• 締切済み

努力と才能、将来より影響するのはどっち?

私は中学生ですが、将来成功するためにより強く影響する要因が「努力する力」なのか、「先天的な才能」なのか疑問に思っています。 私の友人には、塾へ行く生徒と行かない生徒がいますが、塾へ行かない生徒の中にはあきらかに努力を怠っているのに成績が良い人がいます。 こういった"努力しなくてもできる一部の天才"が優越感に浸ることができるのは子供のうちだけなのでしょうか。それとも、大人になっても先天的才能の違いが目に見えて現れるものなのでしょうか。仮に先天的才能の違いが大人になっても現れるとして、努力する力はそれよりも重要でしょうか。 どなたか、科学的根拠やソースも含めて教えていただけると幸いです。

みんなの回答

noname#228945
noname#228945
回答No.6

両方です。 そもそも天才が達する域は常人のそれとは違います。 彼らは天才という枠の中で更に淘汰されるのですから…。 彼らの勝負するレベルは常人の我々とは違い遥かに高い領域にあります。 その中で実力を発揮し生き残っていくには並々ならぬ努力が必要です。 才能と人並みならぬ努力この2つが揃って初めて到達できる領域です。 まあ若い時の才能は確かに人をダメにする事は多いでしょう。 それはまさしく努力を怠るからです。 ある程度のレベルまでは才能だけでも行けますがそこから先へは行けません。 やがては才能はあまりないがその分を人並み外れた努力でカバーしてきた人達に置いていかれる。 これが「神童も二十歳過ぎればただの人」って言われる所以。 あるいは「器用貧乏」って諺もあります。 器用すぎる上にあれこれも手を出して結局一つも物にならないという喩えです。

  • teppou
  • ベストアンサー率46% (356/766)
回答No.5

 >塾へ行かない生徒の中にはあきらかに努力を怠っているのに成績が良い人がいます。  「あきらかに努力を怠っている」となぜわかったのでしょうか、勉強は机に向かって本とノートを開いて行うと、決まっているわけではないと思いますし、机に向かている時間で努力の量が分かるものでもないでしょう。  何が言いたいかというと、努力の量や才能の大きさといったものを測定する方法はないと言うことです。  努力の量や才能の大きさを測定できなければ、科学的評価はできません。  全く何もできないわけでもないと思いますが、才能と努力のどちらが重要かなどの疑問には答えられないでしょう。  IQテスト等もありますが、才能の測定とまでは言えないでしょうし、現在IQテスト否定論も盛んです。  それでも、才能や努力について研究している研究者もいるようですので、そういった方の本などを探してみるのもよいかもしれませんね。(あいにく私には心当たりがありませんが)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10481/32967)
回答No.4

そういうものが最も分かりやすく目に見える形で出てくるのが、スポーツの分野だと思います。誰もが努力をすれば150キロのボールが投げられるかというとそんなことはありません。ではプロ野球選手は遊んでいてもあんなボールが投げられるのかというとそうでもありません。 ですからスポーツ研究の分野では、「才能と努力、どちらが重要か」という議論が昔からされてきました。 今のところ、「どっちも大事」という結論です・笑。これはね、ニワトリが先か、卵が先かという話なのです。 知らないかもしれないから一応説明しますと、「卵とニワトリ、どちらが先に誕生したか」という哲学的な問いです。生物学の「そもそも単細胞生物というのがあり、それが進化して・・・」というのはさておきます。 ニワトリは卵から生まれますから、卵がないとニワトリはこの世に存在しません。しかしニワトリがいないと卵がこの世には存在しません。さて、卵とニワトリ、どちらが先に生まれたのでしょうね?という答えがない問いかけのことを昔から「ニワトリが先か、卵が先か」と呼んだのです。 先天的な才能と、後天的な努力。これはまさに「ニワトリが先か、卵が先か」なのです。そもそも先天的な能力がなければ伸びしろは存在しない。しかしその一方、努力という研磨作業をしないと原石が宝石になることはありません。ダイヤモンドは土の中であんなキラキラした形で出てくるわけではないのです。 スポーツの世界では、突然変異的に現れるスターのような選手がときどき出現します。全く競技に未経験だったのに、いきなり県の記録を更新しちゃうような人です。ところが不思議なことに、どの分野のスポーツでもどこの国でも、そういう人がオリンピックで金メダルをとったみたいな頂点に立つということは不思議とないそうです。だいたい一発屋で終わっちゃう。いきなり才能だけでボン!と記録を出すけれど、伸びしろはほとんどないのです。 日本の女子マラソンでも、オリンピックの選考レースで初マラソンでいきなりすごい記録を叩き出して文句なしに代表に選ばれたものの、その後の調整のために出場したマラソンレースでは全く平凡な成績しか出せず、そのままオリンピックに出場するも何十位みたいな凡庸な成績で終わり、その後も国内レースで優勝することもないままに引退した選手がいました。初マラソン大会のときだけ確変しちゃったんです。カードゲームでいうなら、平凡なキャラクターに能力を爆発させるスペシャルカードを使ったようなものですね。 他には「1万時間の法則」なんてのもあるんだけれど、話が長すぎてしまうので今日はこの辺で。

回答No.3

Q、努力と才能。将来を切り拓く力はどっち? A、無意味な解釈。  大事なことは、己の才能を努力でもって開花させること。「一体、どっちだ!」なんて解釈を100回、1000回と重ねても、ちっとも将来を切り拓く足しにはなりませんよ。

john_kimble
質問者

お礼

ご意見ありがとうございます。カテゴリーをみてわかるように、これは心理学の質問です。私が知りたいのは根性論・精神論・個人的な経験則ではなく、科学的根拠によって裏付けられた因果関係です。

  • SPROCKETER
  • ベストアンサー率26% (2023/7553)
回答No.2

 まず、親の才能を良く知ることだと思います。親の才能は子供にも遺伝するからです。  両親が頭が良い人だったり、記憶力が良かったり、洞察力が鋭い人だったら、子供も同じ才能を受け継いでいる可能性が高いです。親の才能を知れば、自分の才能も自ずとわかります。才能は財産と同じで、磨けば光るものです。  もう一つは努力ですが、いつも同じものばかり努力する人と、一定期間ごとに努力するものを変える人がいます。自分はどちらなのかを見極めた方が良いでしょう。一生同じことを続けるのか、人生をいくつかに分けて、年齢によって続けることを変えるのかを考えて置いた方が良いでしょう。  もう一つは世の中の流れに乗る事です。私の時代は情報革命の真っ只中で、コンピュータに翻弄されて人生設計がずいぶん変わったのが本音です。何をやるにしても、最後はコンピュータを使う事を考えなければならない結果になり、コンピュータが使えないものは意味が無いというので、ずいぶん判断を翻弄された経験があります。  身の周りの物は次から次へとコンピュータ化され、インターネットで世の中の価値観が変わり、気が付いたら、パソコンに写真や書籍の画像を保存するのが日課になっていました。情報革命が無かったら、人生はずいぶん違ったろうと思います。  今後はロボットが社会進出して世の中が変わるはずです。ロボット革命に翻弄されて自分の人生を見失わないようにした方が良いでしょうね。

john_kimble
質問者

お礼

貴重なご意見ありがとうございます。ただ、質問の意図は「努力する力は才能よりも重要か。その科学的理由はなにか。」でした。

回答No.1

50代妻子持ちの♂です。 先天的な才能があっても、その才能を伸ばそうとする努力を怠れば、その才能は劣化していきます。 私は実際に才能を劣化させたことがあります。 小学校の低学年の頃の私は、担任の先生も認める程、絵に関しては神童と言われた子供でした。 担任の先生には才能を伸ばす為に、絵画の塾に行く様に進められたのですが、私自身塾と名の付くものを毛嫌いしていたので、その申し出を断りました。 もし、担任の勧めで絵画の塾に通っていたら、将来絵画の道に勧めたもしれませんし、逆に途中で嫌になって辞めていたかも知れませんが、今思えば少しだけでも絵画の塾に通っておけば良かったかも知れないと、少し後悔しています。 結局、私の絵画の才能は小学生の頃から、ほとんど変わっていません。 いや、あの頃よりも絵は下手になっている様な気がします。 以前私が中学生の頃に、父が私に「犬の絵を描いてみて」と言われて、描いたことがありますが、父はその絵を見て「絵のタッチ自体は小さい頃よりは、上手くなっているが、小さい頃描いていた絵に比べると、躍動感が薄くなっているね」と言われたことがあります。 私が思うに、絵のタッチ自体は年が大きくなれば、ある程度は上達すると思うのですが、その絵に表れる躍動感などは、やはり然るべき所で習った方が、早く身に付くのだろうと思いました。 まあ、流石に50歳を過ぎると絵自体描かなくなりますけどね。

john_kimble
質問者

お礼

経験談を教えていただきありがとうございます。

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