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あなたの人生哲学の粋を教えてください

大概の人間だったら 色んな形で持っている人生哲学 人生とは戦いだとか 人生は旅だとか 人生は四苦八苦だとか 人生はゲームだとか 人生は神に与えられたものとか 人生とは何でしょう?これが色々なのが良い事なのかどうかわかりませんが 価値観も多様化してますね どうか思ってることをお教えください。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • titelist1
  • ベストアンサー率25% (712/2750)
回答No.2

命は親からもらったものです。親によってこの世に出て来れた。この世は出て来れた自分を試してみる所です。人生はそのためにあるのです。

yuniko99
質問者

お礼

親からもらった命を持つ自分を人生で試してみる なんか進化論を思わせるような いい考えですね 確かにどこまで出来るか試してみたいと思います。 どうもありがとうございます。

その他の回答 (7)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.8

こんばんは。 >「「可能な限り、享楽的」 そうすると幸せなんですね?」 ・・・そっか。 多分ね。

  • boxer48
  • ベストアンサー率0% (0/2)
回答No.7

諸行無常の中で常に平穏でいられるよう、智を求め智を棄てるよう心掛けています。

yuniko99
質問者

お礼

諸行無常ですか 智を求め智を捨てる ですか 智に拘ってはいけないのでしょうね どうもありがとうございます。

回答No.6

人生は「運命の大河の中でのイヌかき」だと思っています。

yuniko99
質問者

お礼

確かに人生泳ぎ方なんて、ちゃんと教えてもらってないですよね 大河の中でイヌかき 時には足掻くこともあるでしょう 確かな岸に向かって泳ぎたいものですね。 どうもありがとうございます。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.5

yuniko99様、こんにちは。 (「(団塊Jr的)反動」としての?)「可能な限り、享楽的」 ・・・ご理解頂けるでしょうか。

yuniko99
質問者

お礼

団塊Jrって国鉄時代のことですか? 「可能な限り、享楽的」 そうすると幸せなんですね? 私にはまだ分からないですねえ。 どうもありがとうございます。

回答No.4

「臨機応変」 「出来る限りやりたい事しかやらない」 「世界の意味は世界の外にある」 「疑いつつ無限の中で生きる」 「人間は死ぬまで定まらない存在である」 「私の言語の限界は私の世界の限界であり  学ぶ事によって変えられる」

yuniko99
質問者

お礼

人それぞれ言葉を持っていらっしゃるんですねえ できるだけ楽しいことしかやらない と言うのは体に良さそうですねえ 言語の限界が世界の限界ですか 学ぶ事によって変えられる 視界より言語界の方が広いんですね さすが どうもありがとうございます。

  • mstk2
  • ベストアンサー率26% (157/588)
回答No.3

虎は死して皮を残す。では人は? この答にあたるものが人生です。人はどうあれ80年たてば死んで無に帰るわけですが、では人生は死ぬまでの暇つぶしか? おそらく違う。何かを後世に残すのです。その何を残すかを追い求め、苦労呻吟するのが人生といえるでしょう。 多くの人にとって、後世に残す最大のものは子供でしょう。ただし他にも芸術作品とか、社会改革とか、豊かな自然とか、地域社会を残すべく頑張っている人もいます。

yuniko99
質問者

お礼

大地に爪痕を残せ という言葉もありますが 確かに人間死んだらそれまでで 存在はなくなります その時に生きた証 生きた価値は何かといえば 死後に残ったものでしょう 私は子供がないですが なにか残したいものです それら残ったもので現在の現実は残っているのでしょう どうもたいへなりがとうございます。

回答No.1

1981年の発行物に述べた、若かった頃の僕の決意; 充足は生存の上に成り立ち、そこに於ける如何なる感受も 充足の対象となり得、よって最大充足の追求に於て、完全 充足=意志の達成による最長生存、即ち生存自体の目的化 が図られねばならないが、そこに於て目的たる生存の本質 たる物理学的抽象概念としての反エントロピーが、充足として 定常的に認識される為には、高度な科学と完全な思想、最大 の感性を保有せねばならない。 認識が深まるにつれ、欲求の対象は、感覚の複合体としての 抽象へと移行するが、それを幸福と記述するなら、より直接 感覚的なものを快楽とし得よう。 そこに於て、欲求の充足は、認識の連続たる意識の内に顕在 化するものである以上、充足量の支配因子は、単なる欲求の 大きさとその達成の割合のみならず、より深い認識に基づいた 幸福的対象が指向されるべきなのだ。 科学し、思想し、芸術せよ。その果てに、生命の自覚としての 愛があり、その意志は完全充足をのみ感受するだろう。

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