• ベストアンサー

破格の家老

御三家・越前松平の本多家・長州毛利の吉川家・熊本細川のの松井家(八代城主)・仙台伊達の片倉家(白石城主)・安芸浅野の浅野家(三原城主)・加賀八家以外で、公儀から特別扱いを受けた家老は他にもいたでしょうか? 御三家の場合、附家老とそうでない渡辺半蔵氏などの家老とでは、城主である事以外に何か差があったでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

御三家の家老については附家老は当然、諸大夫になれましたが、そのほかの家老についても全員ではありませんが一定の人数(尾張・紀伊で8人)は諸大夫になれることになっていました。 加賀藩の八家についても4人は諸大夫になれました。 これらはどの家柄がなれるとは決まってはいませんでしたが、両前田、本多については当主が幼少でない限り諸大夫の枠があいていればまずなれました。

noname#30350
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 尾州・紀州は8人諸太夫だったのですね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 将軍の姫が・・・

    広島藩の家老の三原浅野氏に、将軍の姫が嫁いだと聞きました。いくら三万石の城主とは言え、陪臣の正室に将軍家の姫君が嫁いだというのはビックリしました。 詳しい経緯を教えて頂ければ幸いです。 三原浅野家は御三家附家老の様に、諸侯に準ずる扱いだったのでしょうか?従五位下に叙任されたりしていたのでしょうか?

  • 御三家の附家老について

    よく御三家の附家老は、江戸城に伺候席も無く、本来大名筋の家なのに陪臣の身になった、と言われます。 ある意味、柳間に席があった越前の本多家の方が恵まれていたとも聞きます。 でも、水野家や中山家などには、大名の姫が嫁いでいますし、娘が大名の室になっていたりするようです。 朝散太夫にも叙任されていますし、そういう意味では、他の大名には陪臣ながら大名と同格の家だと認識されていたのでしょうか? ただ、戒名の格式?などは大名より劣っていて、交代寄合の旗本と同格の格式だと聞きました。 附家老についてご意見を頂戴できれば幸いです。

  • もし、関が原で西軍が勝利してたら?

    東西の大名(石高の隣、○印は関ヶ原に布陣した大名、●は寝返った大名) 徳川家康 ○ 255.0 西軍 毛利輝元 120.5 前田利長 83.0    上杉景勝 120.0 伊達政宗 58.0    島津義久 73.0 加藤清正 24.5    宇喜多秀家 ○ 57.4 福島正則 ○ 20.0   佐竹義宣 56.0 細川忠興 ○ 18.0   石田三成 ○ 19.4 浅野幸長 ○ 16.0   小西行長 ○ 20.0 池田輝政 ○ 15.2   増田長盛 20.0 黒田長政 ○ 18.0   小川祐忠 ● 7.0 加藤嘉明 ○ 10.0   大谷吉継 ○ 5.0 田中吉政 ○ 10.0   脇坂安治 ● 3.3 藤堂高虎 ○ 8.0   安国寺恵瓊 ○ 6.0 最上義光 24.0   小早川秀秋● 35.7 山内一豊 ○ 6.9   織田秀信 13.5 蜂須賀至鎮 17.7   長宗我部盛親 ○ 22.0 本多忠勝 ○ 10.0   朽木元綱 ● 1.0 寺沢広高 ○ 8.0   赤座直保 ● 2.0 生駒一正 ○ 15.0   吉川広家 ● 14.2 井伊直政 ○ 12.0   長束正家 5.0 松平忠吉 ○ 10.0   毛利秀元 ○ 20.0 筒井定次 ○ 20.0   戸田勝成 ○ 1.0 京極高知 ○ 10.0   真田昌幸 3.8 本多忠勝・井伊直政・松平忠吉の所領は徳川家康の、毛利秀元・吉川広家の所領は毛利輝元の領地に含まれます。 あなたが、輝元あるいは三成、もしくは西軍サイドで勝利したあとの処断・処遇を任せられたとしたら・・ どういった裁きをしますか? 歴史に詳しい方や、自分だったらこういう処断・処遇にするといった考えの方など、様々な回答をお待ちしてます!

  • 守名乗りについて

    江戸時代、武家の守名乗りは大名・諸太夫の役職に就いた者・三千石以上の大身旗本に許されていたと思います。 陪審でも、御三家御附家老や加賀八家のように従五位下に叙任される特格の家柄はあったと思いますが、一般の大名家の家臣(特に重臣層)が守名乗り(越前守・讃岐守・縫殿頭など)をすることは出来たのでしょうか? 「かみ(守・正など)」を付けずに山田安芸、田中勘解由、鈴木民部、山本隼人と名乗ることは普通にあったと思いますが、「かみ(守)」を付けて名乗ることはどうだったのでしょうか? 公式には許されてなかった場合、○○守の私称がまかり通っていたとするならば、○○守で公文書に署名することは出来たのでしょうか。 大石内蔵助の内蔵助も正式な官名だと思うのですが、旗本では大身しか許されていないものを、陪臣にすぎない大名家の家臣が「大石内蔵」ではなく「大石内蔵助」と名乗ることは問題なかったのでしょうか。 ご意見を賜れれば幸甚です。

  • 家老

    藩によって違うと思いますが、大名家の筆頭家老(城代)は、他の家老を国務大臣としたら、総理大臣に相当する権限があったのでしょうか?それとも筆頭家老はそこまでの権限を有しておらず、家老の合議で政策を決めていたのでしょうか?

  • 上代家老と筆頭家老

    昨日、テレビで「赤穂浪士」(14:00~18:00)を見ました。 主演 大石内蔵助(中村勘九郎)、浅野内匠頭(東山紀之)でしたが、 そのなかで、筆頭家老と上代家老という言葉が出てきたのですが どちらが、上司になるのでしょうか? 今までだと何気に聞き流してたのですか、今回は、ちょっと、 ??となりました。 数人いる上代家老のまとめ役が筆頭家老、、、なのでしょうか? 宜しくお願い致します。

  • 「必殺」シリーズの悪役と言えば、老中・江戸町奉行・江戸町奉行所与力と内

    「必殺」シリーズの悪役と言えば、老中・江戸町奉行・江戸町奉行所与力と内与力と同心・勘定奉行・代官・大奥女中・火付盗賊改・乱行大名・悪徳商人などが定番ですが、長崎奉行・京都所司代・京都町奉行・京都六角牢屋敷の雑色・禁裏附・大坂城代・駿府城代・大坂町奉行・日光例幣使・御数寄屋坊主・大目付・御目付・高家(今川氏・織田氏・六角氏など)・参勤交代した旗本=交代寄合(本堂氏・生駒氏・山名氏など)・関東取締出役・御三家・御三卿・五摂家・勅使・武家伝奏・議奏・御三家付家老五家・対馬藩倭館館守・薩摩藩琉球在番奉行・松前藩主・大藩の万石級の大名家臣(徳島藩の稲田氏・薩摩藩の種子島氏・仙台藩の片倉氏・加賀藩の長氏・奥村氏・佐賀藩の諌早氏・高知藩の伊賀氏・広島藩の上田氏・彦根藩の木俣氏など)・寺社奉行・勘定吟味役・甲府勤番支配・山田奉行・飛騨郡代・西国郡代(九州日田)・美濃郡代・奈良奉行・佐渡奉行・御鉄砲百人組頭・大番頭・書院番頭・小姓組番頭・中川番・天文方・阿蘭陀商館長・商館員・清国人商人(唐人)・門跡寺院坊官・公家(土御門氏・日野氏・綾小路氏など)・公家侍・寺侍・大身旗本(横田氏・本多氏・安藤氏など)など、他にも悪役で登場すると面白そうな素材がたくさんあると思うのですが、何故同じ様な悪者ばかり出るのでしょうか?ご回答よろしくお願い致します。

  • 家老のお付き合い

    藩の家老が家中の大店の子供の結婚式に媒酌人をする事ってあったのですか?

  • 破格の待遇

    江戸時代の大名について、破格の待遇を受けていた例を教えて下さい。 例えば、鳥取池田家は三つ葉葵の紋を許されていたとか、加賀前田家が大廊下詰で家老(加賀八家)も従五位下に叙任されていたとか、宇和島伊達家は准国持ちながら歴代少将に叙任される事が多かったとか、そういう破格な例はありますでしょうか?

  • 破格のセドリックなんですが…

     近所の車屋さんで車を探してもらってたんですが、欲しい車種がなかなか見つからずどうしようかと思っていました。  そこへ、その車屋の従業員さんが展示中のY32グロリアを安くするよといってくれています。しかも来年の3月で車検が切れるんですがそのときの車検代(諸費用,税金10万くらい)も車屋さんで持ってくれるそうです。  以前,その車屋で買った下取り車が買って三ヶ月で壊れたしまったことを申し訳無く思っていてのことだそうです。あまりに破格なのでこの価格は現実的なものなのか分かりません。教えてください。もしかしたら、メーター戻しとかあるのかもと思ってしまうのですが。  グロリアの状態↓↓↓ 走行 51000km 車検 17年3月(次回の車検代込み) (エンジンは素人目で錆びもほとんど無くマフラーなどの下回りも多少赤茶色になっている程度でした。ボディは細かい傷が所々あるのとバンパーの角の形状が左右微妙に違うので補修しているようです。車屋さんが言うには事故歴、修復歴はないそうです。業者オークションでし入れたそうなんですがそのときの評価は4で2オーナで整備手帳は5,6年前まで残っているそうです) あと,これはべつの質問なんですがセドリックとグロリアの違いはどこにあるのでしょうか??