自分の命は自分で守るか?台風19号の課題と対策

このQ&Aのポイント
  • 台風19号の課題と対策は、市民の観点から見ると「自分の命は自分で守る」に疑問が生じます。
  • 避難発令の直前さや避難所の少なさ、情報処理の難しさなどが課題とされています。
  • これまでの対応では車避難や遠隔地への避難が必要な地域でのガイドが不足しており、市民の命を守るためのガイドラインの策定が必要とされています。
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「自分の命は自分で守る」は適切なのか

台風19号の課題と対策は、大変難しい問題と思います。 このため多角的観点での対応が必要と思います。 一方的観点では適切ではないと思います。 しかしながら市民の観点でいうと、 a避難発令の直前さ b避難所の少なさ c情報処理の難しさ 等があり、 「自分の命は自分で守る」は疑問に思えます。 aは車避難での被災、または中途断念の事例が 少なからずありました。 bは、例えば17日NHKの報道番組で言えば 荒川流域の江戸川区など低い区では100万人 以上が「遠地への避難」が必須とのことですが これ以上は何もガイドがないとのこと。 (番組はよい企画だと思いましたが、この事態  でも「自分の命は自分で守る」を原則に発言  する人が居、矛盾を感じました。) Cは、上流の水はタイムラグを持ち下流に押し 寄せるのは分かりますが、この時間差を市民が 自分で判断し逃げるか否かを決めよ、自分で 守るのが原則だは、疑問です。 一観点「自分の命は自分で守る」ではなく総合 観点でのガイドなりが来年度初には1版が策定 されることが必要ではないでしょうか。 例えば「命や財産被害を最小にするための各 行動規範(国、自治体、市民、法人等)」。 いかがでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • NOMED
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回答No.2

やはり普段からハザードマップを見ているか?準備しているのか?でしょうね 氾濫・越水した河川の今回の被害ですが、自治体が出していたハザードマップ・浸水想定区域図は、ほぼほぼ合っていました それらを見て、すでに当日の朝から開設されていた避難所へ自主的に向かった人たちが助かっていることは、明らかな事実です 「まさかこないだろう」・・・今回も出てきてしまった言葉があったことも事実です ただ、今回の課題として、越水・決壊の場所は車道橋・鉄道橋の手前が多く、そこに普段から誰にも管理・整備されていない中洲の木々や上流の木々が流され「根付きの流木」として橋でダムを作り、そこに大量の土砂と水が蓄積する危険性を住民たちも普段から行政に継承を鳴らしていたという部分です a は、早いところでは前日から避難所自体は開設されている地域がありましたし、上記のように越水などの想定情報がでていました b は、・・・ガイドはあります https://www.city.edogawa.tokyo.jp/e007/bosaianzen/bosai/kojo/kanrenmap/n_hazardmap.html もう何度も説明会も資料もありましたから・・・これ以上は被災者への皆さんへは言えません c は、b にも通じますが、他には水害保険(火災保険)などの加入率が40%程度で、これもテレビで言っていましたが、本来は火災保険の加入時や更新時に、ハザードマップや浸水想定区域図を保険担当者とみながら、想定・相談しながら説明を受けることが日常化されいない側面があるそうです あくまでも命の質問ですから、簡単な感想に留めることは控えますが、せめてその地域に住んでいるのですから、想定と保険などの準備も含めた「命や財産被害を最小」について、もう早い段階から逃げることを個々が、第一に優先する思考に移行する時期であろうと思います

whaihansei
質問者

お礼

当方、水害も土砂災害も非対象の地域です。 このためリスクは、風害による停電(台風15号のような)、 突風または竜巻による家の損害になります。 こういうことだと思いますが市とは何のコンタクトもなく、 風雨強いなか23時頃迄「自分の命は自分で守るのじゃ~」と TVを見、聞いていました。 江戸川区は43万人に避難勧告が出、避難所も満杯だったとのこと。 区外避難もあったようです。 江戸川区は広域避難の区で、理解派、とんでもない派がいるそうです。 19号のような台風は今後も来るでしょうから、避難先は各々とせず 自治会動員の上(区役所は手一杯でしょうから)、けんけんがくがくと やっておかないとならないのではないでしょうか。 ご返答ありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.4

ご意見の結論は「自分で守る」を敷衍したものでは? マンション一階で溺死したひとがいますが、下衆の後知恵ではありますが 入口ドアをチェーン施錠にしておいて水圧であかなくなるのを防ぐのと 流入を察知できるようにするくらいはできただろうと思うし クルマで一家全滅した例ではそのルートを走るのがよかったのか? 財産(リース物件)を見に行って流された人は「行くな」というのを守れなかった 屋根を補修しようという人もやはり「やめて」というのを守れない 人間のサガだと思う

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2126/10787)
回答No.3

適切です。 命に関しては、危機意識を持って行動しないと、自分を守ることはできません。 大地震とか、今までにない大雨、台風等があり 防災に関する活動は、増えています。 それらの活動を通して、たくさんの人が、危機管理意識を持つようになりました。 それらの人は、危ないと思えば、行動するのですが。 勉強する機会があっても、それに参加をしない人が多くいます。 危機意識がない人に、何を言っても、行動しません。 今まで大丈夫だったから、大丈夫だろうと。

  • g27anato
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回答No.1

「全てが絶対でなければならないのか?」 …大前提となる筈の、その疑問を横に置いて次の答を出すのは矛盾を生み出すばかり、 無意味の極みと言わざるをえない。 自分以外に頼れる者がいない時は、 「自分の命は自分で守る」しかないのが当然の理。 死んだら文句も言えない。 生き残ってこその「文句」。 その為にも「自力で生き残る」しかない場合もある。 死んでから他者の責任を追及なんて、できる筈もない。 だからこそ、文句言いたきゃ「自分の命は自分で守る」ことが大前提となる。 …その絶対性まで否定してしまうのは矛盾でしかない。 a…避難発令から車でというのは、さすがに行動が遅すぎる。 車で避難するのは、避難発令以前に済ませておかなければならない。 …避難の意味については「安全の確保」であることを多くのメディアが発信していた。(避難発令されてから車で逃げろという指示が出たとは聞いてない。) b…遠地への避難も自力で行わなければならないが、それも危ないと感じてからでは遅過ぎる。 自分で判断しなければならない事まで他人任せでは、さすがに自分の命に対して無責任が過ぎる。 c…タイムラグは放流されてからでは時間が少なすぎる。 自分で判断する為の情報発信は、数日前から行われていた。 「行動規範」か何かは別として、 自分の命を自分で守る為の判断材料は盛んに情報発信されていた。 「自分は大丈夫」とする身勝手な判断で、 あれだけ早期から発信され続けた危険情報を咀嚼せず、 「自分の命を他人任せ」にした人が、今回も多かった。 「行動規範」なるものが策定されても、 『自分の命は「最終的には」自分で』守らなければならない。 行動規範なるものに頼るようでは、また同じ事が繰り返されるだろう。

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