aに先に行ってほしい」という言葉は直接に先生の口から奥さんに発する可能性はないのでしょうか。 :この着眼点はなかなか鋭いですね。 実は、「もしかすると、そういう質問が来るかもしれないな。」と感じていました。^^; 端的に言うと、可能性はあります。 しかし、非常に特殊な状況になるでしょう。(それで敢えて言及しませんでした) 先生が奥さんに対して、 「Aに先に行ってほしい」と言うと、【その願望(要請)を伝えておいてほしい】という意味が付与されません。 自分の願望(要請)を棒読みしているにすぎない表現だからです。 小さい子が「お母さんに餃子を作ってほしい」と言ってお父さんを困らせているような状況であれば自然です。 この場合、お父さんがお母さんに小さい子の言っていたことを伝えるとすると、 「子供が『お母さんに餃子を作ってほしい』と言ってたよ」 という表現が可能です。 しかし、これはお父さんが子供に頼まれてお母さんに伝えたわけではありません。 子供の願望が実現できるように【気を配った】ことになります。 【お母さんに頼む】という点において、子供の自主性は全くありません。 原文の場合も、 「Aに先に行ってほしい」と先生が奥さんに言ったとすれば、その後に、 『私はそう願っているんだから、後は私の願望が叶えられるように君(奥さん)がちゃんと手配してください。』 という言葉が省略されていることになります。 つまり、先生は自主性の無い我儘な人なってしまうわけです。 「Aに先に行ってもらう」が自然なのは、先生の「決断した結果」を奥さんに伝えているからです。 仮に、awayuki_chさんの叔母さんがケーキ作りが上手だとします。 そして、awayuki_chさんが叔母さんの作ったケーキを食べたいと思ったとしましょう。 直接は頼めないので、そのことをお母さんに話すとします。 「叔母さんにケーキを作ってほしい」と言うでしょうか。 「叔母さんにケーキを作ってほしいと伝えてほしい」と言うように思います。 >「人にしてほしい」の「人」が三人称だったら、普通「と伝えておいてくれ」というニュアンスが含まれているのでしょうか。 >しかも、その「人に」の「に」は「してほしい」に掛かるのではなく、「伝える」という動詞(時々省略される)に掛かるのでしょうか。 a.「伝えておいてくれ」というニュアンスが含まれる場合が多いとは思いますが、必ずしも全てがそうではありません。 「先生はあなたに歌ってほしいと言っていました」などという文では、 「伝えてくれ」という意図がある場合とない場合の両方が考えられます。 b.「先生はあなたに歌ってほしいと言っていました」などという場合は、 「あなたに」は「歌ってほしい」だけに掛かることもあるでしょう。 ただ、 「先生はあなたに歌ってほしいと言い残して行った」という文であれば、 「言い残す」という言葉自体に「伝える」という意味が含まれているので、(省略されている)「伝える」にも掛かると考えて良いでしょう。 c.この項で重要なのは、 「ほしい」は願望なので 「ように」という依頼・命令と同類に捉えないほうが良いという点です。 依頼・命令は「伝える」という要素を含みますが、願望は必ずしもそれを含むとは限らないからです。 6. >たとえば、一緒にお化け屋敷に入ろうとする場面で、先生は先に入るのがこわいので「君が先に行ってください」などという場合です。 >「Aが先に行くように」という表現が間接話法として誤りである、ということではありません。 この特殊なシチュエーションをお借りします。また、先生と私のほかに、奥さんもいるとします。先生が私に言った「君が先に行ってください」という言葉は私ははっきり聞こえませんでした。すると、「え? 先生は何とおっしゃいましたか」と聞きました。その時、もし奥さんから先生のその言葉を私に伝えるなら、「先生はAが先に行くように(と)言っていました」は正しいのでしょうか。 :正しいです。 もう少し女性らしい砕けた表現で、 「(先生は)Aが先に行くように(と)言ったのよ」 「先生はAが先に行くように(と)おっしゃったのよ」 などとするとベターでしょう。 【すると、「え? 先生は何とおっしゃいましたか」と聞きました。】 ではなく、 『そこで、「え? 先生は何とおっしゃいましたか」と聞きました。』 です。 不明点が残るようでしたら、納得いくまで何度でも補足してください。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご返事ありがとうございました。何度も頭を痛ませて申し訳ありません。糸口はなんとか見つかるようになりました。「てほしい」の特殊な場合の「自分の願望(要請)を棒読みする」というニュアンスは新しい発見です。「ように」と同類に捉えないようにします。本当に掘り下げていくほどおいしいものが見つかりますね。ご馳走様でした(^-^)。

  • hakobulu
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回答No.5

ご返事ありがとうございました。 {先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った} ◆ >たとえば、私の名前をAだとします。先生と一緒に花見にいく約束がありました。しかし、友人を見送らなければならないので、先生は【 】という伝言を奥さんに頼みました。 1.【私に先に行ってもらう】(自分に「してもらう」を使うのはどうもおかしい) 2.【私に先に行ってほしい】 3.【私に先に行くように】 4.【私が先に行くように】 ーーーーーーーーーー :2(直接話法=「先に行ってほしい」)、または3(間接話法=「先に行くように」)でしょうね。 ◆ >奥さんが私に会った時に、普通どのように伝えるのでしょうか。先ほどの四例の中の「私」を「私の名前A」に変えたら自然なのでしょうか。 1.先生はAに先に行ってもらうと言っていました。 2.先生はAに先に行ってほしいと言っていました。 3.先生はAに先に行くようにと(←この「と」は省略可能?)言っていました。 4.先生はAが先に行くようにと言っていました。 聞きたかったのは、先生が直接にAに言う「A、してください」という話がもし奥さんを経由してAに伝える場合、奥さんの口から普通「A【に】するように」になるのか、ということです。「A【が】するように」はやはりおかしいのでしょうか。 ーーーーーーーーーー まず、奥さんがAを呼び捨てにできる関係にあれば別ですが、普通はAではなく「あなた」あるいは「Aさん」と言うでしょうね。 1と2は直接話法ですが、先生の言った言葉は微妙に違っています。 1.先生は「Aに先に行ってもらう」と言っていました。 2.先生はAに「先に行ってほしい(と伝えておいてくれ)」と言っていました。 ということになります。 3は最も適切な表現です。(「と」は省略可能です) 「ように」は、下記の「(6)願いや希望、依頼や軽い命令などの意を表す。」です。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?id=2004050-0000&kind=jn&mode=5 「先生はAさんに先に行くように(という意味のことを伝えるように)言っていました。」 という間接話法と捉えるのが最も自然でしょう。 【Aさんに伝えるように】という文の省略形という解釈が妥当だろうと思います。 現在、奥さんは【伝えるという行為を実行中】なわけですから、わざわざ「伝えるように」という先生の意図を明言する必要が無い、ということになるのでしょう。 「Aさんに」が「先に行くように」に掛かるのではないか、という考えもあるかもしれません。 しかし、それは意味としてそうなっているだけで、語法としては「伝えるように」という省略された言葉に掛かっていると考えたほうが良いでしょう。 原文の場合は、「言い残す」という言葉自体に「伝える」という意味が含まれていると思うので、「言い残して行った」に掛かると考えることができるように思います。 この点に関しては自信が無いので、僭越ですが別に質問を立てさせていただきました。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2849518.html 4は文法的というより、意味的に少し不自然になります。 なぜかというと、直接話法であっても【奥さんに話しかけている、という大前提があるのですから】、先生が「A、先に行ってください」という表現を使うことはないからです。 A本人に面と向かって言う場合でも、「A、先に行ってください」または「Aが先に行ってください」とは言いません。 「君が先にいってください」であれば自然ですが、これでも非常に特殊な場合に限られます。 たとえば、一緒にお化け屋敷に入ろうとする場面で、先生は先に入るのがこわいので「君が先に行ってください」などという場合です。 先生に用事ができてAに先に言ってほしいときは、殆どの場合、 単に『先に行ってください』と言うはずです。 本人に直接言う場合、主語をわざわざ明示するのはむしろ特殊な場合とお考えになるべきでしょう。 ですから、 「先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。」という原文の場合、 「私に」という言葉は「私」に対して【直接語りかける言葉】ではない、ということになります。 『「私」【に対して】、「待て」という命令を奥さんを通して言い残していった。』 ということでしょう。 「Aが先に行くように」という表現が間接話法として誤りである、ということではありません。 意図する内容が違ってしまうので誤りだということです。 この文の構成から、先生が奥さんに直接言った言葉は、 「【すぐ帰るから留守でも待っているように】と、Aに伝えておいてくれ。(ア)」 以外には考えられません。 奥さんがその伝言をAに話す時に、 『先生は、「【すぐ帰るから留守でも待っているように】と、Aに伝えておいてくれ。」と、言っていました。』 と言うことも可能です。 これを直接話法と言うのだと思います。 Aを目の前にした奥さんが、「」内の先生の言ったことを客観的に捉えて表現しようとすると、 「あなたに(対して)、すぐ帰るから留守でも待っているようにと(いう命令を)、言っていました。(イ)」 となるでしょう。 これが間接話法ということになると思います。 今現在「Aに伝える」という行為をしているわけですから、 『「Aに伝えておいてくれ。」(と、言っていました)』という部分を口にする必要は無いわけです。 原文では、奥さんがそう言ったことを、さらに「私」が思い出しながら書いているわけです。 間接話法のダブルパンチなので一層複雑になっている、ということだと思います。 上記の(ア)から(イ)という事実を「私」の視点から整理すると、 先生:「【すぐ帰るから留守でも待っているように】と、Aに伝えておいてくれ。(ア)」 奥さん:「あなたに(対して)、すぐ帰るから留守でも待っているようにと(いう命令を)、言っていました。(イ)」 私:『先生は「すぐ帰るから留守でも待っているように」と(奥さんを通して私に)いい残して行った。』 となるでしょう。 自分の心の中だけで整理するのであれば、 『先生は「すぐ帰るから留守でも待っているように」といい残して行った。』 だけで十分なわけです。 しかし、言い残した対象が「私」であることを読者に明確に示す必要があるので、「私に」という言葉を挿入しただけです。 結果として、 「先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。」 という文になったと考えることができます。 なかなか難しくてうまく説明できたか自信はありません。 不明点があればお手数でも再度補足お願いいたします。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご返事ありがとうございました。大変わかりやすい説明だと思いました。「私に」は「言い残す」と関係があるんでしたね。新しい質問を立てていただき心より感謝いたします。参考になりました。hakobuluさんの意味はよく理解できました。確かに、ケーキの例に似ている感覚なんですね。夏目漱石の文はすっきりいたしました。また、「Aがするように」(補足6でまた伺う)、「Aにするように」などの構造からも新しい光が見えました。申し訳ありませんが、「てほしい」という新しい疑問(補足4、5でまた伺う)が出てきました。私はこれまで『「人【に】してほしい」=「人【に】してもらう」』のように覚えています。丸暗記したので、知識を鵜呑みにする報いが来たと思います。再度の補足をよろしくお願いいたします。

awayuki_ch
質問者

補足

No.4のご回答にも一つ理解できないところがありますので、今回の補足と一緒にお伺いしたいと思います。 1. 【No.4のご回答】 >『先生はすぐ帰るから留守でも待っているようにと(奥さんを通して)私にいい残して行った』が自然な構文だと思いますが、一種の倒置法と考えていいかもしれません。 「一種の倒置法」を使ったのは、夏目漱石の文でしょうか。それとも上に挙げられた例文でしょうか。 2. >自分の心の中だけで整理するのであれば、『先生は「すぐ帰るから留守でも待っているように」といい残して行った。』だけで十分なわけです。しかし、言い残した対象が「私」であることを読者に明確に示す必要があるので、「私に」という言葉を挿入しただけです。結果として、「先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。」という文になったと考えることができます。 現代では、「私に」という言葉は普通どこに入れるのでしょうか。 3. 確認していただきたいのですが、次の二つの「言い残す」に関する文はぜんぶ自然な日本語になっているのでしょうか。 (1)「先生は私に言い残した言葉は何だったっけ」と思わず私自身に聞いた。(「言い残す相手」=「言い残す対象」=私) (2)奥さん、先生は私に言い残した言葉は何でしょうか。(「言い残す相手」=奥さん、「言い残す対象」=私) 4. >>しかし、友人を見送らなければならないので、先生は【 】という伝言を奥さんに頼みました。 >2(直接話法=「先に行ってほしい」)、または3(間接話法=「先に行くように」)でしょうね。 「てほしい」は二人称、三人称に対して使うと習ったのですが、「私に先に行ってほしい」でも問題がないのでしょうか。 5. >> 1.先生はAに先に行ってもらうと言っていました。 2.先生はAに先に行ってほしいと言っていました。 > 1.先生は「Aに先に行ってもらう」と言っていました。 2.先生はAに「先に行ってほしい(と伝えておいてくれ)」と言っていました。 記述の便利のため、「Aさん」を「A」に呼び捨てにしてしまいました。hakobuluさんのおっしゃる「さん」と「あなた」のことはよくわかっています。記述の便利のため、Aと呼び捨てさせていただきます。 「てほしい」と「てもらう」とこの二つの文型を習った時に、『「人【に】してほしい」=「人【に】してもらう」』のように丸暗記しました。いま疑問に感じたところは、なぜ2の「Aに」を括弧に入れられなかったのでしょうか。「Aに先に行ってほしい」という言葉は直接に先生の口から奥さんに発する可能性はないのでしょうか。 「人にしてほしい」の「人」が三人称だったら、普通「と伝えておいてくれ」というニュアンスが含まれているのでしょうか。しかも、その「人に」の「に」は「してほしい」に掛かるのではなく、「伝える」という動詞(時々省略される)に掛かるのでしょうか。 6. >たとえば、一緒にお化け屋敷に入ろうとする場面で、先生は先に入るのがこわいので「君が先に行ってください」などという場合です。 >「Aが先に行くように」という表現が間接話法として誤りである、ということではありません。 この特殊なシチュエーションをお借りします。また、先生と私のほかに、奥さんもいるとします。先生が私に言った「君が先に行ってください」という言葉は私ははっきり聞こえませんでした。すると、「え? 先生は何とおっしゃいましたか」と聞きました。その時、もし奥さんから先生のその言葉を私に伝えるなら、「先生はAが先に行くように(と)言っていました」は正しいのでしょうか。

  • hakobulu
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回答No.4

ご返事ありがとうございました。 {先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った} >原文の中の「私に」の「に」はどの動詞と関係があるのでしょうか。それともその動詞自体が省略されるのでしょうか。 >「Aに待っているように」という構造がよくわかりません。なぜ「A」の後ろは「が」、「を」ではなく、「に」になるのでしょうか。「に」はいったいどの動詞によって決められるのでしょうか。 ーーーーーーーーーー :間接話法なので構文が複雑になっています。 #3で、 『原文の「私」は「言い残す」(「私に言い残す」)と関係があるの(←この「の」はあったほうがいい?)でしょうか。』 というご質問に対して、『関係ありません』と回答したのは誤りですね。 『言い残した相手は奥さんですが、言い残した対象は「私」です。』 と答えるべきでした。 申し訳ありません。(-_-);;; 「言い残す相手」と「言い残す対象」が常に同じとは限らない、とお考えになれば良いかもしれません。 お母さんが「これお祖父さんからのプレゼントよ」と言ってawayuki_chさんにケーキを渡してくれたとします。 「お祖父さんからケーキをもらった」わけですが、受け渡し時の状況としては、 「お母さんからケーキをもらった」でも間違いではありません。 それと似ているかもしれませんね。 混乱を招くような説明をしてしまい失礼しました。 前後の文脈から、言い残した対象は「私」ということがわかるので、作者によっては、 「先生はすぐ帰るから留守でも待っているようにと奥さんにいい残して行った」 と表現する場合もあるように思います。 『先生はすぐ帰るから留守でも待っているようにと(奥さんを通して)私にいい残して行った』 が自然な構文だと思いますが、一種の倒置法と考えていいかもしれません。 不明点は納得いくまで、お手数ですが何度でも補足していただくようお願いいたします。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご返事ありがとうございました。「言い残す相手」と「言い残す対象」が常に同じとは限らないはすでにわかりました。でも、「Aがするように」と「Aにするように」のどちらが正しいのか困っています。何度も本当に申し訳ありません。

awayuki_ch
質問者

補足

>#3で、『原文の「私」は「言い残す」(「私に言い残す」)と関係があるの(←この「の」はあったほうがいい?)でしょうか。』というご質問に対して、『関係ありません』と回答したのは誤りですね。『言い残した相手は奥さんですが、言い残した対象は「私」です。』と答えるべきでした。 いえいえ。『「言い残す」と関係ありません』と回答していただきたかったんです。私にとって理解しやすいのはたぶん『「待つ」と関係がある』という答えです。 たとえば、私の名前をAだとします。先生と一緒に花見にいく約束がありました。しかし、友人を見送らなければならないので、先生は【 】という伝言を奥さんに頼みました。 上の段落の中の【 】の部分は普通どのように書くのでしょうか。それをとても知りたいです。いくつかの書き方を考えてみました。全部正しい日本語になっているのでしょうか。 1.【私に先に行ってもらう】(自分に「してもらう」を使うのはどうもおかしい) 2.【私に先に行ってほしい】 3.【私に先に行くように】 4.【私が先に行くように】 奥さんが私に会った時に、普通どのように伝えるのでしょうか。先ほどの四例の中の「私」を「私の名前A」に変えたら自然なのでしょうか。 1.先生はAに先に行ってもらうと言っていました。 2.先生はAに先に行ってほしいと言っていました。 3.先生はAに先に行くようにと(←この「と」は省略可能?)言っていました。 4.先生はAが先に行くようにと言っていました。 聞きたかったのは、先生が直接にAに言う「A、してください」という話がもし奥さんを経由してAに伝える場合、奥さんの口から普通「A【に】するように」になるのか、ということです。「A【が】するように」はやはりおかしいのでしょうか。 「A、してください」の場合は、「A【が】してください」ということになっているので、「A【が】するように」が正しいと思ったわけです。申し訳ありません、頭はまだ混乱中です。間接話法は私にとってとても難しいです。再度のご説明をお願いいたします。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.3

ご返事ありがとうございました。 1、 「先生はすぐ帰るから留守でも私を待たせるようにと言い残して行った」の「私」は「待つ」(「私を待たせる」)と関係があるのに対して、原文の「私」は「言い残す」(「私に言い残す」)と関係があるの(←この「の」はあったほうがいい?)でしょうか。 :関係はありません。 言い残したのは、あくまで奥さんに対してです。 (原作ではあり得ませんが)「私に言い残す」という意味にするためには、 「先生はすぐ帰るから留守でも待っているようにと私にいい残して行った。」 「先生は私にすぐ帰るから留守でも待っているようにといい残して行った」 などとする必要があります。 >関係があるの(←この「の」はあったほうがいい?)でしょうか。 :この場合は大差ないような気がしますが、どちらかといえばあったほうが良いでしょう。 2、 (1)このような言い方は本当にあるのでしょうか。 (2)このような言い方は本当にあるでしょうか。 (1)は普通「このような言い方は本当にある」という観点を非常に確認してもらいたい時、あるいは、『私は「このような言い方はある」と思わない』というニュアンスを出したい時に使うと思います。この場合の「の」は一種の強調になり、迫ってくる感じがし、強く聞こえる(耳ざわり)のではないでしょうか。(1)は(2)より丁寧に聞こえるのでしょうか。 単に「このような言い方はある」という観点について聞きたいだけなら、2を使うと思います。 ーーーーーーーーーー a.おっしゃることは良くわかります。 確かにそういう場合もよくありますよね。 {>『私は「このような言い方はある」と思わない』というニュアンスを出したい時に使うと思います} というご指摘はそのとおりです。 しかし、 {>単に「このような言い方はある」という観点について聞きたい}時の丁寧な言い方としても使える表現です。 これはシチュエーション、及びイントネーションによって違ってくるように思います。 ですから、話し手に強く言う意図がなくても、聞き手にとっては強く聞こえる場合もあるでしょう。 ただ、会話の基本として、どのような内容について話し合っているのか、という認識が両者一致している必要があります。 それが一致していれば誤って解釈されることは少ないと思われます。 (EX1) 最初から意見の違うA,B2人が激しい討論をしていたとしましょう。 Aが客観的に考えて明らかに正しくないようなことを言ったとします。 その時Bが、 「そういった考え方は本当に正しいのでしょうか。」 と言えば、 明らかに批判的な強い口調になっているでしょう。 また、文脈から両者の対立関係が明らかになっていれば、 「>一種の強調になり、迫ってくる感じがし、強く聞こえる(耳ざわり)」と解釈するのが妥当です。 (EX2) テレビのキャスターが、著名な科学者にインタビューする場面を考えてみましょう。 科学には全く疎いキャスターが、ある科学的考え方について質問しているというシチュエーションです。 「そういった考え方は本当に正しいでしょうか。」という表現は、 【正しいのか間違っているのか、はっきり答えてください】という強いニュアンスが込められることになるでしょう。 「そういった考え方は本当に正しいのでしょうか。」と言うことによって、純粋な質問として婉曲的に(優しく)表現することが可能になると思います。 b.>私の考え方は間違っているの(←とても確認してもらいたい気持ちがあるので、「の」を使った)でしょうか。 :間違っているとは思いません。 aで述べたように、シチュエーションによって違ってくるということだろうと思います。 「>←とても確認してもらいたい気持ちがあるので、「の」を使った」 とおっしゃっていますね。 これは、強調という見方もできますが、強調の対象になっているのは、『間違っているかどうか本当にわからない』という心理でしょう。 強く問い質しているというわけではないと思います。 この場合、 「私は間違っているでしょうか」とすると、 「私は間違っているでしょうか。(いや、そんなことはないだろう)」と強く言うニュアンスになるように思います。 それだからこそ「の」を使うのではないかという気がします。 しかし、無論、おっしゃるように、 『「私は間違っている」と思わない』というニュアンスを出したい時に(awayuki_chさんがご自分の考え方に自信のある時ですね)、 「私は間違っているのでしょうか」と表現することもできます。 その時々の状況に応じて人の感覚も違ってきますから、強く言いたいこともあるでしょうし、婉曲に(丁寧に)言いたいこともあるでしょう。 「の」は、どちらの場面でも使えるので、その場面の状況を把握することが、お互いの意図を正しく理解するためには必要になるということになりそうです。 どちらにも共通する定義を確定するのは難しいですが、あえて述べてみれば、 「の」は、【そのもの自体】ではなく【間接的対象】として話題を取り上げる作用を持っている。 この【間接性】によって、 (ア)婉曲を意図することもできるし、 (イ)【客観的に際立たせる】という意味で強調を意図することもできる。 という感じになるでしょうか。 ◆ 豆乳も健康的でいいですね。 >枕元ライトにタイマー設定という機能がついていない :下のようなタイマーをコンセントに差し込んでいるだけです。 以前は私もたくさん寄付していました。(^^;) http://ctlg.national.jp/product/lineup.do?pg=03&scd=00003867 首と風邪に気をつけます。 春と冬の綱引きは、なかなか決着がつかないようです。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご返事ありがとうございました。「の」の感覚はよくわかりました。大変助かりました。今回教えていただいた使い方とこれまで覚えてきた使い方を両方把握していいということですね。今回の丁寧な使い方の「の」をこれから意識して質問文を書きます。間違っていたら、ご指摘ください。申し訳ありませんが、「私に」の「に」はなかなか納得できなくて自分でまだ文を作れません。再度説明お願いします。タイマーのHPを拝見しました。このような便利なものもあるんですね。現代の科学の発展に驚かされます。こちらで探してみます。なかったら、日本から購入します。いまのところは五番目の季節かもしれませんが、新たな命を育む春が勝るのに決まっているのではないでしょうか。

awayuki_ch
質問者

補足

「先生はすぐ帰るから留守でも私を待たせるようにと言い残して行った」の「私」は「待つ」(「私を待たせる」)という動詞と関係がありますね。原文の中の「私に」の「に」はどの動詞と関係があるのでしょうか。それともその動詞自体が省略されるのでしょうか。 「Aに待っているように」という構造がよくわかりません。なぜ「A」の後ろは「が」、「を」ではなく、「に」になるのでしょうか。「に」はいったいどの動詞によって決められるのでしょうか。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.2

ご返事ありがとうございました。 1、 {先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。} a.仮に「私」の名前をAとしましょう。 先生は奥さんに対して、 『「すぐ帰るから留守でも待っているように」とAに言っておいてくれ』 と奥さんに言い残して出かけたのです。 そのことを奥さんが「私」に伝える場合は原文のような表現になるでしょう。 「>奥さんの口から間接に先生の伝言を聞いた」わけです。 「私宛ての伝言」を奥さんに言い残したということになります。 b.>「先生はすぐ帰るから留守でも私を待たせるようにと言い残して行った」はおかしい日本語でしょうか。 :おかしくはありませんが【言い残した内容】が微妙に違ってきます。 上記の 『「すぐ帰るから留守でも待っているように」とAに言っておいてくれ』ではなく、 『留守でもAを待たせるように』と言い残したことになります。 この場合、私宛の伝言はありません。 不明点が残る場合は、再度補足お願いします。 2、 >時々「の」がいるほうがいい、時々「の」がいらないほうがいいようです。 a.「でしょうか」は、「不確定なことについての疑問・質問」です。 「のでしょうか」と言う場合は、『という状況(状態)になるのでしょうか』というニュアンスになります。 個人的な考えですが、 「でしょうか」は純粋な疑問形で、場合によっては明確な断定的回答を要求するニュアンスになるため切迫感を伴なう。 「のでしょうか」は、婉曲な疑問形を作ることが可能だが、(婉曲が)不要な場合に用いると冗漫なニュアンスが込められてしまう。 と解釈して良いのではないかという気がします。 下記も参考にしてみてください。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%CE%A4%C7&kind=jn&mode=0&base=1&row=3 b.>なぜ『「そこまで来て」の「そこ」はいったいどこを指す【のでしょう】か。』のほうが丁寧な表現になるの(←この「の」も丁寧な感じ?)でしょうか。 (ア)疑問・質問という形式は、基本的に「相手を問い詰める」要素を含みますが、 「の」という語でそれを婉曲的に表現できる場合があるからです。 なぜ「の」に婉曲的作用があるのかという点に関しては難しいですが、 「の」が『ということ』『という状況(状態)』という意味も含んでいるために、【そのもの自体】ではなく【間接的対象】として話題を取り上げることができるからではないか、と思います。 (イ)この場合は文頭に「なぜ」とありますから選択の余地はありません。 「なぜ~丁寧な表現になるでしょうか。」という表現はできないということです。 c.>なぜ「何番目にあたる【の】でしょうか」はやや冗漫な印象を与えることになるの(←この「の」はどんな感じ?)でしょうか。 (ア)すでに示されている(17)の補助動詞の用法の中から選べばよいだけなので、相手固有の考えを尋ねているわけではありません。 そのため、どちらかといえば婉曲的に問う必要性が薄いからです。 (イ)bと同じで、「なぜ~冗漫な印象を与えることになるでしょうか」 という表現はありません。 (ex) 私が山で遭難して一週間何も食べていなかったとします。 やっと助けられて、ある部屋に連れて来られました。 目の前にはおいしそうなパンがたくさん積んであります。 私は、 「食べてもいいのでしょうか」とは恐らく言わないように思います。 「食べてもいいでしょうか」と言うはずです。 「このパンを食べてもいい【という状況】にあるのでしょうか」と、間接的な表現を意図するような余裕は無いと思うからです。 今回の補足の内容はネイティブにとっても難しいところだと思います。 うまく説明できたか自信がありません。 シチュエーションによっても微妙に違ってくる可能性もあるかもしれません。 系統立ててご説明できなくて申し訳ないと思います。 方向性を変えて考えることもしてみたいので、納得いくまで補足してみてください。 ◆ 牛乳は栄養がありますし、メラトニンという物質が脈拍や体温、血圧を低下させて眠りに導く効果があるので、寝る前に暖かくして飲むといいらしいですね。 awayuki_chさんは時々お飲みになりますか。 私は苦手で全くだめです。 その代わりというわけではありませんが、枕元ライトのタイマー設定をしておいて、ベッドで横になりながら必ず本を読みます。 いつの間にか寝てしまいます。(^^;)  

awayuki_ch
質問者

お礼

 ご返事ありがとうございました。「私」の名前をAとしてみたら、理解しやすくなりました。原文と私の作った文の違い「私宛ての伝言」と「私宛の伝言はない」のことはよくわかりました。どうもこれまで「の」の役割を間違えたようです。牛乳は飲みません。特に、暖かい牛乳は苦手で全くだめです。豆乳を飲んでいます。「豆乳一杯→お風呂→ベッドに上がる→読書時間→寝る」のような習性です。(寝る前の読書時間を楽しんでいるのからすれば、hakobuluさんとは同類^^)私の枕元ライトにタイマー設定という機能がついていないので、時々電信会社に寄付せざるを得ません。次の日の朝は必ず母に怒られます。また、首がおかしくなる場合もあります。直るまで一週間ぐらいかかったという記録を保持しています(^-^;)。hakobuluさんも首に気をつけたほうが……。それから風のことですね。

awayuki_ch
質問者

補足

1. 「先生はすぐ帰るから留守でも私を待たせるようにと言い残して行った」の「私」は「待つ」(「私を待たせる」)と関係があるのに対して、原文の「私」は「言い残す」(「私に言い残す」)と関係があるの(←この「の」はあったほうがいい?)でしょうか。 2. 今回のような「の」は理解できました。でも、これまで習得した「の」の使い方と矛盾になっているところがあるようで、もう少しお伺いしたいと思います。頭の中に「の」の役割について次のような記憶が残っています。 (1)このような言い方は本当にあるのでしょうか。 (2)このような言い方は本当にあるでしょうか。 (1)は普通「このような言い方は本当にある」という観点を非常に確認してもらいたい時、あるいは、『私は「このような言い方はある」と思わない』というニュアンスを出したい時に使うと思います。この場合の「の」は一種の強調になり、迫ってくる感じがし、強く聞こえる(耳ざわり)のではないでしょうか。(1)は(2)より丁寧に聞こえるのでしょうか。 単に「このような言い方はある」という観点について聞きたいだけなら、2を使うと思います。 上のように考えてみたら、(2)のほうが優しく聞こえる言い方になるのではないでしょうか。私の考え方は間違っているの(←とても確認してもらいたい気持ちがあるので、「の」を使った)でしょうか。

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