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酒呑童子を切った日本刀とされているのは・・・。

酒呑童子の首を切ったとされるのは童子切安綱と言われていますが、この逸話は室町時代の刀剣書能阿弥本?以降から言われ始めたもので、それ以前の資料では源氏の重宝であった蜘蛛切(膝丸)を使ったとされている、と聞いたことがあるのですが、本当ですか?また、それ以前の資料とはどれの事ですか?室町時代からの資料とそれ以前の資料とではどちらが信憑性が高いかも書いてくれると嬉しいです。

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  • ベストアンサー
  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.2

14世紀成立の「大江山絵詞(巻?)」だと、銘が記載されていません。 酒顛童子絵詞(1522年)は血すひだったと思います。 確か、御伽草子所載のも「ちすい」のみだったと思います。 土佐絵本のしゅてん童子は 「くもきり」と「ちすい」で、 菰に隠し持っていたのが「ちすい」で退治したときの刀はこちら。 別の絵巻にも両方出てくるのがあります。 私は、上記から、ちすい→童子切だと思っていたんですけどね。

noname#210532
質問者

お礼

回答ありがとうございます。やっぱり色んなものが混同されて伝わっていたみたいですね。ちすいという名前ははじめて聞きました。知らなかったので勉強になりました。教えてくれてありがとうございます。

noname#210532
質問者

補足

ちすい=くもきりという可能性はないのですか?

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その他の回答 (2)

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.3

#2です >ちすい=くもきりという可能性はないのですか? すべての絵巻物や詞書のもを読んだわけではないですが、 2本出てくる場合、菰から出した刀が「ちすい」のほうが多いです。 また「蜘蛛切」と「ちすい」は二尺一寸という記載が多いのですが、 どの絵巻だったか忘れましたが「ちすい」のみ二尺八寸と書いているものがあります。 童子切は二尺六寸六分で少々短いですが近い数値です。

noname#210532
質問者

お礼

再度に渡って回答ありがとうございます。つまりどのみち二本あったと言う事ですね。教えてくれてありがとうございます。

noname#210532
質問者

補足

また補足で恐縮なんですが、二尺六寸六分と二尺八寸で実物との数値に違いが出るのは何故なんでしょうか?童子切は使用された可能性があり刀身に何らかの欠点ができたため研がれた事があり短くなった、という可能性があるのでしょうか?それともただの表記の誤りですか?

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回答No.1

童子切安綱と蜘蛛切が同じ刀だと混同されていた時期があったから それでじゃないですかね?

noname#210532
質問者

お礼

回答ありがとうございます。本当は二本あるのに同じ刀として混同されてたんですか!はじめて知りました。教えてくれてありがとうございます!

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