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歴史的書物の保存場所

歴史上、歴史的書物等の保存はどこで行っていたのでしょうか? 現代においては、歴史的書物等は博物館、歴史資料館、大学、研究所などに厳重に保管されていると思うのですが、 そのような施設がちゃんと建設されていなかった時代(明治時代以前?)はどのようにどこに保存をしていたのでしょうか? 例えば、「源氏物語」は平安時代以降どこに保存されていたのでしょうか。もし、保存が行われていないのであれば、どうして現代社会において「源氏物語」の文章が存在しているのでしょうか? わかりにくい質問ですが、 よろしくお願いします。

  • 02boy
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  • 歴史
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回答No.4

#2です。 宗教関係の資料のみが保存 →では無いと思います。 奈良の春日大社には藤原氏奉納の調度品や武具・舞楽面などの美術工芸品があります。ほとんど国宝・重文。 国宝・重文の指定を受けた武具の8割を所有する神社もありますね。 そういえば、曽祖父が鉄砲水で家財が流され家系図まで失ったが寺に問い合わせたら13代前までさかのぼれる記録があったと言っていました。 どのような目的により保存→基本的には奉納・寄進ですから、それらの性格をよく考えてみて下さい。ちなみに私は心のこもった贈り物は粗末にできません…。 大宰府天満宮には平安時代初期に筆写されたらしい(本家中国にも無い)唐時代の歴史書があります。もちろん国宝。ところがこの国宝だとて来歴・価値・年代・存在そのものなど昭和になってから発見・研究されたものなのです。「明確な目的」の為に保管していればこんなことにはならないはずですよね。まぁ収蔵されているモノ自体がこの時代まで現存していただけでも立派ですが。 よろしくお願いされて再び回答するにしては疑問にお答えできず申し訳ありませんでした。

02boy
質問者

お礼

再び回答していただきありがとうございます。 また、こちらの勝手な質問に丁寧に答えていただきありがとうございます。 大変参考になりました。 自分でも調べ考えてみようと思います。 ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • d-drop
  • ベストアンサー率22% (214/938)
回答No.3

 こんにちは。  まず、「源氏」そのほかの文学作品は、「書き写す」ことによって流布しました。一字一句間違いなく。でもそうは言っても、人のすること、書き間違えもあります。それで、いま伝わってる「源氏」は、幾種類かあって、微妙に違うんです。それを研究して、復元したものが、岩波文庫などの「源氏」です。作品によっては、諸説ある場合もありまして、そうすると、人によって、違うテキストができたりします。  古典作品をよく見ると、「注」といわれる部分に、これはどこどこ所蔵の本ではこうなっている、という記述があるはずです。  江戸時代になって、印刷術が普及しますと(その前から印刷術は使われてはいたのですが、少数でした)膨大な量の作品が出まわります。ここにも問題があって、印刷する版(板木といいます)を削ったりするケースがあります。作品本文の違いは減るのですが、同じ文章で題名だけ違うものなどがたくさん出ます。これもまた研究しなきゃいけないんです。また、非合法出版だったり、出版するほどでもないと作者が考えていた作品が「写す」ことによって普及したりということも多くありました。  保存は、まず幕府の書庫「紅葉山文庫」がもっとも大きいものでしょう。あと徳川御三家にもそれぞれ壮大な書庫がありました。大きな大名も書庫を持っていました。いま古書籍を所蔵してる機関の多くは、大名の書庫が母体になっています。  また、地方の大きな農民も、かなりの数の書物を所蔵して、ときには図書館的な役割を果たしていたようです。いまでも、大農家だった家の倉をあけると、大量の書物がでてきます。  和書は、湿気や直射日光を嫌いますので、だいたいは風通しのいい、日のあまり当たらない場所に保管されたようです。でも、金持ちや、本を大事にする人はそうしていましたが、そうでない例もあります(というか、そっちの方が多いです)。そんなところでは、鼠の糞まみれだったり、虫食いだらけだったりします。何冊の本が固まっちゃって、ブロックみたいになってる場合もあります。それをはがして、きれいにして、補強して、博物館や文書館に納めたり、もとの持ち主に返したりします。  どんな人がどんな本を読んでたかわかりますので、面白いですよ。「鑑定団」みたいなことは、めーったにありませんけどね。  余談ですが、明治以降、とくに戦後の混乱期ですが、もと大名家が、生活に困って、蔵書を売り出すことも多く見られました。それが、今の大学の図書館に買われていたりします。誰それの蔵書ということで、まとまって売られ、買われる場合はいいのですが、散逸してしまうことが多いです。古書籍専門の古本屋で、反町茂雄さんという方がおられますが、その人の回想録を読むと、そのあたりがわかって興味深いです。そうそう、天理大学の図書館は、貴重な古典籍をたくさん所蔵しているので有名ですが、これも、反町さんと、大学内にいた、中村幸彦さんという大学者の目利きによるところが多いんです。もしおふたりがいなかったら、それらの貴重な書物は散逸してたでしょうね。  この辺のドラマは、並みの小説よりずっと面白いです。  長文乱文失礼。ご参考になれば。  ご参考になれば。

02boy
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 大変参考になりました! とてもおもしろそうな話なので、自分でも調べてみようと思います。 ありがとうございました。

回答No.2

神社仏閣。 書物に限らず、国宝・重文に指定されている歴史あるモノの多くはここで保管・管理されていたのでは?

02boy
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 神社仏閣には、やはり宗教関係の資料等のみが保存されているのでしょうか? また、神社仏閣ではどのような目的により保存してあるのでしょうか? などと疑問がわきました。 もしよろしければお答えいただけないでしょうか? よろしくお願いいたします。

  • 2199
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回答No.1

一例として冷泉家文庫があります。藤原定家の直系の家系です。定家が校訂書写した源氏物語を含むおびただしい古典が「御文庫」と呼ばれるクラの中に厳重に保管され、半ば神格化した文書は冷泉家が文字通り命がけで現在まで守り伝えています。

02boy
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そのようなものが存在していたのですね。すごいです。 よりくわしく調べてみようと思います。 ありがとうございました。

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