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因果応報エピソード

Ice-Truckerの回答

回答No.3

因果応報とは、「原因としての善い行いをすれば, 善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらす」です。 因果応報は、その前提条件(善行、悪行)が曖昧で、 信用性に欠け、論理的ではありません。 あくまで、モラルの高い社会を維持するための方便です。 ただ、それを信じている人が多いです。 また、これを信じているのは、自分が善人だと 自負している人に多いようにも見えます。 つまり、自分は善行をしているから、善い結果がでるはずだと 信じている。 一方で、悪行をしているのに、なぜその人達の 人生がうまくいくときもあるのが理解できない。 あるいは、善行をしているのに、人生がうまく いかないときは、それも理解できない。 では、なぜ因果応報の信用性がないのか、 例を出します。 あなたが、ビル屋上から飛び降りおりて自殺しようとするAさんを 思いとどめたとします。 あなたは「いいこと(善行)をしたな」と気分はいいでしょう。 しかし、もしAさんが次の人に無差別を殺人を してしまったら、あなたの行いは そもそも善行だったのでしょうか? 逆に、無差別殺人に加担したとも言えませんか? 自殺を思いとどまらせるのは善行とだったと 言えるのでしょうか? もし善行でなかったなら、あなたには 悪行が結果として来るわけですよね。 あるいは、Aさんがビルの屋上で 「俺が今自殺しなかったら、明日無差別殺人をする」 とあなたに言ったらどうしますか? そして、あなたは助けたら無差別殺人が 必ずあるとわかっていたらどうしますか? もし、Aさんの自殺を助けたら、 それは善行になるのでしょうか? Aさんを自殺を見逃すことで、他の多くの人を救う(善行) になりませんか? というわけで、原因である「善行」「悪行」 の定義が曖昧で、それらをもとに 良い結果、悪い結果がでるというのは信用性に欠けますし、 全く論理的ではありません。 それから、全ての出来事について、善も悪もありません。 例えば、子供を生んだ、人を殺した、強盗した、出世した、 本を買ったなどの出来事自体位は、善悪はありません。 善悪はあくまで人間が勝手につけたものです。 となると、殺人を犯しても自分が善行だと思えば、 (因果応報によると)良い結果がでることになりますね。 善悪をつけたほうが、あるいは処罰をつけたほうが 社会システムを維持するには都合がいいから 善悪をつけるだけです。 そして、それを人々に教育を通じて信じ込ませたほうが、 社会システムとしては(犯罪も少なくて、社会不安もなく) 安定するでしょう。

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