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人の心は性質で出来ている?

NHKで人の心の特集をやって 脳科学とか臨死体験とか言ってますが 人間の脳に心という「特別なもの」が発生する要素はないかと思います 物質でないのなら 性質だと思います。 性質は脳細胞や伝達物質にもありますが PCのハードディスクやソフトにも在ると思います。 ですから意識とまで行かなくてもPCにも心の様なものがあるのです 植物にも心があるというのはそういうことだと思います。 物質やエネルギーは必ず性質を持っています。それが心・精神を組織しているのです 概念とか。 そうは思いませんか?

みんなの回答

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.6

>人間の脳に心という「特別なもの」が発生する要素はないかと思います  物質でないのなら 性質だと思います。 哲学というのは言葉の学問ですから、そこでの文章は誰でも正確に意味が理解できるような言葉で構成される必要があります。なので この文章は格別難解ですね。それぞれの語彙が私には理解できない格別な意味を持たされているような感じがしますので。 >人間の脳に心という「特別なもの」が発生する要素はないかと思います  物質でないのなら 性質だと思います。 人間の脳に心という「特別なもの」が発生する要素はないのではないかと思います。 人間の脳には心という「特別なもの」が発生する要素はない、と思われる  でしょうか? >物質でないのなら 性質だと思います。  (しかし、心は間違いなく存在するので、それ(心)とは)物質ではなく、性質だと思われる。 と私は解釈したのですが、間違っていますか? ここまでで間違っていれば、回答はもとより期待できません。 結局、心とは何か?というご質問だと思うのですが、 「性質」論は別にして、私は、人間の心というものは、人間の脳が非常に発達して大きく複雑になってきた結果その脳内に必然的にソフト的に形成された一種のパラレルコンピュタであり、その結果、個人の中で、その個人を客観的に見つめる半ば独立した人格の機能が現れたということだろうと思っています。アイデンティティは人間の特性ですが、これを当人が客観的に確認できなければ無意味になります。つまり、心を持たなければ人間は一人前の人格を持てないといって良いのではないでしょうか。しかしこれは別に「特別なもの」と規定することもないのではと思うのですが、どんなものでしょうか。 植物に(人間のような)心があるというお説ははじめて聞きました。

yuniko99
質問者

お礼

自我(意識、心、精神)と言うものを特別なものだと思いませんか? 唯心論で行けば世界は心で出来ているし 唯物論で行くと自我は脳に発生したコンピュータのようなソフト? >私は、人間の心というものは、人間の脳が非常に発達して大きく複雑になってきた結果その脳内に必然的にソフト的に形成された一種のパラレルコンピュタであり< ここに脳内に必然的にソフト的に形成された・・・とありますが どう必然的なのでしょうか そこが問題になっているのです。 あの脳と我々が感じる自我 とても同じものとは思えない ではどうつながっているのか それが脳の数多の物質やホルモン、電磁的な活動の性質が主体化して自我となっているのです。 無論仮説です 頭を叩き割ってもわからないし そのような証明は難しいでしょう ただ私が考えた限りでは日本語では「性質」という言葉しか思い当たらないのです。 どうもありがとうございます。

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  • asisai888
  • ベストアンサー率15% (11/73)
回答No.5

>物質でないのなら 性質だと思います 性質から心が生まれるとして その性質はなにから生まれるのでしょうか? 物質が持つ性質が物質という存在なしに存在するのは矛盾です なので物質が性質を生み、性質が心を生むはずです 故に脳が心を生むと結論できるはずです PCや植物にも心があるという展開をするには 性質は必ず心を生むと言えなければなりません 言い換えれば心を生まない性質は存在しない、もしくは存在し得ないと 言えなければなりません

yuniko99
質問者

お礼

性質が何から生まれたかは知らないですが 物質やエネルギーのある時には必ず性質もあります 心の性質を持つ物質は脳内に様々あるではないですか 脳内に物質が出たり電気的なものが存在したりしている その様なものの性質が意識や心を成り立たせていると思うのです 性質も複雑に反応して心を自我にまで主体化しているのです。 どうもありがとうございます。

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回答No.4

「性質」というあいまいな概念を持ち込む事で、未知の要素を 包含した気になるのは、全知全能の神によって未知の要素を 説明するのと同じで、認識の深まりに貢献しない自己満足に 留まる。 一般的に「性質」は、原因ではなく結果的なものに幅広く定義 される根拠(物理的定義)のない概念である。 自我仮説(時間の流れ=記憶=過去(超光速)=時間軸)によって 相補分化する、量子相互作用(感受表面=現在(光速))に基づく 時空仮説(空間の広がり=予測=未来(光速下)=空間軸)に派生 (無の射影)する存在性が階層現象性(量子~クォーク~素粒 子~原子~分子~細胞~個体(認識))に由来して生じる、 仮想的な多様(光、音、味、匂い)な相互作用に過ぎない (しかし原理的に量子相互作用に還元される)。 自分の日常的な感受レベル(素朴唯物論)だけで、説明しよう とする怠慢で、理解できるほど我々(階層現象的表面性)は 真理(無への還元)に近くない。

yuniko99
質問者

お礼

>仮想的な多様(光、音、味、匂い)な相互作用に過ぎない (しかし原理的に量子相互作用に還元される)。 では先生は性質とは上のようなものだと考えるわけでしょうか? 物質にもエネルギーにも必ず性質がありますよ。それによってどのような物質化を見分けるのです それによって見分けるのは認識と同じです それでは先生は心は何で出来ていると考えるのでしょうか? 性質以外に心を構成するものがありますか? どうもありがとうございます。

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回答No.3

「人の心は性質で出来ている」って、どういうことですか? 私には意味不明です。 物質でいうと性質というのは、重量がある、色彩がある、広がりや質料を持つ、匂いがある、味がある、などの性質を言うのだと思いますが、人の心は物質ではなくて、そのような性質の集合体ということですか? では逆にお尋ねしますが、重量があり、色彩があり、広がりや質料を持ち、匂いがあり、味があったら、心があることになるのですか? 重量や質料や空間的な「ひろがり」を持つことは物の客観的な性質ですから、それを除くと、色彩とか匂いとか味は人間の主観的な、つまり物のもつ客観的な性質ではなく、人間の主観的な心とか主観によって知ることのできるものだと言われています。 だけどそれは心そのものではありませんし、心の性質でもありません。 デカルトによれば(デカルトのいっていることの正誤はともかく)、心は実体であり、性質とは区別されています。 だから性質をいくら集めても心にはなりません。 「性質は脳細胞や伝達物質にもありますが、PCのハード・ディスクやソフトにもあると思います。ですから、意識とまではゆかなくても、PCにも心のようなものがあるのです」 ・・・・・心には性質なんてありませんから、脳細胞や伝達物質にあったとしても、それを意識ということは出来ないし、「心のようなものがある」とも言えないと思います。 心の性質っていったい、何ですか? 心というのは現代のアメリカの「心の哲学」では、脳の活動に伴う何らかの機能だと思われています。 機能というのは、車でいえば「走る」ことです。 だから心は脳の中にもないし、どこにもありません。 それは「走る」という機能が車のどこにも無いのと同じです。 車がその全体で行なうこと、それが機能である「走る」ことです。 車はエンジンだけで走るのではないように、人間も脳で、心で考えるのでもありません。 心というのは実体ではないので、いかなる性質も持っていません。 「植物にも心がある」? それはただのオカルト。 物質が性質を持っているからと言って、心や精神と同一視できないことは前に言いました。 では、エネルギーはどういう性質を持っているのですか? そして心や精神もエネルギーとでも思っているのですか? 物質がエネルギーを持っているというのなら分かりますが、心や精神がエネルギーを持っていることは私は賛成できないし、理解できません。 それは心や精神ではなく、生命なのではないですか? 生命がエネルギーを持つというのなら理解できます。 とにかく言っていることがハチャメチャ、もう少し整理してから質問してください。

yuniko99
質問者

お礼

心には性質がないという前提でお話ですからご理解いただけませんが 物質にしても人間にしても基本的には同じようなものだということです なにかそれほど特別なものを食べたわけじゃない たまたま脳に複雑な組織が出来て思考しているだけです 植物も生命ですが脳がありません 植物に脳があれば おそらく心もあるでしょう その心の要素はモノやエネルギーの持つ性質(広がりは性質とは言いにくいですねえ 質料を持つのは大概のものがそうですねえ、それらが概念となって心になるのです)以外に見当たらない 思い当たるものがありますか? 性質はちゃんと定義されてないようです。盲点だったのかもしれません。 どうもすみませんでした ありがとうございます。

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回答No.2

基本的にはその通りだと思います。 ただ、PCがそのOSの外に出られないように 人間もその性質から出られないのか興味のある所です。 ヴィトゲンシュタインは 「命題は現実の絵であり、その絵を理解出来るのは論理形式を共有しているからだが その論理形式を再び絵として描けない」と言いました。 つまり、人間は論理形式の外に出られないということですね。 しかし、ラッセルは論理には階型があると唱え 厳密な議論ではその階型を混同してはならないと言いました。 そして、ベイトソンはそれを敷衍し学習にもレベルがあるのではないかと考えました。 例えば、単純な知識を増やす学習と、より深い学習との対比ですね。 今の所、私はどちらの考えが正しいのか分かりません。 また、厳密に矛盾した考えであるのかさえ分かりません。 いずれにせよ、私にとって、より高次の概念を求めるしかありません。

yuniko99
質問者

お礼

人の心が性質で出来ているという考えでよろしかったでしょうか 人間はコピー機ではないので論理形式として取り込んだことを元には戻せません しかしその論理形式で新たなものを想像・創造しますね レベルに関してはあるでしょうね。単に言葉を覚えるのと その範疇の知の体系を理解するのとではレベルが違うことは確かですね どうも大変ありがとうございます。

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  • alflex
  • ベストアンサー率26% (229/869)
回答No.1

思いませんし、物質が持つ性質と心(=精神)は違うものだと思います。 精神は生物が持つ神経活動の結果であり、無機物にはないものだと考えます。

yuniko99
質問者

お礼

脳の精神活動も神経伝達物質やホルモン その他の(脳内モルヒネとか)ものに寄るのです。 脳は有機物ですが極まるところCHINOPSなどの原子・分子によるのです 脳の中に神秘はないのではないでしょうか? 神がいる問のと同じことではないでしょうか? どうもありがとうございます。

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