哲学的な詩を探しています

このQ&Aのポイント
  • 存在論、認識論、形而上学、死や生などに近い内容の詩を探しています。
  • 子供は子供だった頃、自分が子供とは知らず、すべてに魂があり魂はひとつと思った。いつも不思議だった、なぜ僕は僕で君でない?なぜ僕はここにいてそこにいない?時の始まりはいつ?宇宙の果てはどこ?この世で生きるのはただの夢。見るもの、聞くもの、嗅ぐものはこの世の前の世の幻。
  • 悪があるってほんと?いったいどんなだった?僕が僕でなくなった後、いったい僕は何になる?
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哲学的な詩を探しています。

哲学的な詩を探しています。 「ベルリン・天使の詩」 わらべうた 原詞 ペーター・ハントケ 子供は子供だった頃 自分が子供とは知らず すべてに魂があり 魂はひとつと思った 子供は子供だった頃 いつも不思議だった なぜ 僕は僕で 君でない? なぜ 僕はここにいて そこにいない? 時の始まりは いつ? 宇宙の果ては どこ? この世で生きるのは ただの夢 見るもの 聞くもの 嗅ぐものは この世の前の世の幻 悪があるって ほんと? いったい どんなだった 僕が僕でなくなった後 いったい僕は 何になる? 〜に近い内容(存在論、認識論、形而上学、死や生など)の詩を探しているのですが、何かご存知ないでしょうか?

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  • kine-ore
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回答No.2

#1です。 >ヘルダーリン、初めて耳にしました。  : 私の場合はハイデッガーの著作「ヘルダーリンの詩の解明」で出会いました。 参照:稲田 知己「蘇るヘルダーリン」 https://www.tsuyama-ct.ac.jp/imgVer4/kyousyokuin/kiyou/kiyou2016r05.pdf 天使・無垢・子供と宇宙・永遠といったテーマとしてはタゴールを思い浮かべます。 参照:「幼な子の歌・タゴール詩集」 https://nikkidoku.exblog.jp/23943866/

natsumikang
質問者

お礼

具体的回答ありがとうございます! ヘルダーリンの詩読んでみました、やや難しいですが意味が深いので読みがいがありました。 タゴールの幼な子の歌も良かったです!

その他の回答 (1)

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.1

青年ニーチェやハイデッガーに好まれた「ヘルダーリン詩集」はいかがでしょう。 ヘルダーリンは同い年のヘーゲルや5歳年下のシェリングと議論を闘わす哲学思想家・思弁家でもありました。 参考:松岡正剛「千夜千冊 ヘルダーリン全集」 https://1000ya.isis.ne.jp/1200.html 日本では例えば「吉本隆明詩集」なども。 参考:服部 一希『固有時との対話』論 https://core.ac.uk/download/pdf/223197138.pdf

natsumikang
質問者

お礼

さっそくありがとうございます!ヘルダーリン、初めて耳にしました。 吉本隆明も読んでみます!

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