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想像の翼を広げる

Tastenkastenの回答

回答No.3

No.2です。お礼ありがとうございました。 「想像の翼」という語が、NHK朝ドラの中で、村岡花子が「赤毛のアン」に出会う前に使われているのは、脚本家の茶目っ気ですね。こういう手法はよく使うと思いますが、あのドラマの登場人物の一人、「朝市」も、ドラマの直後の番組「あさイチ」からとったと、脚本家自身が話していました。「あさイチ」という番組の冒頭で、直前の朝ドラの感想を出演者が話すので、それを意識したとのことです(笑)。村岡花子とアンのイメージを重ね合わせるために「想像の翼」という言葉を意識的にセリフにしたわけです。「腹心の友」も同様ですね。 松本侑子という翻訳家が、「赤毛のアン」の新訳をしているのですが、その人の著書に「赤毛のアンに隠されたシェイクスピア」というのがあります。私は読んでいないのですが、もしかすると、「想像の翼」が「ヘンリー五世」からの引用であるかどうかが書かれているかもしれません。 http://www.amazon.co.jp/%E8%B5%A4%E6%AF%9B%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%81%AB%E9%9A%A0%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%94%E3%82%A2-%E6%9D%BE%E6%9C%AC-%E4%BE%91%E5%AD%90/dp/4087745112 五味川純平「戦争と人間」に関しては、おっしゃるように、年代的に「赤毛のアン」の出版後なので、これを読んだ可能性は十分あると思います。一方、五味川純平は東京外語大の英文科を卒業しているので、そこでシェークスピアを学んだ可能性や、ほかの英米文学作品からとった可能性もあるかもしれませんね。資料がないので、この辺は何とも言えません。

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