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宇宙原理は美しい

  昔々人々は宇宙は地球を中心に回っていると考えていたそーである。 哀れなほど愚かである。 それから時が経ち人々は宇宙は地球ではなく、太陽を中心に回っていると考えるよーになったそーである。 これもまた愚かには違いない。 しかしあるとき賢人が現れ、いやいや宇宙には中心などという特別な場所は存在しないと考えたのでした。 これがすなわち宇宙原理である。 宇宙原理 「宇宙は一様かつ等方であり、宇宙には特別な場所は存在しないという原理」 宇宙原理は美しい。 これがまさしく真理であり、万物の根源、宇宙の法則、アルケーの教えに近いのではありませんか。

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回答No.13

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回答No.12

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回答No.11

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回答No.10

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回答No.9

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回答No.8

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回答No.7

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回答No.6

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回答No.5

 質問者さんの『哲学』は畑違いの分野の『科学』の否定でしか補強できないの? 残念ながら他を否定しても自説の補強にはならないし、そもそも科学について浅いから的外れ。哲学の補強は哲学でしなきゃね。

  • ddtddtddt
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回答No.4

>昔々人々は宇宙は地球を中心に回っていると考えていたそーである。 哀れなほど愚かである。  そうだろうか?。それ以外の観測事実はあったのだろうか?。天体望遠鏡もなく、今のようにNHKの宇宙番組もない中で、宇宙は地球を中心に回っていると考えるのが、そんなに愚かな事なのだろうか?。そのような観測結果に基づいて、地球を中心とした宇宙モデルが考えられ(それはキリスト教宇宙観と結びつき)、15世紀にはディゲスさん(だったかな?)が地球を囲む「天殻」を想定した絵を描いた。宗教画のようなものだ。「天殻」には夜空の星座の星々が張り付いていた。  しかしその時点でディゲスさんは既に、天殻の外側に少なくとも一個の星を描いていた。「宇宙は無限に違いない」という思いは、はるか古代からずぅ~とあったのです。  途中省略しますが、コペルニクスは「地球が太陽を中心に回っている」と考えた。天体望遠鏡はガリレイがそろそろ開発する時期だったが、NHKの宇宙番組は確実になかった。それでもコペルニクスは地動説を唱えた。チコ・プラーエの観測結果と自らの計算結果に基づいて、地動説の方がより合理的だと思ったからだ。プトレマイアスの天動説モデルの方が、遥かに精密な結果を出すのは知っていたにも関わらず、地動説を唱えた。  それは自らの理論の帰結と、チコ・プラーエらに代表される占星術者達の観測結果を比べるという両面があったからだ。当時において占星術者達は、最高の天文観測者集団だった。  コペルニクスは、ガリレイと同じ物理思想を持ってたわけではないが、それでも理論と観測は一致しなければならないと思っていた。これは当時としては異常で画期的な事だったんですよ。彼は形而上学や神学は認めるが、それも現実と合致して欲しいと思っていた。 >それから時が経ち人々は宇宙は地球ではなく、太陽を中心に回っていると考えるよーになったそーである。これもまた愚かには違いない。  そうだろうか?。コペルニクスは当時の最高水準の観測事実と理論の限界を極めて「間違いかも知れないが、地球は太陽の周囲を回っている」と結論した。愚かなんだろうか?。印象としては、やってる事は昔も今も変わらい。 >しかしあるとき賢人が現れ、いやいや宇宙には中心などという特別な場所は存在しないと考えたのでした。これがすなわち宇宙原理である。  それを言ったのはフリードマンが最初じゃないんだよ。史実に残ってる限り、それを最初に言い出したのは、中世末期のジョルダノ・ブルーノです。ディゲスは有限の天殻の外側に、思わず星を描いてしまった。コペルニクスはどうしても神学における地球中心仮説に納得できなかった。  一度開かれた考えに対して、絶対に蓋の出来ない生き物が人間です。ジョルダノ・ブルーノはそれらを遥かに拡張する。だって積極的反対理由は、人間世界にも神学にもないんだもの。だからブルーノは言った。  神は宇宙を平等に作られた。聖書はそう言ってるじゃないか!。だったらこの宇宙にはたくさんの太陽系とたくさんの地球があるのだ。神はそう言ったんだから。きっといつの日にか、そういう別惑星の神の子供たちにも会えるに違いない。だからみんな、その日をめざして頑張ろう!。それが神の意思だ!。  ブルーノは(いわばですが)こういう発言をヨーロッパ中でふれまわり、中世末期においてヨーロッパ全土の指名手配男になりました。最後は教会に捕まって、火炙りになります。しかし彼は人生を全うした(ように見える)。賢人なんですか?。  賢人ではないと思う。しかしジョルダノ・ブルーノには、火炙りも辞さない程の正真正銘の情熱があった。でなければ、火炙りになんかなる訳がない。時代は違いますが、あなたにそれ程の覚悟と情熱はありますか?。学問をやるとは、究極的にはそういう事なんですよ。自分には不可能です。  「誰も読まなかったコペルニクス」という本があります。著者は現代の天文学者なんですが、「コペルニクスなんて鬱陶し過ぎて誰も読まなかったに違いない」というのが著者の最初の想定でした。  何故なら「コペルニクスの本」は、最初の10ペ-ジくらいにコペルニクスの理論が書いてあって(天動説)、残りは「いい加減な計算だ」と思っていたからです。  しかし違いました。調査すると「コペルニクス本の原本」で既に、欄外に書き込みがありました。当時はほとんど写本を印刷するのが不可能だったので、全てのコピーは手書きです。そうすると欄外の書き込みも、昔はある意味正確に手でコピーされます。そうやって200年ほど過ぎると、コペルニクスの初版本のコピーは、欄外が真っ黒になっていたのです。  要するに「誰も読まなかったコペルニクス」どころか、昔の人たちはコペルニクスの本を「これしかない!」と思って、信じられないくらい熱心に読んだのですよ。  「コペルニクスの本」はだいたい500ページくらいの厚さがあります。コペルニクスが自分の理論を述べたのは、最初の10数ページくらいです。それくらい簡単な理論なのですのが、残りのページでは、当時知られていた限りの観測結果を使い、自分の理論が妥当かどうかを地道に調べました。なのでほとんど500ページの著書の全ては、数式から予想される値と数表の羅列です。  それでもコペルニクス本の欄外にメモし続けた人達は、数表こそを読み続け、考え続けたのです。日本の科学史家である大沼は、コペルニクス本を見た時に、数表と計算結果が400ページを超えるという事実に対して「これこそが科学論文だ!」と激賞します。科学とは非常に地道なものです。少なくとも検証がなければ、たんなる妄想です。  あなたにそのような覚悟はありますか?。火炙りにされてもいいという覚悟はありますか?。科学はそのような経緯で発展してきました。  あなたは、数100ペ-ジに及ぶ報告書を書けますか?。それは嫌になるくらい多くの実証実験のまとめであり、それはけっこう普通の事なんですよ。もちろん数人でやりますけどね。だからこそ信頼されるんです。 >宇宙原理は美しい。これがまさしく真理であり、万物の根源、宇宙の法則、アルケーの教えに近いのではありませんか。  誰も信じない。言ってるだけだから。報告書をまとめて下さい。もしくは覚悟を見せて下さい。

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