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日本政治について

(1)明治憲法体制は、そもそも政党政治を予定しておらず、政党政治に否定的ですらあった。しかし、憲法発布と議会開設から約10年後の1900年には藩閥政府の元勲である伊藤博文自らが政党を結成し、政党政治への道を開いた。すなわち、伊藤を総裁として、伊藤系官僚と憲政党(旧自由党系)とが合流して立憲政友会が結成され、この政友会を基盤として第4次伊藤内閣が成立することとなった。 教科書にはこのように書いてあるのですが、なぜこのような事態が生じたのでしょうか? (2)戦後日本政治において1960年は一つの画期をなす。この年に改定が実現した日米安全保障条約は、現在に至るまで日本の外交・安全保障政策の根幹をなしているからである。また同時に、安保改正に至る政治過程はその後の国際政治にも大きな影響を及ぼした。 では安保改正は以後の国内政治にどのような影響を及ぼしたのでしょうか? わかる方がいればなるべく詳細に教えていただきたいです、、 よろしくお願いします!

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回答No.2

私は決して日本の近代史について詳しいわけではありませんが、日本史好きが高じて、講談社刊の『日本の歴史』全26巻を購入し、手許に置いているものです。 従って、回答内容はこの中から抜粋して要点をまとめたものとお考え下さい。 ご質問は「なるべく詳細に教えてほしい」とのことですので、該当する部分を読んでみましたが、現代でも政治家の胸の内や、その挙動の実際が、傍からは推測するしかないように、 複雑怪奇・権謀術数の連続であり、どこまでが真実なのかは分からないのが実態でした。 とりあえず(1)のみ回答します。 歴史の教科書というものは、重点的な結果系の事実を要領よくまとめており、結果に至るまでの途中経過には触れられていないため、ご質問のような疑問が生じたのだろうと思います。 明治国家の大目標は、独立国家としてのサバイバルであったこと。 西洋文明を受容し、欧米列強の仲間入りをすることが、国家レベルの目標。 それは藩閥政治家と政党人らの間でも、共通の目標・価値であった。 維新後の国政を主導してきたのは長州閥と薩摩閥を軸とする「藩閥政治」であった。 しかし彼らは自らを明治維新に伴う臨時政権・過渡的政権だと捉えていた。 明治政府は、西欧列強を軸とする国際社会に参入するために、いわば入構証として立憲政治を導入した。 1885年:内閣制度発足(伊藤博文を首相とする藩閥内閣) 1889年:大日本帝国憲法 発布 (施行は1890.11.29) 1890.11.29:第1回帝国議会・開会 1898.6.24:御前元勲会議で、伊藤は強引に大隈・板垣への政権移譲を実現させ、 初の政党内閣である大隈(隈板)内閣が成立したが、半年ももたず退陣 1899.11:第2次山県内閣発足 この頃より伊藤は、本格的に政党結成に乗り出す。 憲政党は解党の上、党を挙げて政友会に加入。 立憲政友会の総裁に、伊藤博文が就任。しかし伊藤直系勢力は、旧自由党系に対して人数的には劣勢であったため、総裁専制とし、1990.10.19第4次伊藤内閣成立。 1901.5.2 伊藤首相辞表提出。 ある意味、伊藤は自らの役割を、欧米型の政党政治が日本に根付くための過渡的なものであると理解していて、それを実践したのかも知れません。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.1

(1)己の思想、信条を実現するためには、思想、信条を同じくする    人間が結集することが必要です。    議会制をとり、民主制に近づこうとするなら、    政党の出現は必然です。 (2)当時は、米国を中心とする西側と、ソ連を中心とする東側が    対立していました。    安保により、日本は西側につくことを明らかにしたのです。       ”安保改正は以後の国内政治にどのような影響を及ぼしたのでしょうか?”       ↑ 西側につく保守派と、それに反対する革新側に 別れて争うようになりました。 いわゆる55年体制です。 西側につく保守派が長く政権を維持し続けたので 日本には、健全な野党が育ちませんんでした。 それが今でも尾を引いているわけです。

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