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存在とは?何を持って存在とするか?
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現実に、夢を一滴たらして、虚空の鍋で煮詰めたもの。 注意:食べ物ではありません。 なんてね。 例えば、部屋がある。その部屋から家具を運び出せば、空(から)になる。でも、埃とかがあるから、それも綺麗に掃除すると、部屋だけが残る。いやまだ、空気があるからといって、空気を吸い出したら、真空になる。しかしそこにはまだ電磁波が、、電磁波を取り除いても空間が、、空間を無くしたら、そこには何が残る?空間に依拠しないものが残るかもしれない。しかしそれ以上は私には想定の無駄である。わからないのだから。だか、言えることは、何も無いと言えるようになるまでに、実に多くのものを消し去らねばならない。その消し去らねばならない分が、存在しているのです。 存在、即ち在るというのは、無いと対になっている言葉です。つまり、無いことが想起され得る全てが存在していると言えないでしょうか。
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- suzumenokox
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「ビッグバン以後の、自然界の法則に従った‘そもそものエネルギーの塊‘の展開の表出の結果が、現状における実体としての存在。その表出の過程で生み出された精神が作り出す概念という存在もある。過去の事実や時間やフィクションというのは概念としての存在。」 今のところこんな感じで私は存在というものを考えています。
- Y Y(@yy8yy8az)
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「性質」の語感。 yunikoさんの“物質は性質で出来ている”という表現はいつまでたってもなじめません。 「性質」の語感としては“物質には性質がある”と云うのがしっくりとします。 存在するものにはすべて性質がある! yunikoさんの考えは、これでいいのではないでしょうか。 宇宙の存在は相対するもののない、言い換えれば絶対の精神体であると仮定してみれば、自分の心、物質とは言えず、だから目に見えないこの精神に、意志、理性、感情という働きがあることから、絶対の精神体にも同様の働きのある事が想像できます。 存在とはこの働きによると、言いたいと思います。 宇宙の存在は精神体の意力の表れで、そこで繰り広げられる現象の成長、崩壊は段階的であり、それを理性と言う。感は物体は障礙するもの、のこと。 その“障礙”を生命は自身の心に感覚し、また心の発達は高等生物において感情ともなる。 存在とは絶対の精神体の働き。その存在物には総てに性質がある。 現象は意の力。 力めばウンチが出るように。
お礼
>宇宙の存在は精神体の意力の表れ な訳ですね。その精神体に 意思 理性 感情という働きがあり この働きによるものが存在と呼ばれるもの と言う訳ですね。 成る程 そんな風な考えがあって そう考える人も多いようですねえ でも 存在を定義して下さってどうもありがとうございます。
- ways
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五感や心で感じられるもの、と言えばいいでしょうか。 インスピレーションや第六感や勘で感じられるものも、「ある」と言えると思いますし、心や精神で感じるものも、それが「ある」から感じられるんだと。
お礼
そういう定義もできますね 第六感が当たるかどうかは分かりませんが あると思えばあると思うのが人間かもしれません。 どうもありがとうございます。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>概念は存在じゃないんですか? 概念を存在に含めるとまずいことが起きるのです。 つまり、存在しないものが無くなる。 そうすると、存在を定義する(=他と識別する)意義さえ無くなってします。 >では精神も存在しないのですか?? 精神は頭脳という存在が生じせしめる現象と考えましょう。
お礼
存在しないものは無い と考えています。 全ては存在するものの世界です。しかし変化するので存在したものが消えたように思うだけです。 他と識別する意義はあります。鶴と亀とか 月と鼈は同じ存在じゃないと思えばいのです。 個性があるのです 存在にも。自我に個性があるように^^ 精神は確かに現象しています。しかしこの宇宙にあるもの全てが現象しているのですから さして変わりありません。 どうもありがとうございます。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.5です。 ○ 冪:べき。自乗ないしその連乗積。 です。
お礼
べき! そういえば中学か高校で「べき」と言ってましたねえ 漢字があったんですねえ 目から鱗です。 どうもわざわざありがとうございます。
- tomiihappy
- ベストアンサー率44% (51/115)
私も今、勉強中なのですが 良ければ読んで下さい。 (1)(2)(3)と答えが出てきます。 存在の語感について 私が思うに 存在とは 自分が100%確実に認識できるモノ ではないでしょうか? 認識した 時点でそれは、なんらかの形で存在する。 例え、誤認や幻覚であったとしても 自分の脳がそれを認識した時点で 存在した となる。 誤認、幻覚という、事実がわかるまでは それは存在していると感じていたのだから。 この原点になる考えは (1)プロタゴラスの 人間は万物の尺度である この言葉だ。 しかし、これを上回る考え方もできる そもそもこの世に100%確実なモノがあるかどうか?という考え方だ 行きつく先は (2)デカルト思想や独我論 この考えなら、存在とは自分の意思のみ! と、言う事になります。 しかし、ながら その絶対確実の特異点は本人がどこまでを 信じるかで決まるので まだ、先があります! 自分と言う意思があるのか?無いのか? ギリシャ、ソフィストのゴルギアスは この世に100%確実なモノは存在し無い と、言っています。 つまり自分の意思すら存在は危うい! と、言う事です。 そうなると、存在、とは矛盾した言葉になります。 ゴルギアス思想で考えるなら 存在=数字の0 数学で用いる数字の0は便宜上便利なため 生まれた表現です。 相対性理論で構成されているこの世には 存在しない数字です。 まとめます (1)の考えが平均的で社会的かな? ポピュラーな捉え方だと思います。 答え 自分が認識したら存在 (2)の考えならちょっとマニアック 答え 存在しているのは自分の意思のみ つまり存在=自分の意思 (3)の考えはかなり特殊、変態扱いされるかも(笑) 答え 存在なんて言葉は言葉だけで この世に存在しているモノは無い! 因みに私は (2)よりの(3)の考えです(笑) でも人に勧めるのは(1)です。 選ぶのは本人の価値観かと… 私はどれも正解だと思ってますから(笑) 質問者さんの知りたいことから 的外れならゴメンなさい! 読んでいただきありがとうございます! 参考になれば嬉しいです。
お礼
実に爽やかな清々しい答えです その三つを頭に置いて 演繹したり機能したり 思考と経験で答案を出せばいいのです。 100点はなかなか難しいでしょう。しかし99.9999・・・まで迫ればいいのです 宮沢賢治も求道既に道である と言っています。 どこまでも求めていけばいいのではないでしょうか どうも大変ありがとうございます。
- urigadai2013
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ハイデガーは存在と存在者(存在するもの)を区別しています。 物理的存在は、存在者(存在するもの)であって、存在ではありません。 存在者は定義できます、しかし、存在は定義できない。 それは個別的な存在者を抽象したもの、もっとも普遍的で、最高の概念は中身が何もなく、実質的なものを有していないからです。 概念の階段を上昇すれば上昇するほど、実質は無くなって行きます。 ちょうど、地球を上に上昇してゆけば、空気がどんどん希薄になって行き、しまいに空気が無くなってしまうのと同じ。 すべてを包括し、すべてを部分として含むものは、それ自体はもっとも空疎なものです。 ヘーゲルの「精神現象学」で、最終的に到達した絶対知についてヘーゲルが何も言えなかったように。 存在はそのもっとも普遍的で、最高の概念だから、もっとも抽象的で、なんら実質を有しない。 そのようなものは定義ができない。 中身が何も無いものは定義ができないのは当然。
お礼
そのハイデガーが何と言ったか知りませんが 私には納得が行きません 存在を特別なものに祭り上げて 人間存在と物質存在の接点を見えにくくしています。 存在に実存も存在者もありません 物も自我も存在するのです。 大学の哲学科は何をやってるかと思えば その様な事を言っていたのですか ガッカリです。 どうもありがとうございます。
- hekiyu
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存在には二種類あります。 月や星が存在する、という場合と 美や国家が存在する、という場合とでは 異なります。 月や星が存在する、というのは、存在する から存在するのだ、ということになり これ以上の説明は出来ません。 これに対して、美や国家は概念です。 つまり、人間の頭の中にだけ存在するものです。 こういう概念は、人間が存在すると信じれば 存在することになります。 例え客観的に存在しなくても、存在すると 人間が信じれば存在します。 反対に、客観的に存在していても、存在しない と信じれば存在しません。 議論が錯綜しているのは、この客観的存在と 概念の存在とを一緒くたに考察してしまう からです。 例えば「無」です。 何もない「無」というのは概念上は存在し得ます。 しかし、現実の宇宙には、何もない真の「無」は 存在しない、と言われています。 (インフレ宇宙論) このように、客観的な存在と、概念上の存在は 異なるのです。
お礼
成る程 確かにそうですねえ しかし国家と言うものが存在すると言う概念としての存在(性質としての存在) と「美」という更に客観性もなく 共通認識も無いかもしれないものも違うかも 美 と言うものが存在するのでしょうか? 美という言葉の概念は存在しますが 美 が存在するのではなく美しいものや言葉 美しい概念が存在するのではないでしょうか? 無と言うものは0と一緒で元々存在しないことを表したものですから 無は概念としては存在しますが現実には存在しません。PCの世界ではヌルストリングス と言うのもあるようですが・・・ つまり概念としての存在は性質としての存在 月や星というような物質的存在は エネルギーとしての、或いは素粒子、量子としての存在という訳です。 それを一緒くたにしてはいません その上で存在とはどう定義すべきか考えているのです。 どうも大変ありがとうございます。
- urigadai2013
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ハイデガーは「存在と時間」の初めで、存在は定義できないと言っています。 定義というのは、それよりも大きな概念の中に包摂すること、だけど存在という概念にはそれ以上大きな概念がないから、包摂できないので、定義できない。 そして存在はもっとも普遍的な概念、といっています。 もっとも普遍的だということは一切の個物を含むということであり、もし概念というものが限定されたもの、境界線を持つものとしたら、存在は限定されたものでも、境界線を持つものでもないことになり、通常の概念ではなく、概念を超越した概念、あるいは概念ではないことを意味する。 さらに存在は自明な概念である。 存在は日本語では「ある」とか「いる」に相当し、私たちはその言葉を使わないで会話することができないほどに口にし、書いている。 日常的に当たり前のように使っているということは、私たちは存在という言葉で何を意味するのか十分知っていなければならない。 知らずして、「ある」とか「いる」という言葉を使うわけがない。 しかし、ひとたび存在とは何か?と聞かれたら、それに答えることは出来ない。 あまりにも自明なものは、それが何であるか言うことは出来ない。 実存主義でいう存在は人間存在の意味であり、物理学でいう存在は物質的存在のこと。 以上、ハイデガーのいうところによれば、存在は定義できない。
お礼
物理学で言う物質的存在は 定義しようと思えば出来なくもない様ですねえ。 私 貴方 彼 彼女と人を呼びながら その存在は定義できない ハイデガーという人はそんなに権威のある人なんですか 私の解釈は存在とは「(個性ある)性質を持ったエネルギー」が存在の単位であり 精神はその「性質」としての存在と考えています。 精神は性質で出来ていると考えています。 ただ誰も分かってくれないので教えを乞うているのです。 どうもありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
「存在」という言葉は幅広いので、文脈によって異なる 意味を持つ; 1.存在=感受し得る事。 感覚器官表面での相互作用。 2.自我に相対する対象。 脳内で再生される環境性において、相互作用の原因を 推測する事。 3.五感の相関した経験の蓄積において、新たな先行感覚 (光や音など情報の高い)に対して、より生理的な感覚 (味覚や触覚など)を励起させる事により、“そこに 行けば何が起きるか”という空間の広がりを生じる事。 4.時間軸(自我仮説=記憶=過去=超光速)と空間軸 (空間仮説=予測=未来=光速下)の、感受表面の量子相互 作用(光速=現在)からの対発生(階層現象表面的定性化 による仮想的非光速性による)において、時間軸は虚数 関係にあり、等距離点において相殺されて0の面(界面 原点)を成す。 それは、光量子の軌跡=ライトコーンであり、全ての 素粒子が超弦(量子定常波)の励起状態として得られる 事において、存在とは、『何かあるんじゃないの』という 疑問として生じる時空を、『本当は無いんだけどね』と 無へ還元するものとして得られるのだ。
お礼
成る程 分かり易いですねえ。 しかし結論は難しですねえ。本当はない と言うと全てものに実体はない と言うような事でしょうか? 酸素分子も H2Oも人間の心も 本当はなのでしょうか? それを無に還元するものとして存在は得られる。 微妙な表現ですねえ どうもありがとうございます。
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お礼
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