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ユートピア(理想社会)とはどんな社会でしょう

   今日まで地球上には封建社会から始まり、共産主義社会、資本主義社会といろいろ出てきましたが、どれも行き詰っていますね。 では真のユートピア(理想社会)とはどんな社会でしょう。 それは実現可能でしょうか。 それはどのような基盤に支えられて実現されるのでしょうか。 科学技術の発展によりもたらされるのでしょうか。 富と経済力に支えられてもたらされるのでしょうか。 高度な教育により実現されるのでしょうか。 国民総幸福量(Gross National Happiness, GNH)を掲げるブータンのような国もあります。 信仰とか神とかが必要なのでしょうか。 皆さんの考えを聞かせてください。    

みんなの回答

  • ways
  • ベストアンサー率31% (79/253)
回答No.9

明るく元気で、笑いの絶えない社会。希望にあふれていて、個人個人の人権が、守られている社会。悪意のある嘘をつく人がいない社会。心を基盤とした、命を大切にする社会。人としての権利が認められている社会。誠意ある言動に価値を認める社会。健康に気を配ることのできる社会。子供や年配の方が、いきいきしてる社会。心ある社会。 といったところでしょうか。

回答No.8

ヒマラヤ山中の小国・ブータンは、戦後、最も遅く国際社会に 参入した国であり、まもなく貧富の格差拡大やバブルの崩壊を 目にし、先進国の自転車操業的な経済発展の欠陥を知った結果、 「GNP(国民総生産量)ではなくGNH(国民総幸福量)を目指す」を 国是とし、西欧からの援助や観光客を制限し、森林の伐採の 抑制や伝統風俗の保護など、他の発展途上国の「発展=先進国の ようになる」とは異なる方向を目指しています。 ブータン文化の基盤である地域コミュニティの互助による衣食住 の自給自足、大家族制による濃厚な人間関係に基づく、精神的 満足感を大切にしているのです。 そうした精神的な高さでいえば、元々の日本は、労働集約的な ジャポニカ米の稲作農耕文化の濃厚な地域コミュニティによる 協調性、同じ顔ぶれで過ごす島国文化の以心伝心の重なった、 世界でも稀な集団主義による高い社会性を誇っていました。 そうした集団主義が、工業化における大量生産に応用されて、 アジアで真っ先に先進国の仲間入りを遂げたのです。 しかし戦後の高度経済成長における共働き・核家族化によって 家庭教育は劣化し、地域コミュニティの希薄化で伝統文化の 世代間伝承は阻害され、丸暗記の点取り競争の学校教育に人格 形成まで依存した結果、詰め込み知識だけは多くとも社会性の 乏しい(コミュニケーション能力・思いやりの欠如)自己チュー 人間を量産し、幼は学級崩壊、長じては引きこもりにニートと、 かつての高い精神文化を誇った日本は、アメリカの思惑通りに 弱体化しています。 今、身の回りにある衣食住どれをとっても世界中の人々の営為 によって届けられたものであり、誰も一人では生きられず、 既に社会的生命体になっているのです。 しかし、そうした自己の生命の社会的拡張を自覚化し得る認識 の深まりの育成を怠り、お金や出世といった“馬車馬の目の前 のニンジン”によって操り、自己チューなまま他律的に社会性 のコースを走らせる方法をとったのです。 人は他律的に生かされる(お金をもらうためにイヤイヤ働く) 歯車となり、かつて単細胞生物として個々の細胞が環境に対し て多様に対応していたのが、多細胞生物の中では神経やホル モンに条件反射的に反応するだけになっているように、生命 としてしての“生きる意志(自己存在の本質に根差した喜び)” を、教育や法規、社会制度といった社会システムの上に転嫁 して、個々人は無意識の歯車に堕しつつあります。 本来、死による幸・不幸±0の状態から、充足量の増進を 目指して生きているはずが、いつの間にか苦痛(マイナス) から逃げるだけの、かろうじて死人に近い生になってし まっているのです。 人が生きるのは、お金や物欲のためではなく、精神的充足の 最大化のためであり、そのような自己存在の本質に根差した 意志の深い認識における達成の把握は、最大充足を可能にす るのです。 もはや我々の身の回りの衣食住、どれも世界中からやってき ており、今や人類は社会生命だと言えます。 人は一人では生きられず、個人の生命は社会的に拡張されて いるのです。 遺伝的な交配のための愛に限らず、自己の生命性の社会的 拡張の自覚化=他我として、愛は必然なのです。 その愛によって肉体的有限は越えられ、自己の寿命の有限も 越えて、宇宙の果てでも遠い未来においても、(他への愛と 信頼の限りにおいて)予め自らの意志が果たされる喜びを 感じられるでしょう(人生を通算した最大充足の達成)。

回答No.7

>それは実現可能でしょうか。 いいえ。 実現可能な社会はユートピアとは呼びません。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.6

封建社会から始まり、共産主義社会、資本主義社会といろいろ出てきましたが、    ↑ 人類の始まりは、原始共産制、という説が強いです。 封建制が出て来たのは、ず~と後の話ですし、 封建制を採らない国も沢山ありました。 中国や朝鮮などは封建制は無かった、という説が 有力です。 マトモな封建制があったのは、日本と欧州だけ。 それから、共産主義社会、というのはいまだ出現した ことがありません。 社会主義の間違いではないですか。 ”真のユートピア(理想社会)とはどんな社会でしょう。”     ↑ 豊かで、健康で、みんなが仲良くできる社会です。 それは実現可能でしょうか。     ↑ 無理です。 豊かで、健康てのは科学技術などの発達により 可能ですが、みんなが仲良くてのは無理です。 人間は競い、争うことにより、科学技術や管理の手法を 発達させ、ここまで繁栄してきたのです。 皆が仲良くなり、争い、競うことがなくなったら、豊かさも、 健康も失われるでしょう。 それこそ、人類が行き詰まります。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.5

こころの中にあるってやつではないかな。 科学技術があまり発展していなくとも、宗教がなくても。 温和な人々が暮らすところあれば、そこが理想郷になる。 多少、地球環境によって生きる厳しさは左右されるだろうが、どのような気質の人々が暮らしているかで、そこが退廃するか栄えるかが分かれると思う。 これはアルカディアと言ってもいいイメージかも知れない。

  • hikaricom
  • ベストアンサー率25% (195/772)
回答No.4

ユートピアかどうかは分かりませんが、圧倒的な平和な地球環境は存在し得ます。 宗教は、精神的存在を主体とする命の在り方を解く上では必要不可欠でしょう。人間は物ではく精神としての営みをもって初めて人生の意義を持つ訳ですから。 しかし、何かに入信するとか、特定の神を持つ必要はないでしょう。ただ他の人の信仰を否定せず尊重することが求められます。精神的な存在だという認識と、そこを出発点とした教育と信念とがまずなくてはならないでしょう。 そうなると、最早それは道徳とか倫理といった宗教や哲学です。 しかし、ある特定の信仰の対象というものは必ずしも必要ではないと考えます。 神を人を己の姿に似せて創られた。 例えばユダヤ教に見られる旧約聖書に含まれるこの言葉が意味するところは、暗喩めいた表現ですが、これは単に精神としての人間を指しています。 精神、つまり魂である本来の私たちは、非常に神に似た存在であるという解釈が出来るのではないでしょうか?しかし、肉体を持った私ら人間は、腹も空き、様々な物質を対象とする欲望を抱きます。しかし、それでもこの物質宇宙を精神の在るべく秩序を持ってコントロールする術をもしも学ぶならば、人間はあらゆる地球環境に対して、より理想に近づくべく変革が可能となるでしょう。 しかし、その学び、理論、教育、あらゆる宗教が取り組もうとして到達し得ない現実は、ただ単になぜ?人は間違いを犯してしまうのか?という心の仕組みがまだよく理解できていないからなのです。 心理学はすでに迷妄していると言わざるを得ません。精神医学は完全に製薬会社の販売部と化しています。するとやはり宗教や哲学がより高い次元に人間を導くべく教育体系を創り上げなくてはならない使命を負っているのかもしれません。 より現実に即し、実際世界に適応出来る科学的な体系を必要とします。特に教育の領域において。ドイツのシュタイナーやアメリカのL.ロン・ハバードといった哲学者が展開した教育は、そういった意味では先端を行く社会的な教育改革の萌芽とも見えますが、これについては様々な既得権益者や企業が眉をひそめるところかも知れません。が、確かに彼らがやろうとしていることは、しっかりとした科学に裏付けされた宗教哲学を中心として展開する、多岐に渡る教育の在り方が、が今の混乱した世界を秩序立てるに必要な源となるのではないかと思われます。 しかし、精神医学のような人間は脳のメカニズムが作り出す意識の集合に過ぎないといったアホな思想を提唱し、脳にダメージを与えるような薬物を患者にばら撒き、人を死へと追いやっている現実を見れば、理想的な教育の広がりは容易ではないかも知れませんね。しかし、質問者様が言われるように、ユートピアは可能でしょう。 少数のエリート達が都合よく間引きした情報によって提唱される医学や経済学などの嘘を見破り、まともでより生存に即した教育が以後人類の為に解放され、又推進されていくならば⁈ですが。 ユートピアは可能と私は考えます。

noname#215107
noname#215107
回答No.3

科学技術の発展により、人間がすべて機械の管理下に置かれる社会でしょうね。 定義はともかく、ある幸せな人生をテーマとするなら、その体験を人間にさせるような世の中でしょう。映画マトリックスのような世界と違う所は、疑似体験ではなく本当に体験させ、尚且つ、寿命を全うさせます。 生産活動、環境管理はすべて機械が行い、そのために必要な資源は地球外の星などから取り寄せます。

  • ast0718
  • ベストアンサー率41% (35/85)
回答No.2

文学上ユートピアというものは存在しないものとされている 実際いわゆるユートピア文学と呼ばれるものは 理想的な社会と呼ばれる社会が決定的に歪んでいる様子を描写している 私が思う理想的な社会とは、余計な他者の介入がなく 自分がしたいことのために必要な適切な情報源にアクセスできる社会だと思います ただ現実的なユートピア社会というのは 結局のところたくさんの階層からなる階級社会になるのかもしれませんね 私は人間の本質とは自由を追い求めるココロだと理解していますが、 それを頑なに拒否し、貧しくなることを望む人間のほうが多い気がしますので

noname#211434
noname#211434
回答No.1

『誰もが平等で、無益な戦争や争いのない社会(世界)』が私の理想社会です。 『自分』と『自分以外』が存在すれば、争いや差別(不平等)が生まれます。 なので全てが、何の思考力も持たないただ一個の生命(物)になればよいと思います。

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