• 締切済み

聖書の言葉

ある本に  「はじめに終わりを思う」 と言う言葉が聖書から 取られたと書かれてありましたが、この言葉って聖書のどこに 記載されているか教えてください。

  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数3

みんなの回答

  • jakyy
  • ベストアンサー率50% (1998/3967)
回答No.2

下記のサイトの言葉でしょう。 英文をお読み下さい。イザヤ書41章ですね。 "I am the first, and I am the last" The Lord repeatedly used "I The Lord, the first, and with the last" in describing Himself: "Who hath wrought and done it, calling the generations from the beginning? I The Lord, the first, and with the last; I am He." (Isaiah 41:4 KJV) http://www.keyway.ca/htm2004/20040210.htm

参考URL:
http://www.keyway.ca/htm2004/20040210.htm
回答No.1

 私は長年聖書に親しんでいますが、ご質問のような内容の個所は存じません。  下記に自作データベースから「初め」「終わり」をキーワードにして抽出した個所を挙げましたので、適当に類推してください。 申,11,12, そこはあなたの神、*主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、*主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。 (1)サム,3,12, その日には、エリの家についてわたしが語ったことをすべて、初めから終わりまでエリに果たそう。 箴,20,21, 初めに急に得た相続財産は、/終わりには祝福されない。 伝,3,11, 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。 伝,7,8, 事の終わりは、その初めにまさり、/忍耐は、うぬぼれにまさる。 イザ,41,4, だれが、これを成し遂げたのか。/初めから代々の人々に呼びかけた者ではないか。/わたし、*主こそ初めであり、/また終わりとともにある。わたしがそれだ。 イザ,44,6, イスラエルの王である*主、これを贖う方、/万軍の*主はこう仰せられる。/「わたしは初めであり、/わたしは終わりである。/わたしのほかに神はない。 イザ,46,10, わたしは、終わりの事を初めから告げ、/まだなされていない事を昔から告げ、/『わたしのはかりごとは成就し、/わたしの望む事はすべて成し遂げる。』と言う。 イザ,48,12, わたしに聞け。ヤコブよ。/わたしが呼び出したイスラエルよ。/わたしがそれだ。/わたしは初めであり、また、終わりである。 ルカ,21,9, 戦争や暴動のことを聞いても、こわがってはいけません。それは、初めに必ず起こることです。だが、終わりは、すぐには来ません。」 ヘブ,7,3, 父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです。 ヘブ,9,26, もしそうでなかったら、世の初めから幾度も苦難を受けなければならなかったでしょう。しかしキリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。 (2)ペテ,2,20, 主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。 黙,2,8, また、スミルナにある教会の御使いに書き送れ。『初めであり、終わりである方、死んで、また生きた方が言われる。 黙,22,13, わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」

関連するQ&A

  • 聖書について

    聖書について、質問です。 たぶん、初歩的な問いだと思うのですが、 よくわからないので教えてください。 聖書というのは、手紙を集めたもの(言葉は悪いかもしれません、すみません)なのでしょうか。 「~人への手紙」というものを見ますが、 はじめから、教本を作ろうと思ってまとめた「本」ではなく、 手紙によって伝えられた教えや行動を、 後に1冊の本にまとめたものなのでしょうか。

  • シェイクスピアの作品中の「聖書」という言葉

    シェイクスピアの作品中に、「聖書」という言葉は一度も出てこないというのは本当ですか? ある本で、そう書いてありましたので・・・

  • バイブルは日本語で「聖書」ですが、この「聖書」の「聖」という言葉はどの

    バイブルは日本語で「聖書」ですが、この「聖書」の「聖」という言葉はどのように選ばれたのですか? バイブル自体はレバノンの「本」を意味するビブロスという町が語源になっているようですが。 どのような経緯で日本で「聖」の文字が、バイブルに充てられるようになったのか教えてください!

  • 初めての旧約聖書

    最近、聖書を読んでみたいと思い始めたのですが、色々な本があり、私自身知識が乏しいため本選びに困窮しています。 私はキリスト教徒ではなく、あくまで文献としての聖書に興味を持っているだけです。特に、旧約聖書を読んでみたいと思っています。 訳は、あまり平易な言葉で書かれてなくても構いません。また、解釈本を読むより先に聖書を読みたいと思っています。 この本がいいよ、というのがあれば教えていただきたいです!

  • たしか聖書の言葉だと思うのですが、「○○において・

    たしか聖書の言葉だと思うのですが、 組織や仲間の関係をいう ○○において自由 や ○○において平等 や 行動において○○  などの文を以前どこかで聞きました。 これだけの文があればと検索しましたが、探しきれませんでした。 このような言葉をご存知のかたいらっしゃいましたら、教えてください。

  • 聖書 みことば 怪しい?

    先輩に聖書の勉強会?に誘われ、何回か行きました。 勉強会といっても、カフェで一対一で勉強する感じです。 聖書の読み方を教えてもらえるのは面白いし、先輩もいい人なのでこれからも行こうとは思うのですが、なんだか怪しく?感じる点がいくつかあります。 ・毎週1時間のセッション?になっており、授業を受講しているみたい。私は気楽に聞くスタンスだったのですが、ノートとらなくていいの?と聞かれ、ギャップを感じた。 ・この聖書の読み方は、元々誰が考え出したのか聞いても、「それは先のお楽しみ、みことばを聞けばいずれわかる」と教えてもらえない。(日本人ではないらしい) ・先輩やその知人と勉強会以外の場で話していても、必ずみことばの話になる(勧誘なんじゃないかとやっぱり不安) ・私は神を信じているわけではないが、勉強会においては信じていないとか言える雰囲気じゃない(皆普通に信じているし、信じていない人について少し批判的) これって、何か特定の宗派とかなんでしょうか。 先輩や周りの人にはなんだか聞きづらいです、皆さん本当に良い人ばかりなので、、(それが逆に怖い)

  • 聖書の中の言葉を探しています。

    聖書の中に「愛されるよりも愛することのほうが幸いである」とか「愛されるものよりも愛するものとなりなさい」というような内容の聖句があったと思うのですが、聖書のどこにあるのか教えていただけないでしょうか。同じような内容の言葉もあるとは思うのですが、上記の例にできるだけ近い表現のものを(ただし、あればですが)教えていただけたらと思います。よろしくお願いします。

  • 聖書の言葉

    どこかで見たのですが聖書に次のような言葉がありますか?あるとすればどこでしょうか? 「この街にて迫害せられたらなお他の街に行くべし(マテオ福音書?)」 「我ら滅びと悪をむさぼり道無き荒れ地を歩む(詩へん?)」 ご存知の方教えてください。

  • ことばを言葉としないのは?

    聖書を読むと「ことば」が言葉と漢字にしていないことがありますが、どうして、漢字の「言葉」と記載されていないのでしょうか

  • 聖書

    こんにちは。聖書を読みたいなといつも思うのですが、でてくる言葉はなんか難しい言葉でいいまわされてて・・・・なんか、簡単な言葉に書き直したような聖書はありますか?もし、おすすめのものがあれば教えてください!