atomonados の回答履歴

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  • 意見に至るまでの、あなたの内的手順を教えてください

    見て頂いてありがとうございます。 誤解が生じやすいようでしたので、表現を変えて再投稿です。 意見に至るまでの、個々の内的手順の違いについての質問です。 体感→思考(日常的思考パターン)→意見 考えに詰まった時 自分の意見・見解の提示→人の意見を聞く→気に入った意見の部分または全体の採用→新たな自分の意見 今のところ、様々な意見を拝見してますと このような構図が多いのではないかと推察しています。 個々によって、自分の意見を発するまでの道順の違いが 有るように感じましたので、皆様の日常の内的手順を 教えていただけたら助かります。 正解・不正解はありませんし、単純・複雑に良し悪しもないと考えています。 指南や意見を求めているわけではありません。 内的動向の手順が、どのような順番で日常どのように行われているか 個人差を理解したいと思っての投稿です。 流れとして知りたいので、フィードバックの場合などは こちらで解釈しますので省略されて、大きな流れとしての手順でお願いします。 よろしくお願い致します。

  • 悩み続けています

    私は小学生の頃から抱えている問題があります。 それは過ごすなかで次々に生まれる疑問に自身の知識と解決するために必要な時間が足りていないということです。 時間があれば解決できるという内容だともあまり思えないのですが、私は考えたいのです。 しかし、先ず自分を生かす必要があり、その為には働いてお金を稼がなくてはなりません。 生きていれば人間関係によって割かれる時間もあります。 小学生の頃など、まだ幼く学校に通うだけで働く必要のない立場ではありましたが人間関係で悩みました。 冗談を言い合い他愛ない話をする相手がそれなりには居ましたが、私が欲しているのは疑問の答えでそれが得られない為に虚無感に襲われていました。 現在の私にもそのような相手が居ますが、やはり満たされません。 解決されない疑問のせいで苦痛を感じない日はありません。 理解され難い希望かとは思いますが、私は疑問が消えないのなら考える時間が欲しいです。 つまり、働くということ、人と接するということをやめたいのです。 全てを絶てば疑問は今のように次々に生まれないと思うのです。 そうすれば今自分が得ている情報から生まれる疑問についてのみ考えることが出来ます。 馬鹿げてると言う人がきっと居るでしょう。 ですが、本当に苦しいのです。 問題の疑問というのは、一部を挙げると ・何故人は言葉を意味(何かを表すもの)として認識出来るのか。 ・現実とは何か。 ・皆がいう「赤」は全て同じもの(色)なのか。 ・善悪を説いたのは誰か、それにならう者はどういった考えでそれを受け入れているのか。 ・今見ているものは真か。 ・恥とは何か、どのような意義があるのか。 ・共感って?そもそも感情とは何か。 ・美味、悪臭、それらは何なのか。 このようなものです。 死を考えることもありましたが、痛みが怖くて出来ません。 ここまで書いたものの、私は働かなくてはいけないのも人間関係を絶つことが出来ないのも分かっております。 吐き出したかったのです。 こういう疑問を抱く人は大勢居るかもしれません。 ただそれを重大な問題と捉え、苦痛を感じ悩む人は多数派ではないのだろうと思っております。 この頃は自分に対する怒りや焦りのようなものを感じます。 何故ここまで気になるのだろう。 気持ちを楽にしたいです。 ですが、放りたくても放れません。 …助言をいただけたら幸いです。 文章におかしな点がありましたらどうかお許し下さい。 自分でも上手くまとめきれないのです。

  • 卵が先か鶏が先かっていう話

    これってどっちが先かによって、何が違ってくるのですか?

  • 善い

    善いとはどういうことでしょうか。 既存の哲学からでも、また私はこう考えるというものでも構いません。 よろしくお願いします。

  • 残り物に福があるとは本当ですか?

    残り物に福があるとは本当ですか? http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/171816/m0u/%E6%AE%8B%E3%82%8A%E7%89%A9/

  • 物と友達になれますか?

    物と友達になれますか?

  • 徳とは一体どのようなものでしょうか。既存の考えでも、皆様のお考えからでも結構です。よろしくお願いします。

  • こんばんは。

    こんばんは、いつもお世話になっております。 「100とは、「0」ではない」とすれば、「0」はどう定義するのでしょうか。 逆に、「「0とは、「100」ではない」」とすれば、100とは、何でしょうか。

  • こんばんは。

    こんばんは、いつもお世話になっております。 「100とは、「0」ではない」とすれば、「0」はどう定義するのでしょうか。 逆に、「「0とは、「100」ではない」」とすれば、100とは、何でしょうか。

  • この世は私が創っている幻想だ

    この世は私が創っている幻想。 私の創るこの世と他人の創るこの世は全く違うものだ。 他人のこの世と重なる所など一つもない。 だから相手から見える私は本当の私じゃない。 誰も本当の私を知る事ことはできない。 本当の私を知ってるのは私の意識だけだ。 なので人との繋がりなど必要ない。 愛も友情もただの幻想にすぎない。 何故なら私に見えてる相手は本当の相手でなければ、相手に見える私も本当の私ではないのだから。 俺正論過ぎてヤバいw だってほらっ、誰も言い返せないだろ? なんなら論破出来る奴がいるか?

  • こんばんは。

    こんばんは、いつもお世話になっております。 「100とは、「0」ではない」とすれば、「0」はどう定義するのでしょうか。 逆に、「「0とは、「100」ではない」」とすれば、100とは、何でしょうか。

  • 「考えない」事は我々に何を与えるのか?

    考えない 事で 我々はどの様な事を 察せる様に成るのか? 我々は皆全て 方向性を修正しなければ 成る様にしか成らないのか? 哲学カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ち申して おります! 参照! 知恵袋心理カテゴリー! http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q10128867520 知恵袋哲学カテゴリー! http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q13128867448

  • 本当の私とは意識のことだったのだ!

    これが真実だ! 私の中の意識は自分にしかわからないもの。相手にはけして見えなければ分かりもしないものだ。 相手に本当の私はけして分からないのだ! 相手が見ている私など偽りの私だ。顔や体など本当の私ではない。私と同じ顔と体格に整形した者が私と入れ代わっても、他人だとは誰も気づかない。顔や体などそんなものだ。私は自分の中にしかおらず、けして相手には見えないし、わからない。意識こそ本当の私なのだ! これが真実だ!事実誰も反論出来ないだろ?

  • トルストイの「アンナカレーニナ」のあなたの解釈は?

    すべての幸福な家庭は互いに似ている。不幸な家庭はそれぞれの仕方で不幸である。 という冒頭の言葉、あなたはどう解釈しますか? そして、どう自分の人生に生かそうと思いますか? ぼくのお気に入りの解釈はマンガであった「しあわせなヤツはつまらん。その人の不幸だった境遇にこそその人らしさが出る」です。 こう生かしたという実践までなさった方がいれば、なおお聞きしたいです。 はじめて聞いたという方もとくに正解はないので、気分でお答えくださいませ。

  • 《まじわり》をめぐる或る対話

     お茶が入りました。  ◆ ~~~~~~~~~~~~~~~  【あ】 なぜ、人間はコミュニケーションを求めるのか、というような、そういう問い語りです。  【い】 ちょっと変な言葉遣いをします。  「人が言うということ」は、聞かれる者において「言われること」の背後に、忘れられて残っている。この実在的なもの――つまり、人間は決して「言いたいこと」が言えないという、この現実と気持ちとの乖離こそが、人間を言語に駆り立てる原動力になっているのではないか、という事です。これは理屈ですが。では、実践へ。  【う】 例えば、僕たちは過去に経験したちょっと忘れられないような思い出について、出来事の細部までを生々しく覚えていて、語って再現する事ができる。けれど、その語る「こと」のなかには時として、その記憶の風景に自分自身が映りこんでいるときがある。  そんな経験はないでしょうか。  【え】 その場にいた自分の視覚を通じて風景は記憶されているわけだから、自分の手足や衣服の一部が映像に混入することはあっても、自分の全身像や、少なくとも自分の顔、そして目が、その映像に映り込むことはあるはずがない。けれど、記憶のなかには、時として自分のベストショットや、ひどい場合には自分の後ろ姿が映っている。いったいなぜ、自分の背中が見えてしまうのか。  そして、そこに映っているのは、いったい誰なのか。  【お】 もしそこに映っているのが自分だとしたら、その自分を見ているのは、いったい誰の視線であり、その記憶はいったい誰のものだったのか。あるとき自分の記憶を思い返してみて、このような事実に気付いてしまうと、間違いないはずの自分の記憶と、その記憶によって裏付けられた自分の正当性とのあいだに、乖離感、あるいは疎外感を、感じてしまうのではないだろうか。そして、信じていた自分の正当性は、いったいどのような言葉となって語られていたのだろうか。  【か】 このような現実を考えるとき、行為の辻褄が合うように説明してみようとすると、どうしてもこんなふうに考えざるを得ない。それはつまり、言葉は自らが本当に体験したことや、自らが本当に考えていることを明らかにし、あるいはそれを拠りどころとして、本当の自分を探り当てるために語られるのではない、ということです。  【き】 自分のなかにある、何かによって埋められることを待っている欠落感――それが、疎外感(孤独感)の原因だと思いますが――に、恐らく言葉は届かないのではないだろうか。それは、損なわれてしまった「切なさ」が、何ものを持ってしても、もう二度と埋まらないように。そうではなく、むしろ言葉が届かない何かがそこにあって、その何かを認めてあげることで初めて可能になる他者への語りこそが、その何かの要請する自らの疎外感を埋め合わせてくれるのだと思います。だからこそ、人は他者に語りかけるのではないか。だからこそ、人は他者に「愛しているよ」と語りかけていかねばならないのではないか。  僕には、そんなふうに思われます。    ☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (1) 【き】 そうではなく、むしろ言葉が届かない何かがそこにあって、その何かを認めてあげることで初めて可能になる他者への語りこそが、その何かの要請する自らの疎外感を埋め合わせてくれるのだと思います。   ☆ そうではなく むしろ言葉が届かない何かがそこにあって この何かを わたしが 飲み込むなら それは 意志が引き受け その表現としての文体が 引き受ける。その文体の或る種の陰影が 他者をして その孤独に呼応するゆえ 自己表出へと促し 自己を表現せしむる。かくて 交感と呼ばれる 文体相互の交響曲がひびく。あぁ その窪んだところの何かは 疎外感であったか それを 他者が埋めてくれた ありがたい となる。   (2) 【き】 だからこそ、人は他者に「愛しているよ」と語りかけていかねばならないのではないか。   ☆ だからこそ ひとは 何も言わずにも 分かり合える他者を持つことが出来るのではないか。たぶん 一人のみであるだろう。一人持てば その余韻として 多くのひとと分かり合えるようになるだろう。  (3) 【き】 自分のなかにある、何かによって埋められることを待っている欠落感――それが、疎外感(孤独感)の原因だと思いますが――に、恐らく言葉は届かないのではないだろうか。それは、損なわれてしまった「切なさ」が、何ものを持ってしても、もう二度と埋まらないように。     ☆ わが孤独は 何かによって埋められることを待っている欠落感を知覚した。それは それが 隣人であるのだろうか。言葉は届かない。どの隣人とかかわるのだろうか。けれども 千の切なさも わたしは 飲み込んで来た。万のうれいも 精神の胃袋に消化して来た。億の悲しみに わたしは 泣いた。けれども それらすべて 埋めてきたのではないか。損ないは すべて 覆われた。  (4) 【か】 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   このような現実を考えるとき、行為の辻褄が合うように説明してみようとすると、どうしてもこんなふうに考えざるを得ない。  それはつまり、言葉は自らが本当に体験したことや、自らが本当に考えていることを明らかにし、あるいはそれを拠りどころとして、本当の自分を探り当てるために語られるのではない、ということです。   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   ☆ わたしは わたしの孤独の知覚するままに 孤独と孤独との関係において――それが 社会というものだ―― わたしの中で 自己表出が 言葉をさがし 言葉は 自己表現を求めて 文体をかたちづくる。   打ちにこたえる鐘のひびきにて。   【Q:すべてのひとを説得することができますか】   No.12のやり取りから。   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4942224.html  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 互いに対立しているようです。  対立していますか?  どのようにですか?  孤独とは 何ですか?  不安とは どういうことですか?  対立していないと見たとき どのように止揚されていきますか?  どうでしょう。  コーヒーや紅茶もご用意できればいいのですが。・・・

  • 輪廻転生 魂と精神

    私は昔死後のイメージについて考えたことがあります。 そこでたどりついた答えが輪廻転生です。 そのときは人間は死んだら魂のみが肉体から離れこの輪廻転生をするのだと・・・。 でもある日、魂と精神は一つではないという事にもたどりつきました。 輪廻転生は魂においての意味をします。 なら精神はどうなるんでしょうか。 そもそも、魂の情報と、精神の情報は何が違うのでしょうか? たとえば命といわれてるものが魂だとします。なら精神は人格? 俗に言われてる幽体離脱は魂が肉体を離れた状態ですよね? でも世間的に?幽体離脱した際に人格を持ち合わせてますよね。 そうすると、その魂は人格を持ち合わせてることになります。 なら、精神はなんの情報を持ってますか? 世間的に認知されてるのは、幽体離脱した霊魂は糸みたいな霊糸?で肉体と繋がってますよね? なら肉体と霊魂は霊糸で繋がっているから、肉体にある精神から人格が送り込まれるから? そもそも魂と精神は一つ? 考えれば考えるほどわけわからなくなってきました。 正解を求めてるわけではありません。 こんなのに正解なんてないのだから。 ただ、あなたの持つ輪廻転生について教えていただきたい。 そこにもしかしたら私の求める真理にたどりつけるかなと思い質問させていただきます。 あっ、一回死んでみれば?・・とかそんな意見はいりませんので。

  • 輪廻転生 魂と精神

    私は昔死後のイメージについて考えたことがあります。 そこでたどりついた答えが輪廻転生です。 そのときは人間は死んだら魂のみが肉体から離れこの輪廻転生をするのだと・・・。 でもある日、魂と精神は一つではないという事にもたどりつきました。 輪廻転生は魂においての意味をします。 なら精神はどうなるんでしょうか。 そもそも、魂の情報と、精神の情報は何が違うのでしょうか? たとえば命といわれてるものが魂だとします。なら精神は人格? 俗に言われてる幽体離脱は魂が肉体を離れた状態ですよね? でも世間的に?幽体離脱した際に人格を持ち合わせてますよね。 そうすると、その魂は人格を持ち合わせてることになります。 なら、精神はなんの情報を持ってますか? 世間的に認知されてるのは、幽体離脱した霊魂は糸みたいな霊糸?で肉体と繋がってますよね? なら肉体と霊魂は霊糸で繋がっているから、肉体にある精神から人格が送り込まれるから? そもそも魂と精神は一つ? 考えれば考えるほどわけわからなくなってきました。 正解を求めてるわけではありません。 こんなのに正解なんてないのだから。 ただ、あなたの持つ輪廻転生について教えていただきたい。 そこにもしかしたら私の求める真理にたどりつけるかなと思い質問させていただきます。 あっ、一回死んでみれば?・・とかそんな意見はいりませんので。

  • 超越する者と破壊する者

    超越こそが哲学。 現在の自身の位置では答えを見出すことのできない命題に、 どれだけあがいても答えを出すことはできない。 人間を超越し、高次元に立ったときにはじめてかつての命題に 対する回答をいともたやすく導くことができる。 人間のままでは自分の抱える問題に立ち向かうことができない。 人間を超え、人間が神や悪魔と呼ぶ存在に近いもの 超越する者となることによって、 その者は人間と呼ばれていた時に抱えていた問題に対していともたやすく結論を 出すことができる。 それこそが哲学の真価。 人間を超えるには、精神が肉体を超えること。 自ら苦難と苦痛と絶望に身を置き、限界まで脳と肉体を酷使し、 それを乗り超える修練を積むことでしか肉体の楔を断ち切ることはできない。 従って怠惰こそが哲学の宿敵であり、全ての禍の元凶である。 超越する者になるためには、己を破壊する者の存在が不可欠である。 破壊する者によって初めて人間は危機感を覚え心の底からの昇華願望を持つ。 怠惰を捨てて、神や悪魔に近い存在へと生まれかわることができる。 そう思いませんか?

  • 恋とは苦しいものですか?

    彼女が出来ます 好きになればなるほど彼女の過去の男遍歴などが気になり苦しくなり楽しめなくなり別れてしまいます それをもう何度も色んな人と繰り返しています 今も彼女がいますが、過去違う男に抱かれていたことや楽しく一緒に時間を過ごしていたことを考えると辛くなります きっと自己中で自分のことしか考えていないのだと思います そうして自分を責めるとまた違った苦しさに捉われていきます 好きになればなるほど執着が増します 女性の過去にこだわらない人間のほうがうまくいくし幸せになることは分かっています 頭では分かっているのですがどうしても、心底からそう思い切ることが出来ません 皆さんは一体そのことについてはどうやって対処しているのでしょうか? またその原因はどこから来ていると思いますか? お願いします

  • 99人が悪人で1人だけが聖人

    100人の住民の内、99人が悪人で1人だけが聖人だとして、この聖人が、99人の悪人に感化されて、悪人になる可能性が非常に高いでしょうか。 この1人の聖人が、99人の悪人が住む場所以外にいけないとしてですがね。