• ベストアンサー

年たけてまた越ゆべしと・・・(西行)について

新古今和歌集の西行法師の歌、 『年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山』 は、どう訳せばいいのでしょうか? また、解釈についてのサイトなどはありますでしょうか? ご回答、よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sosdada
  • ベストアンサー率33% (265/792)
回答No.1

年をとってからまた越えることになると(若い頃に)思っただろうか、いや思わなかった。命があるからだなあ。この静岡県掛川市の小夜の中山越えは。「けり」は詠嘆。

yu-pai
質問者

お礼

ご回答有難うございました! けりは詠嘆なんですね。 丁寧に訳していただけて、よくわかりました。

関連するQ&A

  • 新古今和歌集 西行法師

    新古今和歌集 西行法師 [道の辺に清水流るる柳かげ しばしとてこそ立ちどまりつれ] 現代語訳 [道のほとりに清水が流れている、 柳の木陰よ。 ほんのしばらくと思って、立ち止まったのであったが。] の歌に対する鑑賞文を書いてください。

  • 短歌の区切りがわかりません

    (例) 年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山 (答)三・四切れ 区切れとはどういう風に考えたらよいのでしょうか? 初切れ、二区切れの意味もわかりません。 解説のほうよろしくお願いします。

  • 新古今和歌集の訳・品詞分解

    新古今和歌集で 「西行法師、すすめて、百首歌詠ませはべりけるに 見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ                        藤原定家」 これについて「西行法師、すすめて、百首歌詠ませはべりけるに」の部分の訳がわかりません。 また、「見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ」の品詞分解、修辞を教えてください。

  • 【古文】係助詞と終助詞について

    高1古文の教科書に出てきたのですが・・・ 新古今和歌集 「年たけて また越ゆべしと 思ひきや いのちなりけり さ夜の中山」 この歌の、思ひきやの「や」は係助詞なのでしょうか?終助詞なのでしょうか? 辞書や教科書ガイドには「反語の係助詞」と書いてあるのですが、先生は「「けり」じゃ結べないのだから終助詞だ」と言います。 よろしくお願いします

  • 西行法師の和歌全文と出典名

    知人からはがきが届きました。 「春おそくーーーー花の別となるらん」 というのは、たしか西行法師の歌ではなかったかという問いなのです。 上の和歌の全文と出典名を、もしご存知の方お教えください。

  • 西行法師の歌集(現代語訳つき)を探しています。

    メインは山家集になるかと思います。 古今和歌集にも多く含まれていると聞きました。 これらの、訳されたものも一緒に載っている本を探しています。 近くの本屋になかなかなく、また、ネット書店では中まで分からないので… 自分できちんと意味が取れればいいのですが、どうにも古文から離れて○年(二桁)、意味を捕らえ違えていない自信がありません。 辞書と首っ引きでもどうも…(雲居が宮中の隠語なんて分かりませんでした!) できる限り自分で読みつつ、でも間違えていないよな~という確認をしたいので、 訳つきの本を探しています。 できればたくさん載っているものがありがたいですが、 …できれば安いもので…(2万、とかは…できれば高くても2~3,000だとありがたいです…) 今手元にあるのは、岩波新書の「西行」です。 また、参考にするによいサイトもご存知でしたら教えていただけると幸いです。 よろしくお願いします。

  • 古今和歌集について

    今レポートで古今和歌集撰者の壬生忠岑について調べています。 和歌大辞典等の本にのっている忠岑の歌の解釈は大体みました。それで今はネットでいろいろと調べています。古今集の忠岑の歌について解釈が載っているようなページを知っている方いましたら、教えてください。

  • 古今和歌集の歌 「夏と秋と…」

    夏と秋と 行きかふ空のかよひぢは かたへ涼しき風やふくらん 古今和歌集の歌ですが、ぼんやりとしか意味が分かりません。これを詠んだ人と、一般的な解釈を教えて欲しいのですが… 道ならぬ恋愛になぞらえて解釈した人がいて、それも分かれば、ぜひお願いします。

  • 書き初めは?

    書き初めなさいましたか? 小生は 細筆で和歌を書きました♪ 題材は、元永本古今集から…春の歌です♪ 桜の木農もとにて …遍昭法師 山風尓桜吹蒔亂南 花の末支れ尓 たちと末る部九 書き終えて 桜吹雪の下にて 冷や酒で乾杯しています(笑)♪ さて、、、 皆さんの書き初めは 何を書かれましたか?

  • 僧侶の恋の歌

    古今和歌集770 わが宿は道もなきまで荒れにけりつれなき人を待つとせし間に この歌は恋の歌ですが、 僧侶の作なので題詠、女に代わって詠んだもの、 僧侶本人の心情を詠んだものと3通り解釈されています。 「僧侶の作なので」というのは僧侶は恋をしないという事なのでしょうか? なぜ「女」に代わって詠んだものとされるのでしょうか? いくつかの本を調べたのですが、どれもさくっとしか書かれていないので、 どうにも納得できません。教えてください。