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枕草子でのいじめについて

レポートを書く上で気になったので… 紫式部の源氏物語には、いじめに関する記述つ(桐壺の巻など)が多く記述されていますが、清少納言の書いた枕草子には、 源氏物語のような、いじめに関する記述はあるのでしょうか? 中宮である定子が、道長に虐められたという話は聞いたことがあるのですが、そういった記述が見つかりません。 定子のことでなくても、枕草子の中でいじめについて書かれている部分を、教えて頂きたいです。 よろしくお願いします。

みんなの回答

回答No.1

 この質問を拝見したのが、H26.12.2の今日であるから、だいぶ日がたっているし、しかも「いじめ」に必ずしもあてはまらないかもしれないが、まず記してみます。私のが、呼び水となって正しい回答がどんどん寄せられることを期待します。  新潮日本古典集成の枕草子上第六段「上にさぶらふ御猫は」の中の「翁丸という犬への仕打ち」は、いじめという面が見受けられるのではありませんか。

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