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知性とは結局のところ数学か

liar_adanの回答

  • liar_adan
  • ベストアンサー率48% (730/1515)
回答No.4

おもしろい質問だと思います。 誰も口にしないけれど、理系の人間の大半は 「文系の科学はくだらない」と考えています。 それと似た面があります。 実は私も、理系人間でして、高校ぐらいまで「文系はくだらない」と考えていました。 ですがすぐれた国語教師に教えられて考えを変えました。 文芸評論などはしっかりしたものではない、というのは、その通りだと思います。 またそれは、評論家の方も承知しているはずです。 評論家に「あなたの解釈が絶対に正しいか?」 と聞いても、よっぽどの自信家でない限り 「絶対に正しいとは言えない」と答えるでしょう。 ではなぜ、本人も正しいと思わないものがまかり通るのか。 それは、評論は評論で、存在価値があるからです。 たとえば小説を読む。小説の中には、各種の「概念」が出てきます。 それは「愛」であったり、「喜び」であったり、「不幸」であったり、 ともかく、正確に定義はできないけれど、いろいろあります。 読む方が、すべての概念及びその関連を受け取ることは困難です。 作家にしても気付いていない概念、関連があります。 良い評論はそれらを気付かせ、文芸作品の価値を高めます。 数学と、文芸評論とは、形態は相当違いますが、 「概念のあいだの関連」 という意味で共通点があります。 (もっとも、「概念のあいだの関連」はすべての知的活動の 共通点でありますが) しかし二つの点で違いがあります。 ひとつは、数学は「無謬」を要求していること。 文芸評論は無謬である必要はありません。 「まちがっているが良い評論」というのも存在するくらいです。 もうひとつの点は、 数学は「真理」を目的とするのに対し、 評論は「美」、もしくは「感興」を目的とすることです。 真理を求めるサイエンスは厳密の上に成り立ちます。 厳密さがその価値です。 一方で、文系の学問は、厳密でなくてもよいのです。 感興が起こせるかどうかによって仕事の価値が決まります。 学問の目的は「真・善・美」といわれます。 数学などの自然科学は「真」を目的とし、 文系は「美」を目的とするわけです。 目的とする物が違うので、価値は比べられないのです。

noname#8565
質問者

お礼

そうなんです。liarさんの仰るとおりだと思います。 趣味判断に属する問題と数学との間に明確な断絶があるのは分かってます。 それなのに、なぜか数学とそれ以外を別物の知性として割り切れないんです。 それは突き詰めれば、文章におけるオモシロさ・美といったもののガイドラインが まるでないことに対する不安という、漠たるものに過ぎないかもしれません。 が、文学の評価のされ方、「これはすごい」という(文学的)知性への感嘆のされ方、 そうしたものの基準があまりにも不定に思えて、にっちもさっちもいかんのです。 「こんなものはどこにでもある・誰でも書ける」ものと、そうでないものとを分かつ線が 不安定すぎるんです。そういう思いが数学への憧れに転化してるだけなのかなぁ。 例えば審美問題とは別にして フロイト→レヴィ・ストロース→未開部族への数学の適用(社会学・哲学への数学の直接的介入) というフロイト以降の無数の流れのうちの一本があるじゃないですか。 この事例は数学とそれ以外のモノとの関係をどういう風に動かしたんでしょうね? 私はこのことについても一方に態度を決められません。だから数学に詳しい人、 数学的知性を持っている人に、数学とそれ以外の関係に関する、大雑把に言ってしまえば 「感想」を聞きたいのですよ。

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