• ベストアンサー

権威なんてものはもともと存在しません。

  キリスト教神学に権威があると思ってる阿呆がいます。 ただただ踏みにじられているだけなのにそれに気づいていない。 哀れである。 仏教に権威があると思ってる阿呆が居る。 葬式仏教ごときが何を抜かす。 確かにアルケー神学は私一人の神学に違いない。 だがそれがどうした。 少なくともアルケー神学は自己完結している。 だれも反論出来んではないか。 権威なんてものにぶら下がる奴は阿呆である。 権威なんてものはもともと存在しないからである。  

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.7

>葬式仏教の権威?って何それ。 葬式仏教の権威とは、葬式仏教に従事する人たちの時間給によって測られる価値でござるよ。 一般の労働者が一時間に1000円の価値を得られ、高給取り御役人様でも一時間に5000円ぐらいの賃金の時代において、権威ある葬式仏教寺院の坊主になると読経料が20,000円、30,000万円,50,000円、なかには一時間100,000円と高額になるのですよ。 ワシがハトコの名付け親になっても一銭にもならんのに、どっかの死人の戒名を付けてもらえば、それだけで1,000,000円とか2,000,000円などの戒名料をとるよ。 これが葬式仏教の権威じゃよ。 権威が無くては、どうしてこんな高給取りに成れると思う?

その他の回答 (7)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.8

>「ひたすら、享受します。」 ご謙遜を。

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10269)
回答No.6

あなたに権威があれば、賛同者がすぐ増えるでしょうに…

hitonomichi34
質問者

お礼

  キリスト教も仏教も今から20年以内に消えるはずなので、その後は「人の道」が台頭することになるでしょう。  

回答No.5

>権威なんてものはもともと存在しないからである。 権威は長い年月を掛けて作られるものである。 キリスト教神学や葬式仏教の様に、、、。

hitonomichi34
質問者

お礼

  葬式仏教の権威?って何それ。  

回答No.4

お金に価値なんて存在しません。 それはただの手アカに汚れた紙切れに過ぎない。 「いや、お金にできない事はない」と言う人もいるが、 お金にできる事はただ一つ、『お金があれば何でも できる』と思っている人に、何でも“させる”事だけだ。 無人島に行ってみればいい。ティッシュ1枚の価値もない。 ならば、なぜお金に反論しないか? 役に立っているからである。 宗教は、信じる事で生きる指針が得られ、死後の安寧が 確信でき、社会が平穏になる。 その自己完結性を責めて、事を荒立てたくないだけだ。

hitonomichi34
質問者

お礼

  >ならば、なぜお金に反論しないか? 役に立っているからである。 まあ、馬車馬の前のニンジンってことで役には立ってるね。 >宗教は、信じる事で生きる指針が得られ、死後の安寧が 確信でき、社会が平穏になる。 もともと宗教は統治の道具として発生した。 馬車馬の前のニンジンなんだよね。 これについてはいずれ叩き台に乗っけます。    

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.3

こんばんは。 >「権威なんてものはもともと存在しないからである。」 その福利は、国民がこれを、享受する。

hitonomichi34
質問者

お礼

  ひたすら、享受します。  

回答No.2

権威ほ否定して君を守る私がいるだけではない。 君の全てを否定する私がいる。 君の父たる私は、君と戦ってこそ理解するのだ。 私は全てだ。

hitonomichi34
質問者

お礼

  今回はV字ないじゃん。  

  • rex32
  • ベストアンサー率18% (28/151)
回答No.1

あららー せっかく 仏教の進化を まとめたのに 今日の質問には回答にならないな じゃ 又 次の機会に・・・・

hitonomichi34
質問者

お礼

  >じゃ 又 次の機会に・・・・ あららー

関連するQ&A

  • 哲学にとって最も重要な事はその自己完結性である

      宗教であれ信仰であれ、思想であれ、哲学であれ、これらを成立させる最も重要な要件は何かと考えてみた。 そしてこれらのものを成立させる最も重要な要件は自己完結しているかどうかであると考えた。 どれほどの綺麗事を掲げる政策であれ、実行段階で内部矛盾を抱えていれば直ぐに破綻する。 仏教であれ、キリスト教であれ、およそ既成宗教と名の付くものは、この意味で見たとき内部矛盾を抱えるものばかりであり自己完結したものなど一つも存在しないことが分かる。 奇跡を説くキリスト教であるがその奇跡を受け入れることのできないキリスト教徒は悩み苦しむことになり、無や空を説く仏教であるが結局坊主は無や空が何たるか分かるわけもなくただただ途方に暮れるばかりで、せいぜい葬式仏教を営むくらいしか出来ないのである。 思想や哲学において最も重要な事は、その思想や哲学の歴史でも権威でもなく、またそれを支える組織やコミュニティの存在でもなく、純粋に自分自身がその思想や哲学を納得できるかどうか、その思想や哲学が自分自身の中で自己完結しているかどうか、それ以外ないのである。 このように考えるとそれが自分独自の考えであろうとなかろうと、やはり自分自信で辿り着いた思想なり哲学なりを最も大事にしないといけないのではないだろうか。  

  • 聖典の権威とは?

    大宗教の開祖様のご主張のみでできた「聖典」というものがあるのでしょうか?ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖典はいずれも開祖でない人たちの記録・編集が介在したもののようです。仏教でも然り。新興宗教では別のようですが。 さて、それら「聖典」なるものの権威を認めようとする場合に、記録者・編集者の存在がどのように評価されているのでしょうか? また、開祖様ご自身がお書きにならなかった理由についてもご意見頂ければ幸いです。

  • 仏教の存在意義はなに?

    自分は寺ってお葬式やお盆などにしか行く機会がありません。 方やキリスト教は日曜日に集会があったり、その他いろいろ日ごろから信者に接する機会があるようにみえますね。そういう意味で存在意義は明確なような気がします。 ふと考えてみれば、宗教は生死のみにかかわっているものではなく、人々を癒したりする役割も担っているとおもうんですが、仏教はどうなんでしょう? まあ、大晦日にお寺の鐘の音を聞いて、元旦に神社にいく人ばかりの国だからそういうことをいっても始まらないかも・・・。

  • 仏教は既に終わったのか

      生命の問題について、今社会が問うている生命倫理の問題について何らの答えを示すこともできず、 福島で原発が爆発しても何らの教えを示すこともできず、 ただただ葬式の度に出てきてはお経を読むだけの仏教に何らの思想も理念も哲学もなく、 もはや仏教の未来は完全に失われたと考えるのはわし1人であろーか、 あ~、哀れ仏教、 あ~、  

  • リチャード・ドーキンス「神は妄想である」について

    リチャード・ドーキンス著「神は妄想である」を読みました。非常に論理的で説得力を持つように感じました。これだけの著書である以上,キリスト教等,神の存在を肯定する立場から、きちんとした反論があっても良いように思いますし,ぜひ,一流の神学者等の立論を聞いて(あるいは読んで)みたいと思います。そのような著書あるいは論文等は,あるのでしょうか。感情的に非難するものでなく、きちんとした理性的な反論が知りたいのです。ご存知の方は、是非ご教示ください。

  • とても馬鹿な質問ですが【死後の世界】について。

    馬鹿な質問をしてすみません。死後の世界を実際に見た方がいないのは 重々承知ですが、こんな話を聞いたことがあるよ、といった感じで ご返答いただけると嬉しいです。 2月に4年間お付き合いしていた最愛の人が亡くなりました。 彼は神などこれっぽっちも信じていませんでしたが、 米国の人だったので、彼のお葬式やお墓はキリスト教の形式に 基づいて行われました。私も神様と言われてもピンとこない人間で、 仏教を信仰している意識がない仏教徒なんだと思います。しかし 私が死ねば仏教のお葬式、お墓に入ります。宗教の教えは恐らく それぞれ違いますよね?仏教ならば輪廻転生、キリスト教ならば 天国で暮らすということになるのでしょうか?(よくわかりません) 非常に馬鹿げた話をします。私が死んだ時にどうしても彼と 同じ場所に行きたいのです。宗教が違うと行く場所も違うのか、 彼は天国にずっといるのに私だけもう1度生まれ変わるのか、 ちゃんと彼に再会できるのか不安です。彼は今どんなところに いるんだろう。そもそも天国とか輪廻転生とかは無くて、彼の 魂なんて存在してないかもしれません。でも何か情報が欲しいのです。 もし私が仏教の形式で埋葬されたら彼に会えないとなるなら、 キリスト教になるし、彼に絶対に会える方法を選びたいのです。 すみません、本当に馬鹿な話をしていますが、「こうらしいよ」 「こういうの聞いたことあるな」といった感じでよろしくお願い します。

  • 「神の存在証明」やってみましょうか その4

    現在の日本には固有の神があるのに参考書が西洋だ。 それは仕方ない。 むしろ神にすら疑いを抱く風習がなかったことを美徳とするのが良いだろう。 さて、私の命題は人間の追及で、信じるとしたら神の事でなく人間を信じる取り組みだった。 そして、個人的に無量光という「観念の純粋な光」に到達した。 神は考えたことがなかった。 しかしだ、その純粋な光が意志を持ち私に話しかけていることに気が付くと、日本人であるゆえに、ごく自然に「アマテラス」と答える。 自己の存在の確信、これだけでも実は骨が折れる哲学の命題で、人間であると教育で刷り込みを受けた自覚だけだと中途半端なんだよ。その教育自体が宗教だ。 仏教様式で取り組んだ、探求で無量光に到達したら、自己の自覚でもれなく付録として神様がお友達になったのさ。 はっきりりって、そんなこと考えたことなかった。 ただ、優しい風のささやきに乗せて、信じるなら神でなく人のことだと、教えを受けてきた。 さて、アマテラスさん、とかしこまって話しかける場合には、独自の心構えがある。 アマテラスさんは、神の名として現在アマテラスさんだけど、そう呼ばれる以前からも女神として別の名前があったことを踏まえないでアマテラスさんと呼ぶと極めて無礼なんだよ。 しかし、そこをかしこみ、踏まえたうえでアマテラスさんと呼ぶと納得する。 いわば、何者かすべてを知るわけではありませんが、神としてアマテラス様と呼ばせてください。 こういう態度が必要だ。 さて、参考書として西洋では神に名をつけるなと言われる。 オーマイゴッドというのはどうもギャグらしいけど、実際はこのような過程を経て、自らが思うままに神をたたえるための名は成立するんだよ。 そして、自らが神に話しかけることができるようになるんだ。 キリスト教系での欠点の一つは、そうした形で祭壇で交霊術を行わないで、処刑台で交霊を封鎖した。 祭っているのは神のむくろだ。 イエスの処刑で、神も死んだ神になったからだよ。 散漫な西洋系神学では、神の存在証明を命題にしながら、神の不在である天国を作りたがっている。したがって自分が昇天したい天国に関しての神学研究が今までの命題の実際だよ。 さて、哲学には、既存の命題に取り組むほかに、自らが命題を策案するという研究手法があります。 そっち系の考察でして、読書感想文的に考察をさらに進めるための「つっこみ」をお願いします。 解放された場所で、バカ話大歓迎です、集まるのはキチガイ集団ですので、回答者さんが一方的に自己の命題の備忘録のつもりで投稿しても歓迎です。助け合いですから。

  • 宇宙原理は美しい

      昔々人々は宇宙は地球を中心に回っていると考えていたそーである。 哀れなほど愚かである。 それから時が経ち人々は宇宙は地球ではなく、太陽を中心に回っていると考えるよーになったそーである。 これもまた愚かには違いない。 しかしあるとき賢人が現れ、いやいや宇宙には中心などという特別な場所は存在しないと考えたのでした。 これがすなわち宇宙原理である。 宇宙原理 「宇宙は一様かつ等方であり、宇宙には特別な場所は存在しないという原理」 宇宙原理は美しい。 これがまさしく真理であり、万物の根源、宇宙の法則、アルケーの教えに近いのではありませんか。

  • キリスト教徒と仏教徒について

     私の家は、日蓮宗でその前が確か真言宗だったそうです。熱心ではありませんが、お寺の行事に祖母が参加しています。  でも私は、キリスト教のカトリックに興味があります。昨年、ヨーロッパを訪れた時に、たくさんの教会を見学し、お祈りに使う十字架も買いました。  洗礼も受けたいなあと思いますが、将来結婚するときやお葬式に出席するときのことを考えると迷います。  私の家族は誰一人もキリスト教徒ではありません。私はいま13歳です。  今、私はキリスト教徒なのでしょうか、仏教徒なのでしょうか、それともどこにも属していないのでしょうか。  そして、もしキリスト教徒になったとしたら、家族や友人とどう付き合っていけば良いでしょうか。   よろしくお願いします。

  • 「愛犬の供養」という概念のある宗教はありますか?

    16年一緒だった子が先週亡くなり、荼毘に付してお骨になっています。 お水とお花をあげていますが、家族はお線香も上げようと言います。 ただお線香は仏教だし、仏教だと畜生はお経が聞けないから供養できないと聞いたことがあります。 キリスト教などだとそもそも動物は魂すら持っていないとか。 宗教によって随分解釈が違うのだなとビックリしましたが、それらは本当なのでしょうか。神道とかだとどうなんでしょう。 またどうしてあげるのが一番良いんでしょうか。 アホな質問だと思いますが子供の頃から付き合ってくれた姉妹のような大きな存在でした。納得する意味でも知りたいと思っています。

    • ベストアンサー