- ベストアンサー
偉い人・お金持ちに感じた違和感
- パンを食べられない階層にブリオッシュが買える訳もない、つまり世情に疎い貴人に対する或る種の偏見として、かの有名なマリー・アントワネットが発したとされる言葉です。
- 私自身大金持ちのぼんくら息子とつるんでいた時期がありまして、彼の金銭感覚に随分驚かされたものです。
- 貴方がお金持ちに感じた違和感があれば、お教え下さい。
- みんなの回答 (16)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
その他の回答 (15)
- ユリア(@yuria2014)
- ベストアンサー率36% (208/566)
- kamejrou
- ベストアンサー率17% (191/1107)
- nnbr556
- ベストアンサー率0% (0/1)
- ithi
- ベストアンサー率20% (1961/9578)
- KoalaGold
- ベストアンサー率20% (2539/12476)
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
- ベストアンサー率13% (1178/8487)
- citytombi
- ベストアンサー率19% (1721/8628)
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3871/25497)
- 1
- 2
関連するQ&A
- 1780年代のあのマリーアントワネットの時代の疑問
パンがなければブリオッシュを食べれば良いじゃない(ケーキと言う説もある)と言うのは誰がどういう意味で言ったと思いますか? 例えばパンが食べられなければブリオッシュ(ケーキ)が食べられる身分になるまで努力なさいと言う意味なのか、そもそも、当時は3%の貴族のために9割の貧しい農民が高い重税をと言っていましたが、その中でもブルジョア階級や、株式会社の民間大企業は何をしていたんでしょうか? その当時は「会社」と言うのはなかったんですか?それか、インフレデフレ等の金融緩和策もしてなかったと言うことでしょうか? 九割が貧しい農民や商人町人、って少し割合おかしくないですか? ヴェルサイユの中の人たちは、国民がどうなってるのかを知らない人や今で言う財務省的な役割のところはなかったんでしょうか? 話を戻し、パンがなければ~を発言したのはマリーアントワネットではなくさる貴婦人が舞踏会のひそひそ話で陰口を言ったのに端を発し、それが貴族の間だけではなく国民にもしれわたったと言うのは本当でしょうか? 公の場では口にされてなかったとか?
- 締切済み
- 歴史
- マリーアントワネット
以前から違和感があったのですが、フランス革命前夜にマリーアントワネットが 「パンが無ければお菓子を食べればよい」という発言が反感を買ったとあります。 原文では「Qu'ils mangent de la brioche」で、本当は別の人物の発言という説もありますが、この発言自体は当時のフランスの法律で規定された、食糧難の時はブリオッシュ(高級パン)を普通のパンと同じ値段で売れという、徳政令を出したらどうかという意味かと理解しました。 ただ常識的に考えれば、普通のパンが無いのに高級パンがあるとも思えませんし、当時のパン職人の収入は労働者の一般水準から見ても低いレベルですから、そもそもパン屋に普通のパンもお菓子も何も無いと予想できます。 つまり彼女の発言は法律だけを念頭に起き、実情が分かっていないということで、庶民からは反感をもたれた訳ですが、そもそもこの法律の意味するところはなんなのでしょうか。 私なりに、飢饉の時は貴族も庶民と同じ安物のパンを食べろ、という意味かなとも思いますがいかがでしょうか。 パン屋も高級なものを作っても、値段は統制されますから赤字になることは必然で作らなくなり、貴族もお金があっても市場に無い以上、安物のパンで我慢せざる得ない、ということかな? この法律の背景は何か、誰か分かりませんか。
- ベストアンサー
- 歴史
- 金持ちにも劣等感ってあるんですか?
地位や名誉がある金持ちでも、劣等感ってあると 思いますか?自分は、金持ちならどんなに頭が悪かろうと どんなに容姿が悪かろうと、何の恥じらいも劣等感も ないと思いますが。
- 締切済み
- アンケート
- 違和感がとてもあります
何故だか、私が会社を辞めるように誘導されている気がします 人間関係だけではなくて どうも、そちらの方へ心を何か偶然みたいな力で誘導されてる気がします 今、素の自分はやめちゃだめだと分かっています のですが 頭の中でも操作されているようです 偶然か、 もう止めていいか
- ベストアンサー
- 社会・職場
- 違和感があります
“輩出”を広辞苑やgooの辞書から検索すると『人物などが次々に出る事』とあり、用法は『~が輩出する』となって自動詞として使われていますが、最近の新聞、TVなどでは【『~を』輩出した】のように判で押したように他動詞で使われる事しか記憶になく、とても違和感を覚えます。 別の辞書には自動詞も他動詞も併記されているものも知っていますが、新聞もTVも一般的な広辞苑を引用することが多々あるのに、どうしてこの言葉だけは広辞苑やgooの辞書の用法に拠らないのでしょうか。
- 締切済み
- その他(学問・教育)
- 違和感を感じるもの?
付き合って2年半の彼がいます。一年ぐらい前からお互い結婚を考えているのですが、私の母は彼の出身地が昔から独特な地域の特性があると言われているので、地域によって合う合わないがあったり、考え方などが根本的に違うから、付き合っている時はまだいいけど、結婚して生活となると、うまくいかないんじゃないかと心配しているのです。 私としては、同じ出身地の人と結婚しても必ずしも合う訳ではないと思っているのですが、今まで付き合って彼の良い所は分かっているつもりですが、たまに、彼の嫌なところや意見の食い違いなどが見えてくると不安になり、母の言う通りなのかなと考えてしまうことがあります。 生まれ育った地域や出身地の違いから発生する考え方の根本的な違いは、結婚してから違和感などを感じるものなのでしょうか?またそれは耐えがたいものなのでしょうか? ご意見をお願いします。
- 締切済み
- その他(結婚)
- ずっと違和感があったんですが..
私には、このサイトやヤフー知恵袋で 「この問題が分かりません」 と質問する人の思考回路が不可解です。 全員がカンニングに利用している訳では ないだろうし、宿題なんでしょうか? 冷静に考えて、 学校や塾の先生に聞いた方が正確だし、 宿題が分からなくても大多数の先生は 怒ることはしないはずです。 質問して答えが得られたとしても それでは勉強になりませんよね。 また回答する人はポイント稼ぎでしょうか? 実際に質問・回答したことある方、 質問しようと思ったことがある方など 奮ってご意見ください。
- ベストアンサー
- アンケート
お礼
MJ さん、おはようございます。 >お医者さんはお金持ちだと聞きますね?どのくらいお金持ちなのか考えたことはなかったのですけれど、やっぱりとてもお金持ちなのだわと思ったことがありました。 医者の世界も完全に2極化しておりますね、経済的な点そしてマインドの面に於きましても・・。 私が子供の頃は、算盤を弾かず地元の為に尽力して、信頼と尊敬を勝ち得た先生が結構おられました、何かあったらXX先生のとこってそんな感じでね、決して金満でもなかったはずです。 離島や無医村にキャリアを捧げる・・、今でも稀におられるそんな医師を無条件で尊敬するその一方で、まさに 「 医は算術 」 也・・尊敬などとんでもない銭ゲバ・ドクターの存在を私自身結構知っておりましてね。 夜のネオン街やゴルフ他、資産運用や何やかやで仕事柄その手の人種とは随分付き合いました、正直反吐が出る気持ちになった事も2度や3度ではありません。 >ママ友から聞いたお話しでは、○○病院の小学生の息子さんが、お友達3人にそれぞれ1万円ずつ”小遣いだ”と言って渡したとかで学校で問題になったそうなのです。 そりゃ問題にもなるでしょう、ハナタレ小僧には分相応な小遣いというものがある、ジャリの世界に大人の論理を持ち込んでは絶対に駄目です、彼等の為にも良くない、何事も品良くおやり頂きたいですねぇ。 >まあ、親は”先生”と呼ばれ、患者さんから”ありがとうございました”と頭を下げられる方ですので、息子さんはどこか勘違いしてしまったのかもしれませんね。 子供に罪はありません、私に言わせれば全て親が悪い、鉄を熱いうちに叩かないでいつ叩くのか、先に行ってロクなものになりはしない。 言って聞かない子供は、張り倒し蹴飛ばしてでもいっちょ前にして世間に出す・・それが親の愛情ってものでしょう。 中には世俗の権威に弱い人もいるようですが、私はガキ大将が大人になったような男ですし、 そもそも医者が偉いなんてこれっぽっちも思わないから、腹を立てれば 「 医者風情が何を偉そうに !」 ・・と当の本人に向かって言っちゃいますが、根っこはそうだろうと思ってる、全ての物差しは人間性だろうと・・。 >合計3万円でしょ。お医者さんの息子さんはまだ小学生なのに、それ以上の金額のお小遣いを親から貰っていることになります。 >金銭感覚がおかしくなってしまうよねとママ友は言っていましたが、それよりもお友達を見下したような振る舞いのほうが問題なのでは?と思いました。 全く MJ さんが仰る通りでね、金の有難みを知らないで育った子供は、或る種のハンディを抱える事になる、順風満帆な人生ならそれもありでしょうが、先の事なんて神様でも分かりません。 ・・でありますから、俗に言う旧家名家というのはその辺りの教育は徹底しておりまして、子供に余計な金を与えないものです、その辺りが成り上がりとを隔てる境界線でもある、・・とまあ勝手にそう思っているのですが。 さて以下余談ですが、その昔実家の近所にO君という後輩がおりまして、元々いいとこの坊ちゃんだったのですが、彼の父親が放蕩三昧をやらかした挙句女を作って出て行った・・家も売り飛ばしたんです、それからはお母さんと二人で極貧生活となった。 新聞配達他ありとあらゆるアルバイトで家計を助ける一方、勉学にも励む本当にいい男だった、結局新聞社の奨学金で国立の外語大を卒業して一流企業に入り、それなりに出世して世田谷にあった元実家のそばに家を建てましてね、お嫁さんと二人でそりゃお母さんを大事にしてます。 80歳を超えたこのおばさんと時々会うんです、 「 おばさん、ようござんしたねぇ !」 ・・と言うと、満面に笑みを湛えながら 「 あんただってそうさね、孝行息子だよ 」 って答えてくれる、親不孝の権化のようなこの私に。 ところでO君とは幼馴染みだし御近所ですから、今でも赤ちょうちんで一緒に飲む事がありますが、私の方が1学年先輩だから威張ってます、男同士だからそうあからさまには褒められないのもそう、ただ胸の中ではとてもこいつには敵わないと思ってる、そんな奴に限って苦労話なんかしやしません、私と違って自慢もしない。 そもそも彼のお母さんと私の母が友達でして、育ち盛りの彼を家に呼び 「 大した事は出来ないけど 」 と言って、物を持たせたり飯を食わせたりしてました、昔であればどこにでもあった風景で決して特別な事じゃない、私だったらとっくに忘れてると思います。 ところがそんなちっぽけな事を恩に感じ、奴は今でもうちの両親へ時候の挨拶を欠かしません、もう大きくなりましたが子供達も本当にいい子に育った。 私が両親から言われ続けて来た 「 O君の爪の垢でも煎じて飲め ! 」・・というお小言、それが大人としての正常な感覚なんだろうと思います、昭和は遠くなりにけり・・なんでしょうかねぇ。 回答ありがとうございました。