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人の心は性質で出来ている?

NHKで人の心の特集をやって 脳科学とか臨死体験とか言ってますが 人間の脳に心という「特別なもの」が発生する要素はないかと思います 物質でないのなら 性質だと思います。 性質は脳細胞や伝達物質にもありますが PCのハードディスクやソフトにも在ると思います。 ですから意識とまで行かなくてもPCにも心の様なものがあるのです 植物にも心があるというのはそういうことだと思います。 物質やエネルギーは必ず性質を持っています。それが心・精神を組織しているのです 概念とか。 そうは思いませんか?

みんなの回答

回答No.16

「性質」という記号が、どのような概念(コンセプト)を持っているか、考えてみましょう。 +++++例えば以下のような。 ・その人に生まれつき備わっている気質。人となり。天性。「温和な―」 ・他のものと区別しうる,そのもの本来のありかた。「さびにくいという―をもつ金属」「問題の―が違う」 ・もちまえ。生まれつき。「生得の―」「おとなしい―の女性にはこちらから恋をし掛けようと」 ・内容の良否。価値。「―より量」 ・〘哲〙 事物についてさまざまに述べられる側面の一つで,ことに量に対するもの。「どのような」という問いに対応する事物の在り方。 ・〘論〙 判断が肯定判断か否定判断かということ。判断の質。 ++++++++ >物質やエネルギーは必ず性質を持っています。それが心・精神を組織しているのです。 意識を持たない「働き蟻」は、単独で意識を持てず、女王蟻から受けた遺伝子により、他律的にコントロールされる事で、その一族を守り社会を形成しています。また、「粘菌」のように、社会性が弱いため逆に柔軟な環境適応が可能な、多様なのか均質なのか、訳のわからない進化を選ぶ種族もいる。 あなたは感度の高い感性をお持ちです。人の苦しみや、他の強い情念は「残留思念」として、人や植物や土壌などの「有機物」に、くっついてしまう事がよくあります。広島の原爆の中心部より郊外の方が、そうした「痛い・苦しい」という残留思念が多いです(中心部では苦しむ間がなく、蒸発したから)。 それに、自分自身の遺伝子にアクセスすれば、先祖の想いさえ読みとれます。じつはそうした宇宙138億年が「今という一瞬」に折りたたまれているのだが。つまり、「自分」が産まれるとき「時間&空間」も同時に産まれたわけで、なにも相補分化した「もう片方の自分=環境」にビビる必要はなく、素直にじっくり分析すればよい。 量子とは「粒子」であると同時に「波(情報のごとく実体が無いモノ)」である、という原点に帰って、社会貢献活動に専念されることを期待する。 以上。 https://www.youtube.com/watch?v=-cM6aVIyQ_I https://www.youtube.com/watch?v=HsbV_QHCBT8 https://www.youtube.com/watch?v=wLKJz73DTGE https://www.youtube.com/watch?v=kYsGS5QAORE

回答No.15

物質という割には破天荒な存在ですが、素粒子というのがあります。 http://kids.kek.jp/class/particle/class01-10.html 現代科学において、こいつら素粒子が何で出来ているかを調べるのは無理ですので、 全ては素粒子で出来ていると考えるのが妥当です。 人間には喜怒哀楽がはっきりとありますが、犬を飼ったことのない私には 犬の喜怒哀楽は分かりづらいです。犬好きの方には分かるようですが。 で、犬は基本笑わないそうなんですが、どこかに飢えてやばいときに笑うと書いてました。 私たちの笑いとは少し違いますけど、餓死寸前なら私たちもヒヒヒと吠えるのかも知れません。 栄養が不足し、心拍数が減り、体温が下がり、やがて脳の機能も落ちてくると そのような信号を発するのかも知れません。PCもBIOSの充電池やボタン電池が無くなると ビープ音を発して警告します。そうして私も犬もPCも全機能が停止する事でしょう。 私たちはおおむね死にたくないという感情に支配されます。 犬の感情は分かりませんが、基本生きようとするでしょう。 PCも電池を取り替えるよう機能停止するまで警告音を発するでしょう。 これら3つの現象に決定的な違いがあるのでしょうか? 私自身は、ただ人間の感情を想像出来るという点で分かりやすいだけだと思います。 ようするに複雑さが多いだけで、状況も結果もさほど変わらない気がします。 同じ物で出来ているのであれば、それは組み合わせの多さや複雑さだけの違いとも言えます。 人ならば脳内の物質を脳神経が受け取り、血流を下げ、体温が下がることで鳥肌が立ち それが生命の危険信号であると更に脳が再翻訳して、それは「死の恐怖」であるという判断で 更に脳内物質を発行し…という悪循環を起こしているということだと思います。 それを感情として理解してあげられるのは人だけです。 なんのことはない、私たちが長い年月をかけて作ったお約束みたいなものです。 あれ。一緒のこと言ってる?(笑い) 脳は神格化する必要はありませんが、唯一人との翻訳が可能な器官ですので そういう意味では特別と言っても良いと思いますけど。 性質に話を持って行きますが、最初の素粒子の挙動が性質みたいなものだと思っています。 もちろん、原子や電子の組み合わせで色々な物が出来ているわけですが、 このあたりも水、氷、水蒸気のように、分子の結びつきや運動の違いで色々変化しますから、 それも性質なのかなと。 物理は得意でないのですが、精一杯このように思っています。

yuniko99
質問者

お礼

>性質に話を持って行きますが、最初の素粒子の挙動が性質みたいなものだと思っています 挙動が性質みたいなの と言う事は性質にも動的なものがあるということですね 僕はそれを知りたのです どうもありがとうございます。

回答No.14

No.11の回答者です。 「心は主体」と感じるとのこと。全くその通り。 我々は、何かを感じたり、考えたりする時、そこに感じたり、考えたりする主体としての心があると感じている。 しかし、その「主体としての心」が、どこに、どのような形で存在するのかと内省すると、我々は、感じたり、考えたりする「動き」を通して、間接的に「主体としての心」があると借定しているに過ぎないとは思いませんか? そこから、「感じたり」、「考えたり」といった「動き」を引きはがしていった時、最後に「主体としての心」そのものを純粋に抽出できるのか?と考えると、これはかなり怪しい。心の「動き」を全て完全に止めた時、そこに、なおも「主体としての心」は存在するのか? これと同様、自我というものも実は幻想なのではないか?というのが私の考えです。 あなた自身もおっしゃってるじゃないですか。「心は性質である」と。 性質というのは、(あなた自身がおっしゃるように)物質とかエネルギーとか、何らかの存在に付加される属性です。 例えば、「赤い」という性質は、「赤い血」とか「赤い信号」とかのように、「血」や「信号」といった存在物に付加される属性としてしかあり得ない。「血」や「信号」のような、属性を付加できる存在を抜きにして、「赤い」という性質が単独で存在することはあり得ない。 従って、「心は性質である」ということは、「心が幻想である」と言っているに等しい。 つまり、心とは物質、エネルギーのような存在に付加される属性であって、それ自体が「主体」として存在することはない。 主体はむしろ存在物であり、心はそこに宿る幻想である。 あなたの議論を突き詰めると、つまりそういうことになります。 ちなみに、大脳生理学者の中には「心とは大脳内の生化学反応に過ぎない」とおっしゃる方もおられます。 例えば、人が怒るのは、大脳の中で「怒り」の化学反応が起こるからだ、みたいな話です。 しかしそれでは、「怒り」の化学反応を実験室の試験管の中で再現したら、その試験管の中の液体(?)は「怒って」いるのか? と問われると、それはその「液体」にしか分からない。外から観察している実験者には知りようもない事です。 これと同様に、他人の心の動きや大脳の化学反応を外から観察しているだけでは、「自我意識(幻想?)」の謎は解けない。 試験管の中の液体が怒っているかどうかはその液体自身にしか分からないように、 自我意識の謎を解こうとしたら、自分自身の心を自分自身で内省するしかない。 あなたのHPを少し拝見しましたが、物理学のような、「外から観察する」方法論では、どこまで行っても対象の外側をぐるぐる回るだけで、心や自我の謎は解けないと思います。 厳しい意見で大変失礼しました。

yuniko99
質問者

お礼

幻想ってなんですか? どうもありがとうございます。

回答No.13

#10の者です。 >量子に性質はないのすか? エネルギーについて勉強すれば、すぐに分かります。 エネルギーには最小単位があり、それが量子なのです。 エネルギーは実体として、量子=光子としてしか現れません。 そして量子に原因があるのではなく、時空的な広がり (仮説)への無の射影なのです。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.12

人の心には、様々な性質があって、例えば気高さを求める性質があるとか、ハプニングにおいては揺り動かされる、とか、様々な言葉によって動揺するとか、逆に静まるとか、諸々の事象によって、色々な振る舞いを見せるという性質、性分があります。それを、物質と同じような語り口で語ることは可能と思います。水は零度以下で固体になる、百度以上で気体になる、零度から百度の間では液体である、そのような性質があります、という風に。 心も同様に観察すれば、それが諸事象の間で様々に反応している様子が見えてくるはずです。それによって心がどういうものか、どういう性質をもぅているのかが分かってくると思います。 質問タイトルのままだと、リンゴは色です、と言っているような、文法的に言葉足らずな印象をうけます。 リンゴは赤色です、とまで言ってこそ、心は⚪︎⚪︎の性質を持っている、と言い表したことになるのではないでしょうか。 或いは、質問文の違和感は次の様なたとえで言うこともできます。 たとえば、リンゴは色のみでできているわけではありません。色、それも赤色という要素をもっていますが、それがリンゴを構成する全ての要素ではありません。 心もまた、性質一つから成り立っているわけではなく様々な構成要素があるはずです。脳と言う躯体もその一つでしょう。神経網を流れる電気や化学物質もその一つでしょう。情感や本能もあるでしょう。心とはなんであるのかを説明するには、様々な性質を含めた沢山の構成要素と、さらに人間的な解釈を加えなければそれを言い得たことにはなりません。それを全て言おうとするなら、とても長大な文章になってしまうので、その場に適したもっともな要点と文脈を踏まえ、簡潔に述べるのが妥当でしょう。 ここでは、心とは、人と人を結ぶ絆であるとか、心とは人間の命(最も大切なものと言う意味で)であるとか、そう言う風に語ることが妥当なきがします。電気信号とか、脳細胞とか言うことは、心の本質を言い得てないと思います。 例えばリンゴは味わってこそその本当のところが理解出来るように、心も、それで生きてこそ、心のなんたるかが身を以って分かるのでしょう。リンゴが赤色と知っているだけでは、リンゴの実際を知ったことにはなりません。心もまた同じでしょう。心の働きを得てこそ、それが何かがわかるのでしょう。

yuniko99
質問者

お礼

人間には心と体がありますが 回答者さんの論法で行けば 体は物質と言うのだけでは言い当てたことにならない 体は動物であり生物である そして数え切れない様々な物質によって細胞や骨格などが出来ている 体は物質といっただけでは駄目で体の働きを得てこそ、それがなにかわかるのでしょう。 という感じです。なるほど間違ってはいませんが 体が物質で出来ていることに違いはあるのでしょうか? この「性質」と言うものは科学では自明のように思われて 研究が進んでないように思われます。 どうもありがとうございます。

回答No.11

「性質」という言葉に独特の定義を与えておられるように感じます。 PCや植物にまで一般化する前に、少し切り口を変えてみられてはいかがでしょうか? 例えば、あなたは「自分の心」の存在をどのような時に意識されますか? 景色を見て美しいと感じる時に、「美しい」と感じている自分の心を意識する。 哲学的疑問を考えているときに、「考えている」自分の心を意識する。 他人と会話しているときに、「会話している」自分の心を意識する。 このような時に我々は、「まず、「心という主体」があって、それが感じたり、考えたり、コミュニケーションをとっている。」そのようなモデルを無意識的な前提として心を捉えています。 それでは、自分の心から、感じたり、考えたり、コミュニケーションしたり、そういった「要素」を一つずつ丁寧にはがしていけば、最後には「主体としての心」が純粋に抽出できるのでしょうか? ひょっとしたら何も残らない? では心とは何なのか? 本当は「主体としての心」は幻想で、感じたり、考えたり、コミュニケーションしたり、そういった「動き」の集合体が心なのではないか? 実際のところ、私には、純粋な「主体としての心」にまでたどり着くほどの内省力はないのでよく分かりません。 しかし、「心(意識)の謎」を解くには、心を外側から観察して分析するのではなく、心を内側から見る(自分の心を内省する)視点が不可欠と思います。

yuniko99
質問者

お礼

貴方の心、自我はどうでしょう? 集合体でしょうか 主体らしきものがあるでしょうか 私にはあなたの心は見えませんが 人によっても少しちがうかもしれませんねえ 私は自我です 心です。主体的な感じがしますけどねえ どうもありがとうございます。

回答No.10

#4の者です。 >物質にもエネルギーにも必ず性質がありますよ。 >それによってどのような物質化を見分けるのです そうした「物質」を前提として語る事を、「自分の日常的 な感受レベル(素朴唯物論)だけで、説明しようとする」 と言っているのです。 物理学は、その「物質」の本質の探究において、そうした 存在的有限性は、階層現象的な表面性に付随して派生 するものであり、根源的に量子相互作用に還元される。 この相互作用(≒性質?)は、量子=ミンコフスキー空間 における時空軸等距離(相殺)点に現れるライトコーン= 仮説的時空への無の射影なのです。 (深い定義を持たない「性質」の概念を持ち出す必要はない)

yuniko99
質問者

お礼

その量子はエネルギー二変換可能なんですか? その量子には性質はないんですか? 性質と言う言葉は確かに漠然としていますが ほかの言葉で言うとどうなるんですかねえ ますますややこしくなるんじゃないでしょうか? どうもありがとうございます。

回答No.9

1) > 精神・心はなんで出来ているのでしょう。 ⇒ ○○ made from ▽△ のような意味合いで、「なんで出来ている」と幼児はしばしば質問して来ます。 しかし、雲にしろ、ケーキにしろ、イヌやネコでも、組成物質、構成物質、材料を並べたところで、理解が進まないことを年齢と共に理解するようになります。 何かを考え、理解を進めたいのであれば、「精神・心はなんで出来ているのでしょう」という言葉の使い方を脱却することをお勧めします。 2) > 私は自我であり精神です。私は足ではありません。 ⇒ 「私はウマの後足」というのは舞台に登場するウマの前足&頭部操作役と前足&胴体役に分けて役柄を称しているのです。「私は平社員、庶民、男、学生、人間、日本人、平成生まれ、のっぽ、デブ」などの場合も、カテゴリー認識を述べる表現形態です。「私はのっぽ、デブ、無能、エリート、タフ、落後者、馬鹿です」は、カテゴリー認識を述べるというよりも、自己評価、自己認識を述べているのかもしれません。「私は罪人です。私は神です」は、自己認識を表現するものの一つと言ってイイでしょう。 「私は自我であり精神です」という文章や台詞に遭遇することはあまりないです。自己認識というよりは、何かを象徴的に表現しているのかもしれませんが、「私は愛、私は空」のような表現と同様で、その短文だけでは、「私は自我であり精神です」で何をどう表現しようとしているのかを推定するのは困難です。 3) > 自我とは何でしょう? 精神とは何でしょう? 私は何でしょうか? ⇒ 思考を深める工夫や努力をせずに、「何でしょうかを繰り返しているだけ」では、幼稚園児と同じで、前に進むことは出来ないし、肉体年齢ばかり重ねるなら、発達障害と言われても不思議がない状態になるでしょう。  コギトは、もともと〈考える〉とか〈意識する〉という意味だそうです。 考える、意識するというのは、同じことをただ見続け、つぶやき続け、偏執するのとは異なると思います。 もしも、精神や自我の本質を自己意識に見ようとする方向性を持っているのであれば、少しは「あれこれと分析的に多くのことを調べ検討し、総合・統合的理解になるように思考を重ね」たらいかがですか。 4) > 自我とは何でしょう?精神とはなんでしょう? 哲学はそれを根拠にしてきた推移もあります ⇒ 「哲学はそれを根拠にしてきた推移もあります」ご自身が記載した文章を読み直し、「それを根拠にしてきた」という表現が適切であったのか、再考してはいかがでしょうか。

回答No.8

> 物質にもエネルギーにも必ず性質がありますよ。それによってどのような物質かを見分ける ⇒ それはその通りだと思います。 「これこれのようなときにはあれそれの性質が現れるのが、この物質の特徴/このエネルギーの特徴」のように「特徴≒性質」の言葉遣いをします。 > 物質でないのなら 性質だと思います ⇒ そのロジックは納得出来ません。 エネルギーは物質であるとは普通はいいません。判断や選択なども、物質ではないです。 情報も物質ではないです。 > 人間の脳に心という「特別なもの」が発生する要素はないかと思います ⇒ 「こころ」を「もの」ということはほとんどないと思います。 真偽や正邪、善悪、好き嫌いの判断や感情は人間の脳がもたらしているでしょう。このサイトの質問文や回答文も言葉を紡ぎ出しているのは脳のおかげだと思います。 磁石と導線をある組み合わせで動かすと電気(電流)が生じます。 「磁石や導線に、電流という特別のものが発生する要素はない」とは普通はいいません。  何かの事情があると、地球では風が起き、雲が生じ、雨が降ります。 事情がいろいろ組み合わさるので、ある場所では風がとまり、ある場所では竜巻、強風になります。 時々刻々、場所場所で色々なことがおきます。 気象はそうしたものです。 神経伝達物質の多少がある領域のシナプス間隙で生じると、興奮したり鎮静したり、うつになったり、不安を招いたり、幻聴や幻視が増えたり、しっかり覚醒したり、眠くなったりしますが、神経伝達物質の増減もその人のそれまでの脳の使い方に大きく左右されます。 練習を重ねたスポーツマンと初心者では、神経の反応も違います。 NHKの心の特集も、思考や感情、感覚も、単純な因果関係ではなくて、色々の経験が繋がり重なった結果であり、かつそのときの身体の状況にも関係しているとみなすのが妥当であるという説に基づいて作られていると思います。 ですから、コンピュータが一層発達し、処理技術、ネットワーク、アルゴリズムがさらに数段変わるなら、コンピュータが心を持つだろうとも言っていたのだと思います。 単純な構造しか持っていない脳をもつ昆虫や動物では、心を持つことは出来ないという推論も説明されていたと思います。

yuniko99
質問者

お礼

私は自我であり精神です。おそらくあなたもそうだろうと思っています。私は足ではありません。 では自我とは何でしょう? 精神とはなんでしょう? 哲学はそれを根拠にしてきた推移もあります コギトです 精神・心はなんで出来ているのでしょう。 私は何でしょうか? どうもありがとうございます。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.7

「百鬼夜行」についてまで、とやかくは言いません。 貴方は風の声を聞きましたか? 貴方は散る花びらの声を聞きましたか? 貴方は掘られる穴の土の声を聞きましたか? 貴方は自分の心の声を聞きましたか? 聞きたい物だけ聞いて、聞きたくないモノは聞かない? 其れは取りも直さず、貴方の声を聞く存在が、貴方に対して取る行為です。

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