坊主と仏教の功罪
- 世にも不思議な事である、あの世や成仏、戒名やお経などは本当に人のためになるのか。
- これらのものはむしろ無いほうが人はよほど晴れ晴れとして平穏で清らかな人生を送れるのではないか。
- 何故に人はこのようなものに縛られ、一体何の得があるのか。成仏や戒名などお経なしに考えるほうが良いのではないか。
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坊主と仏教の功罪
考えてみれば世にも不思議な事でございます。 あの世も、成仏も、戒名も、お経も全て坊主が考え出したものなのです。 果たしてこれらのものは本当に人のためになるものなのでしょうか。 あの世こととか、成仏するとかしないとか、戒名があるとかないとか、これらのものはむしろ無いほうが人はよほど晴れ晴れとして平穏で清らかな人生を送れるのではないでしょうか。 何故に人はこのようなものに縛られねばならないのでしょうか。 またこのようなものに縛られて一体何の得になるのでしょうか。 あの世のことなどどーでもよい、成仏するとかしないとかどーでもよい、戒名など欲しいとも思わない、お経なんぞ挙げてもらわなくても結構、このように考えるほーが人間はよほど晴れ晴れとして平穏で清らかな人生を送れるのではないでしょうか。
- 人の道(@hitonomichi35)
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質問者が選んだベストアンサー
人間は社会が無いと生存できません。 その社会を統治するために、そういうモノを 考え出すのです。 例えば、悪いことをすると、地獄へ、良いことをすれば天国へ、 ということで秩序を造ろうとしたわけです。 死者を先祖を想うことで、悪事が抑制されるのです。 そういう意味で、役に立っているのです。 ”このように考えるほーが人間はよほど晴れ晴れとして平穏で 清らかな人生を送れるのではないでしょうか。” ↑ 人間が清らかなら、宗教も道徳も法も不要です。 清らかでないから、こういうモノが必要とされたのです。 皆が皆、ヒトノミチさんみたいな人格者ではありません。
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- kurinal
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人の道さま、こんばんは。 この問題は、広く「宗教の功罪」なのでは。 むしろ、一神教のほうが「縛り」がキツイような気がします。 >「何故に人はこのようなものに縛られねばならないのでしょうか。 またこのようなものに縛られて一体何の得になるのでしょうか。」 3000年前は、過酷だったんでしょうか
- stmim
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まず、宗教の選択は本人の自由です。仏教が嫌だったらキリスト教でもいいし神道でもいいし無宗教でもOKです。 仏教がいいという人がそれを選ぶのだからそれは本人の自由でしょう。 仏教がなぜあるかは本人の心の安寧のためです。 人は死ぬことに不安を感じます。しかし死んでも極楽浄土にいけると考えたら安心して(あるいは不安を小さくして)死ねるという人もいます。そうした人のための仏教です。 もし、hitonomichi35さんが仏教を信じられないというなら「自分が死んだら仏教の葬式はしないでほしい」と家族に頼んでおけばいいのではないですか? 「戒名など欲しいとも思わない」と言いますが、以前の質問では「戒名は自分で考えて決めたのがあるので一文字でも変えてもらっては困る」と言ってましたよね。いったいどれが本当なんですか?わからない人ですね。
- Mokuzo100nenn
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>何故に人はこのようなものに縛られねばならないのでしょうか。 現生のしがらみに執着するからでしょう。 >またこのようなものに縛られて一体何の得になるのでしょうか。 何もと国はなりません。ただのお付き合いですから、過剰にしないことです。 >あの世のことなどどーでもよい、成仏するとかしないとかどーでもよい、戒名など欲しいとも思わない、お経なんぞ挙げてもらわなくても結構、このように考えるほーが人間はよほど晴れ晴れとして平穏で清らかな人生を送れるのではないでしょうか。 仏教が伝来する前の人々は、それはそれで平穏で清らかな人生を送れたと思います。 一旦、外来宗教を導入すると、外来の鉄筋コンクリート建築物や、外来のインターネットなどと同様、一朝一夕には排除しがたいモノでございますね。
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