rkd4050 の回答履歴

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  • 初期鴎外は、なぜ「浪漫主義」なのか。

    森鴎外は初期に文語調で小説を発表していましたし、「浪漫主義的」と言えるような活動は評論と訳詩くらいでしたから、小説の内容とスタイルから考えるとあれは「擬古典主義」になりませんか? 例えば有名な「舞姫」は完全に文語です。そして、例えば「擬古典主義」にカテゴライズされる露伴「五重塔」や紅葉「金色夜叉」と比較して、いわゆる「リアリズム/ロマンチシズム」で考える場合に、内容は明らかに「舞姫」がリアリズム小説寄りです。 このように、初期鴎外が、いわゆる「擬古典主義」の作家たちと比較してもまったく「浪漫主義」的傾向を持たず、同時に、特に文体の「擬古文度」が劣っているわけでもないのに、「浪漫主義」と考えられているのはどうしてでしょうか? ご存知の方いらっしゃいましたらお教え願います。

  • 友人とのメールの誤解について

    初めに申し上げておきますが、国語に詳しい方から見れば、この問題は非常に低レベルな問題だと思います。しかし国語力の無い私から見れば非常に深刻な問題なのです。問題とは以下のようなものです。 以前私は、メールで相槌を打つ時に、「ふ~ん」という言葉を多用していました。それに対し、友人から以下のようにメールで注意されました。かいつまんで言うと、以下のような内容です。 友人>ふ~~~~ん、じゃなくて。w「ふ~ん」だと、真剣味がない(軽くあしらっている)感じがするので、せめて「へ~」の方が好印象かと。「へ~」だと、相手の話に興味を示しているように聞こえ、場合によっては自分も得をします。似た様な言葉に「ほほー」なんてのもありますね。 私は、なるほどその通りだなと思い、それ以後、メールでの相槌には「へ~」「ほほー」を使うようにしました。それからしばらくたって、友人に以下のような内容のメールを送りました。かいつまんで言うと、以下のような内容です。 私>~ラジオ番組を聞いていたら、たしかにアナウンサーの人が相槌を打つ時は、「へ~」と言っていました。やっぱりDくん(友人のニックネーム)のいうことは正しいんだなと思いました。 それからいくらか経って、友人から次の様なメールが届きました。かいつまんで言うと、以下のような内容です。 友人>ともくん(私のニックネーム)「へ~」「ほほう」が多いけど、ホントは「ふ~~ん」と言いたい所をラジオ(アナ)の真似をして言っているのかと思うと、俺の話に真面目に向き合ってもらえていないみたいで、なんか寂しいです。 「ホントは「ふ~~ん」と言いたい所をラジオ(アナ)の真似をして言っているのかと」という文を読んだ私は、そんなつもりなど微塵も無かったので、以下のように返信しました。(全文) 私>逆だよ逆!!「ふ~ん」と言いたい所を、Dくんが不快というのだから、それが世間の一般常識なんだろうなと思って、「へ~」「ほほう」と言うように心掛けるようになったんです。おれ、一般常識に自信がないものでDくんのアドバイスが頼りなんです。 それに対して友人は、以下のように返信してきました。(全文) 友人>逆じゃなくて、さっきのメールをちゃんと読んで欲しいです。それでは「へー」「ほほう」と言いたい時は何と言えば良いの?と質問される事を予想していましたが、○○歳ですし、折角の情報ツールを有効に活用して「話術」を勉強してください。人生、毎日が勉強ですよ!? (かいつまんで) 友人>「へー」「ほほう」は良い(悪くない)んだけど、やけに多いし、使い方がわざとらしい(機械的)で、これもちょと不快を感じる時があります。話題に応じて臨機応変に使って下さい。人と話すって難しいね。 それに対して私は次のように返信しました。(かいつまんで) 私>おれがDくんからのあのメールをどのように解釈したのかというと、 自分(Dくん)が「へー」「ほほう」という言葉を教えたのに、ラジオのアナウンサーが同じ言葉を使っていたから、そっちを信用して、「へー」「ほほう」と言うようになったのかと思うと、なんか寂しい… と言っているのかと解釈しました。このように誤解される可能性のある文面ではありませんでしたか? それに対して、友人はこう返信してきました。(かいつまんで) 友人>それは違います。 「へー」「ほほう」は良い(悪くない)んだけど、やけに多いし、使い方がわざとらしい(機械的)で、これもちょと不快を感じる時があります。話題に応じて臨機応変に使って下さい。 (かいつまんで) 人の解釈の仕方は十人十色だと思うけど、先日のメールに書いてあったともくんの解釈とは違うという事です。 ここから二人の仲が急に険悪になり(今になって思い起こせば先に口火を切ったのは私の方でした。私の方から絶交しました。でも、親友と絶交するというのは、思いの外ショックで、翌日には謝罪し無事仲直りできました。 私が教えて頂きたいのは、友人からのメールを誤解した事は認めます。ただ、有り得ない誤解だという友人の発言にはどうしても納得できません。私は真実を知りたいだけです。済んだトラブルを蒸し返すつもりなど全くありません。  お願いします。どうかどなたか国語に詳しい方、私の解釈は、友人の言う通り、「有り得ない誤解」だったのでしょうか?真実を教えて下さい。宜しくお願い致します。  なお、恥ずかしながら私は国語力が低いので、恐れ入りますが中学生でも理解できるレベルの文章で御回答お願い致します。

  • メタルバンド、LOST HORIZONについて。

    スウェーデンのヘヴィメタルバンドLOST HORIZONを御存じな方いないでしょうか? アクセプトやライオットのようなパワーメタルの匂いしつつも、演奏はメロディーを重視した所謂メロパワバンドでパワーメタルとメロパワ/メロスピの間にいる(どちらともとれる)バンドのように感じるのですが、他にそのようなバンドいたら教えてほしいです。 もしくはオススメでも構いません。 よろしくお願い致します。

  • 海外文学の名作について

    小説好きの人が海外文学は名作が多いというのをよく目にします。 質問なのですが、海外文学は英語を日本語に翻訳したものを読んだとしても、名作としての価値を落とさず素晴らしさを認識できるものなのでしょうか。 というのも、小説では、小さなニュアンスの違いでも たとえば、今まで下らないと思って読んでいた小説を、作者がこういう意図があって書かれているんだよと知った後に読んだら感動したという経験もあります。 まして、名作と言われる作品は、無駄な文章や表現がない。あったとしても計算された形になっていると想像します。 たとえば、クラシックは詳しくありませんが、全く同じ楽譜を見て演奏しても、世界的に有名なピアニストが引いた曲と地域のコンクールの優勝者が演奏したのでは感動が違うと思います。 翻訳者の方も、文学力は優れていると思いますが、何十年、何百年といった時間を超えて語り継がれる文豪の表現したいことをフルに伝えて翻訳出来ているのでしょうか。 気になったのですが、海外文学の素晴らしさを分かる人というのは原文で読んで、 名作と呼ばれる作品は、文章構成が素晴らしいのでしょうか? 内容が素晴らしいのでしょうか? それとも、一文一文の小さなニュアンスが素晴らしく、全体として素晴らしいものになっているのでしょうか? 私に名作を理解出来るだけの読解力、感性がないだけなのか、原文で読んでいないからなのか気になり質問させていただきました。 海外文学は数冊しか読んでいませんが、個人的には日本文学の方が感性に合います。

  • マキシマムザホルモンの憧れバンド

    曲調が見事にコロコロ変わり デスボがいい感じのバンドなのですが… こんな曲を作りたい!!と亮君が何かで語ってたバンド名を教えてくださいm(_ _)m

  • メロディックスピードメタル?

    ハイトーンでパワーのあるボーカルが好きなのですが、最近聞き始めたジャンルで知識不足です 今[トニー・ハーネル][ヒブリア] [ソナタアークティカ][ドラゴンフォース]等を爆音で毎日聞いています 同系統でオススメなアーティストやアルバムCDを教えてください

  • おすすめ音楽サイトを教えてください

    邦楽・洋楽ともに好きで、リリース情報をすばやく入手できるサイトはないかなと思っています。 自分の好みのアーティストを登録でき、そのアーティストのリリース情報がすぐにわかるといったサイトはないでしょうか。 よろしくお願いします。

  • 芥川賞の受賞について

    芥川賞の受賞について 私は今までに芥川賞を受賞した作品を読んだことはありません。 只、最近DVDである芥川作家の作品を見ました。 作品名は伏せますが全く内容に感動がありませんでした。 みなさんは芥川作家の作品を読んだことがありますか? そして作品を読んだ感想を教えてください。

  • お願いします><

    走れメロスについて。走れメロスの作者が、読む人に訴えたかったこと、つたえたかったこととは何ですか? みなさんの考えで良いです、少し長めの文でおしえてください。 お願い致します。

  • 精神分析と文学について

    大学の課題で「精神分析は文学に何を教えるか?」というのが出ました。 授業では「銀河鉄道」と「源氏物語」を習いました。 ・人間は母体の中にいることが理想だが、誕生したことで理想を喪失しノイローゼ(人生)になる。その対応策として精神分析。 ・源氏物語は光源氏は実母との共生が理想だが、亡くなったことで理想を喪失しノイローゼ(エディプス・コンプレックス)になる。その対応策として女性遍歴を続ける。 ・(日本)文学は無文字文化が理想だが漢字が入ってきたことにより、ノイローゼ(無文字を憧れる etc.)になる。その対応策として文学作品(和歌、俳句、枕詞)の産出。 と、授業で先生が仰られていたのですが・・・・いまいちよく理解出来ませんでした。 そこで課題が出てしまい、何をどう書けばいいのか分からなくなってしまいました。 精神分析は文学に何を教えるのでしょうか? どなたか教えていただけませんか?

  • ポップ・パンクとラウドロックのお薦めについて

    最近はじめて洋楽を聴きました、それから、どっぷりつかっています。 blink-182とAll Time Lowを聴いてからポップパンクに非常に興味を持ったのがきっかけです。 今ではこの2グループのCDを制覇しそうな勢いです。 また、System Of A DownやLinkin Park のラウドロックも好きです。 こんな私にお薦めのグループってありませんか?

  • 終末、破滅、虚無を感じさせる曲を探しています。

    終末~世界の終わり、破滅、虚無、絶望、陰鬱、憂愁、悲哀を感じさせるBGMを探しています。 例: ・ラヴォスのテーマ(クロノトリガー) ・死海~運命に囚われし者たち(クロノクロス;死海~ミゲル戦) ・新しき世界(FF5;第三世界フィールド曲) ・死界(FF6;崩壊後フィールド曲) ・フリーゲーム「ゆめにっき」ほぼ全曲 ・Surgam identidem(アニメ魔法少女まどか☆マギカ;ワルプルギス戦) ・映画サンゲリアのテーマ ・パリは燃えているか 上に挙げましたように、ジャンルは問いません。 上記キーワードにどれか一つでも当てはまりそうな音楽を挙げていただければありがたいです。 よろしくお願いします。

  • プログレ詳しい方、教えてください!

     金曜日の夜、伊藤正則さんがFM-FUJIでやられているラジオ番組でかかった曲がとても印象に残っているのですが、曲名とアーティスト名が分からず、とても気になっています。  以下にいくつか手掛かりを挙げます。  ・ 女性のボーカル  ・ 2007年~2008年ごろのオンエアー曲  ・ 緩やかで綺麗なメロディーのパートと印象的なリフによる激しいパートが繰り返されたことから、    プログレッシブ・ロックに分類されると思います。  ・ ややチープな感じのオルガンが際立っていた。  ・ 曲の雰囲気から1970年前後かと思われます。  ・ メタモルフォーゼもしくはメタモルフォーシスというタイトルもしくはバンド名だったと思います。  キーワードがいくつかあるので、検索をかけてみるもなかなか見つかりません。プログレッシブロックに詳しい方よろしくお願いします !!

  • 本を読むスピードについて

    みなさんは本を読むスピードはどれくらいですか? 僕は読書が好きなのですが読むのはかなり遅い方だと思います。難しめの純文学がメインとしても、文庫本で1分で1ページくらいです。基本的に頭の中で声に出せるくらいのスピードです。 こんな質問をしたのも速読に対して疑問を持っていたからです。数時間で一冊読み終える人もいるようですが、うわべのストーリーをかいつまんでいるだけなんでしょうか?僕にはそんなに早いスピードで頭が追いついていく理由が見当つきません。 エンタメや新聞などなら速読でも構わないかもしれませんが、文学で速読はどうなんでしょうか?文豪と呼ばれるような人も速読が得意なんでしょうか?

  • 「わけが分からない」が、訳が分からない。

    僕は趣味で小説を書いているのですが、文章の用法でしばしばつまづいて、なかなか創作がはかどりません。 たいていは自分のルールを決めて一本化しているのですが、妙に自分設定で悩む用法にでくわしました。 それが、「わけが分からない」です。 「訳が分からない」と、 「わけが分からない」、 どちらのほうがしっくりきますか? これだけだったら、「訳」のほうが僕的にしっくりくるのですが、 「そういうわけじゃない」とか、 「するわけにはいかない」とかいう表現も統一すべきですよね? そうすると、全体的には「わけ」のほうが良い気がします。 皆さんだったら、「わけ」と「訳」、どちらを使っていますか? また、この疑問にある種の判断材料を提示している資料などがあったら、教えてください。 お願いします。

  • シュールレアリスム的な小説おすすめ

    日本のものでは阿部公房を好んで読んでいます。 海外ではボルヘス、ガルシアマルケス、カフカ等が好きです。 他に非現実的でシュールレアリスム臭の強いおすすめの作家はいますか?

  • 感想文

    大学で新書を読んで読書感想文を書くように課題を出されました。小中高で読書感想文は書いたことがありますが、新書の読書感想文はどのように書けばいいかいまいちわかりません(--;) 自分の感想や意見以外に要約も書いたほうがいいのでしょうか?どのように書けばいいかアドバイスお願いします

  • 小説が書けなくて苦しいです

    二次創作で小説を書いているのですが、ここ一年、全く小説が書けなくなってしまいました。 ネタは思いつくんです。書きたいシーンも、萌えもあります。 ただ、文章の出来が異常に気になるんです。 言葉の選び方、句読点の位置、文と文との繋がり。 全てが完璧でないと許せず、何でもない描写の一行ですらも完璧に仕上げようとしてしまう。 結果、たった一行の文章を完成させるのに一日、一週間かかります。 非常に効率が悪いです。 今日一日使って三行しか書けませんでした。(出だしの文章が気に入らなくてそこでずっと止まっていました) どれだけ時間を使っても書けない自分に落ち込み、何が悪いのかを延々と考え、答えが見つからずネットに逃げ、小説の書き方だのスランプ脱出法だのを調べ出す始末。 一年間こんな状態なのです。 書けない自分を殺してしまいたい。それほどまでに追い詰められています。 自分でもなぜ書くことにこんなに執着するのかがわかりません。 こんなに苦しいならやめてしまえばいいのに、今度イベントで本を出すので今月中には何か一つでも話を書き上げないといけない。 数年前までは、書くことがただ楽しかったのに……。 こんな自分が再び小説を書けるようになるための改善策などがありましたら、教えて頂きたいです。 締め切りも迫っており、余計に焦っています。

  • お勧めの洋楽を教えてください

    好きな洋楽は、Nirvana/MUSE/Nine Inch Nails/Slipknot/Marilyn Manson/korn/Radiohead/U2/My bloody Valentineです 邦楽だと 黒夢 や L'Arc~en~Ciel をよく聴きます 全体的に暗めで、退廃的な音楽が好きです いまは Evanescence が気になっています いろいろな音楽に触れてみたいです。よろしくお願いします

  • 貴方はこの質問論理的に答えられますか?

    飛行横は、鉄道の駅の対応物として空港をもつことになった。空港は飛行横の通過する空間と地表の接点として生じてきた。 しかし都市のさなかに入ってきた駅とちがって、空港は都市と結び付けられながら、たいてい都市からはるかに離れたところに ある。空港の建築はもはや都市建築ではなかった。空港にいると、われわれは砂漠のなかに立ったように、なにもない索漠たる 荒野のなかにいるのである。その名の示している都市を見ることはほとんどない。どちらの方角に都市があるのかきさえ分からな い。異様に孤立した場所なのである。だが現代という時代に顔をあたえている建築があるとすると、それは都市にある劇場でも、 美術館でも、官庁建築でもなく、空港ではなかろうか。そのことは空港があたらしい経験の場であり、同時に都市にあたらしい 変化をもたらすケイキであることを意味する。 空港での経験とはなにか。それは主として主体と他者の関係である。 しかしその前に空港建築について多少触れておいた方がいい。世界の大都市の空港の多くは、都市からさらに速くに移転して 改善が進み、金属とガラスを主たる素材とした、かなり巨大なハイテク建築として横たわっている。そのデザインがどうあろう と、結局は、出入国のチェック、飛行横への搭乗と降機、飛行機自体の離着陸、その整備などを中心とした、徹底的に合理化されたプログラムの現実化という機能では同じである。それだけの機能は満たさねばならないが、それ以上はなにも必要がない。 多くは空問のデザイン、レストラン、免税店などを多数用意して、なんとか居心地をよくしようとしているが、建築物のなかで もっとも機械に近い印象は免れない。われわれは、たとえば荷物が、コンピューターによってどう自動的に仕分けられていくか など、舞台裏を覗くことはないが、それでいてやはり機械のように機能する仕組みのなかを、きわめて厳密に決められた方針に したがって、自動的に行動させられていることには気がついでしまうのである。 空港での経験は、孤独の軽みとも、自由とも、完全に拘束された状態ともいえる。いくつかの経験が重なっているのだ。われ われの出会うのは見知らぬ人びとばかりである。 トランジットの長い待ち時間、たまたま隣に腰掛けた他の国の人びととそ のとき限りではあるが会話を交わす。しかも彼または彼女の旅が彼らの人生のどんな瞬間なのか、どんな目的でどこへ行くのか については詮索もしないし、まったく無関心でいられるのである。彼らは彼らなのである。完全な他者性。こうしてたまたま道 ですれ違う以上の他者、言葉も違う人びとと、双方の知っている言葉で交差してみるのである。多分、二度と会うことはなかろ う。われわれは、自分の慣れ親しんでいる世界とは異質な世界との接触を繰り返し経験する。彼らのことを私は知らない ー だが知らないとはどういうことか。 われわれは二つの経験をしている。ひとつは他者と主体についての経験である。他者はわれわれの日に透明な存在なのか、あ るいは反対にまったく不透明な存在なのかと絶え間なく自分に問いかけながら、こうした他者との接触を反復しているのである。 それは主体の経験にはねかえってくる。というのはわれわれ自身の方も、そのとさ自分がなにものであるかを主張しないばかりか、 自分の職業も、社会で占めている役割も諸関係もまったく無意味になる。ほとんど裸になっているのである。孤独かつ自由にな るとは、だれからも見られないことではなく、社会性をはぎとった裸の人間になってしまうことかもしれない。 第二の大きな経験として、われわれは異様な権力空間を経験しているのである。ここは一体どんな場所なのか。われわれはパ スポートを見せて国外に出ている。もちろんわれわれはパスポートを検査され、普通、国内にいるときには感じない国籍をあら ためて実感している。 パスポート・コントロールを通ったあとの人間の経験は、これまで味わったことのない政治空間の経 験なのである。空港は、どこにも属していないように見えて、その実、こうした自由を無化する権力の空間なのである。そこは どこでもないのに、イゼンとして権力の管理下にあるのを感じないではいられない。国家から解放されてまったくの自由であ るようでいながら、われわれはこのときほど、われわれをカンシする権力の働きのなかに拘束されていることはない。われわ れになにができるのか。ただ持つだけであり、一定の場所以外には踏み込むこともできない。いかなる自由も奪われ、権力に閉 じ込められている存在なのである。だが一体、だれの権力なのか。それは完全に国家に属しているとはいえず、だれのものでもない権力であり、いわばゼロの権力といっていいようなものなのである。たしかにそこにはまだ僅かながら ネーション・ス テートが残っている。 またネ-ションは、こうしたゼロとのどんな関係のなかにあるのであろうか。言い換えるなら空港とは、ゼロに限りなく近い空間である。われわれは主体と他者にかんしても、権力にかんしても、ゼロを掠めるように経験しているのである。われわれはこの主体と権力の関係を追求する必要に迫られるのである。一方でかつて ミッシェル・フーコーが論じてみせたように、主体を産出した権力をようやく理解すると同時に、権力の生み出すフーコー 的な主体化の論理をこぼれる主体の可能性をほんやりと感じているのである。フーコーの権力翰が近代社会の形成にかかわると すれば、 いま見ている主体は、近代社会をはみだしている。それがどんな社会かを言うことはできないが、主体がゼロである ことを感じることは、なんらかの兆候であった。飛行機の旅で唯一実感するのは、時差による異常によってほじめて知る身体で ある。われわれは身体を、今や、巨大な地球規模の空間と時間の間際で味わう経験との関係でコウサツしなければならなくなっ たのである。 空港とはこうしてゼロを経験する、これまでは現実にはなかった空間である。ところがこのゼロは、生産力とまでは言わない ものの、ある種の生産力、変容の能力をもっているのである。 飛行機による旅の簡略化によって、多くの人びとの旅が変質していった。都市は直接的でないにしても、きわめて容易に他の 都市と接続するようになっていったのである。こうした世界の都市をあたらしい関係に編成しなおす力の根底にあるものを問い 詰めれば、空港で感じ取っているゼロと同じものではなかろうか。そこになんらかの実体的な力の源泉を想定しても見つからな い。つまりこれまで 普遍空間と呼んできた理念とは、こうした意味でのゼロに近いのではないのか。そしてそのゼロの生み だす余剰に、われわれは身体や主体のありようを見いだそうとしているのではないのか。 あらゆる空港が都市と異様に速いことも、これと関係がある。それは今のところ、都市と航路の接点であり、都市への交通機関を整備する必要があり、直接に都市の構造に割って入らないまでも、都市の付属施放と考えられている。しかし日常の生活か ら離れたエアポートつまりゼロの空間を介してしか、都市がもはや他の都市との関係をもちえなくなったことは、都市が現在の 姿のままでも連合してあたらしい集合をつくることになっていく可能性を示している。したがってこれまでなら、都市と都市のあいだの田舎、農村、地方都市、さらに無人地帯としてあったものも、こうした連合のなかにホウガンされることになる。こ れは都市的なものから想定される都市というより、すでに ポスト・アーバン社会という集合体であって、その意味では都市 はもはや都市ではありえない時代が近づいている。 飛行機の旅では、ある都市から都市への移動において、「領土」の経験が失われてしまった。鉄道がいやでも国境を通過し、 したがって版図を知覚するのにたいして、飛行機の旅にはそれがない。確定した領土こそ国民団家の基盤であり、現在のわれわ れが惰性的にもっている都市の概念の底に、まだネーション・ステートが潜在していることを考えると、空港を経由する旅は、 布かち、いわば政治的、歴史的基盤を取り除く経験ではないか。想像的意識のなかでは、国家よりも上にいくつかの都市が 集合した状態を世界として知覚しはじめる感受性が育ちつつあるのは、こうしたエアポートの経験のせいではないのか。 いまや都市はその自立性以上に、世界化の力に動かされているが、その力が端的に表現できているのはエアポートのゼロの空 にほかならないのである。 この文章をよんだのですが、非常に読みにくく何を言っているのかまったく理解できません。できれば、ようやくと筆者のいいたいことを教えてほしいです。 問題 それは主体の経験に跳ね返ってくるとあるが、その具体的な説明として最も適切なものを選べ。 1空港における未知なる他者がどのような同一性を有しているかを探る反復的な接触は、一過性のゆえに互いの無関心に収束し、主体は自己の同一性の拘泥する必要から解放されるということ。 2空間で出会う人間の同一性は意味を持たないものであり、またその同一性は関心の対象でないため、そのような他者との接触は主体を社会的な役割から離脱した存在に還元してしまうということ。 問題 時差による以上によってはじめる身体とあるが、このことの言い換えになっている表現を本文から十字以内で抜出しで答えよ。 問題 現代という時代に顔を与えているという、筆者の空港についての考え方とは対照的な空港の意味つけが述べられた部分を七字で抜出しで答えよ。 かなりハイレベルな文章です。どなたか問題の解説お願いします