地獄へ行くか天国へ行くか、どちらが嬉しい?

このQ&Aのポイント
  • 悪いことをしたら地獄へ、いいことをしたら天国へ行くという認識が世の中にはありますが、実際は良い事しようと悪いことをしようと、みんな地獄へ行くんですね。
  • 仏教では生まれながらに私たちは色んな罪を犯していると言われています。だから、良いことをたくさんしてもまるで意味がないように感じます。
  • どう生きていけばいいのかとても不安です。辛いです。救いようがありません。
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質問です

毎回、お答えしていただいてありがとうございます。 今回も、お答えいただけると嬉しいです。 今回は、正直自分でも気分はいいものではないですが・・、 お答えいただけると嬉しいです。 悪いことをしたら、地獄へ、いいことをしたら天国へ行くという認識が 世の中にはありますが、実際は良い事しようと悪いことをしようと、 行く場所は天国、極楽浄土とでもいいますが、実際そこに行けるわけではなく みんな地獄へ行くんですね。  仏教では~なんて言葉も調べたら出てきました。 生まれながらに、私たちは色んな罪を犯しています。 だから、良いことをたくさんしても、まるで意味がないように感じます。 とても気分は悪いです。抱えて生きていかなきゃいけない訳ですから・・。 辛いです。救いようがないです。 とても不安しかありません。どう生きていけばいいんですか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • gunsin
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回答No.1

仏教とキリスト教がごっちゃに、なって考えられているようです。 人間は罪人(つみびと)であるは、キリスト教の考え方です、 所謂、性悪説です。 アダムとイブがエデンの園で罪を犯した事からはじまります。 神の教えに従たがえば、罪を犯さない様に成ります。 その為に、神と契約して、生まれた時に、戴く名前が洗礼名です。 仏教には、罪人(つみびと)の考えは有りません。 人間には、食欲、性欲、物欲など数多の欲を煩悩と言います。 煩悩が有るので、人間は悩み苦しみます、煩悩の苦しみから 逃れるために修行を行うのが、仏教の教えで、上座部仏教 として、東南アジアに広まってます。 日本に伝わった、大乗仏教は苦しい修行をせずとも、お経を 唱えれば、極楽往生が出来る。 以上が浅学の私の解釈です。 日本古来の八百万の神々の神道は自然の摂理から生まれた物で 聖書とかお経の様な教義は有りません。 太陽の光は地上の生き物、全てに注がれ、命を育んで下さる 有りがたい物です、それが天照大御神で信仰の中心で、他に、 山には山神、海には海神、等々、数多の神様が居ます。 罪人(つみびと)、煩悩とか天国、地獄の考えは有りません。 「誰も見ていなくても、お天道様が見ているのですよ」と、 お年寄りに怒られたものです。 お天道様は、昼はお日様、夜はお月様とお星様です。 神道は心の中に、有るものなので、神道が宜しいとは思いませんか。

hino681
質問者

お礼

回答ありがとうございました

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