対案のない批判が多い理由とは?

このQ&Aのポイント
  • 政治やネット、世間話など、様々な場面で批判する人は多いですが、ほとんどの人は対案を示していません。
  • 対案なしでの批判は無駄で、物事は良くなりません。
  • なぜそんな批判が多いのか、その理由について考えています。
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対案のない批判がなぜ多い?

悩んでいるわけではなくふと疑問に思いました。 政治でもネットでも世間話でもどこでも、批判する人は多いですが、ほとんどの人は対案を示していないと思います。対案なしで批判しても無駄で、物事は良くならないと思うのですが、なぜそんな批判が多いのでしょうか? 例えば原発は危ない。でもないと困る。これはみんなわかっていると思うんです。 原発反対派は、電気代値上げや二酸化炭素増加、資源の枯渇についての対策を示せばよい。原発賛成派は、事故の防止策や対案策、放射性廃棄物の処理方法を示せばよい。どちらも示せないなら勉強したらよい。なぜそういうふうに考える人が少ないのでしょうか? また、例えば国会で、対案を示せなければ発言できないようにルール化したら良いと思うのですが、そうしない理由は何でしょうかね? どんな方針も必ずデメリットがあります。「あなたの方針はこんなデメリットがある。私のやり方ならこう解決できる」「いやいやそれだとこんなデメリットがあるじゃないか。それなら私の方針の方がよい」 こんなふうに、デメリットによって犠牲になるのが誰なのか何なのか、明らかにしながら論争すれば、国民から見て方針の是非を判断しやすいと思うのですが…

noname#200838
noname#200838

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.11

確かにすばらしい対案があれば理想的ですよね。 でも、対案にこだわりすぎるのもちょっと危険ですよ。 原発、私も見ててなんだかなぁと思うんですが、「対案」を示そうとするあまり、とんでもないところからいろんな物を引用してきて、そもそも原発問題ってなんだっけ? というのがみんな訳が分からなくなっているように思います。 特にここの原発関連については、相手の理論を潰すことばかりに気を取られているように見えます。 反論者の妥当だと思われる案さえも「反論者の言うことはすべて間違っている」と決めつけ、潰そうとするから、すなわち妥当だったり良い意見さえも潰そうとするから訳が分からなくなり、どっちがどっちなのか収拾が付かなくなっている印象です。 国がどういう方針で、これから具体的にどう動いていくのかという現実問題さえどうでも良くなっている感じがします。原発問題に便乗したただの相手のつぶし合いにしか見えません。 個人的に思うのは、政治家に関しては、対案を用意して論争していってもらいたいのは基本的には賛成です。 ただ、悪法に対する対案が示せないから悪法が通ってしまう・・・なんて状況もちょっと怖い気もします。 でも、政治家だったらやっぱり、しょうもないヤジばかりでなく、与党をぎゃふんと言わせるような凄い効果的な対案を示して欲しいですよね。 対案ではなく、「デメリットを示せ」と言うご意見には、私的には拍手喝采で大賛成です。 デメリットを示すことが出来れば、初めてそのデメリットに対してどう対処するか検討することが出来る。つまり既存の法案がより強化された法案に進化できるわけですからね。 政治をする側からしたら、それは凄い難しいかもしれませんが・・・気付かれずに損を被ってもらう、アメで喜んでもらって気持ちよく気付かれないまま損をしてもらう・・・というのも、場合によっては必要な手段かもしれません。 そればかりというのは気に入りませんけどね。やっぱり。こっちも気付くためのアンテナを張っておかないといけないかも知れませんね。

noname#200838
質問者

お礼

あーそうですね。ただのつぶし合いになる可能性はありますね。これまた無駄ですもんね。 以下は国会について 「悪法に対する対案が示せないから悪法が通ってしまう・・・」→悪法なら対案を示せるのではないですか?示せないなら通ってよいと思いますが。 対案っていうのは、「あなたの考える課題は杞憂です。悪法など作らなくて大丈夫今のままでいいんです」でもいいんですよ? デメリットを示せということに賛成していただいて嬉しいです。ただ、回答者様のおっしゃるとおり、政治家にとってそれは難しい…というか多分無理なんです。犠牲になる人間がわかった時点で票を失いますからね。そこでやはり「対案」を出し合えばいいと思うんです。犠牲になるのが誰なのか、言いたくなくても、ごまかそうとしても相手があぶり出しに来ます。批判にもいくらか意味がでると思います。 「アメで喜んでもらって気持ちよく気付かれないまま損をしてもらう・・・というのも、場合によっては必要な手段かもしれません。」→あー…言われて初めていくつか具体例を思いつきました。確かにあるかもしれません。 「そればかりというのは気に入りませんけどね。やっぱり。こっちも気付くためのアンテナを張っておかないといけないかも知れませんね。」→今はそればっかりですからね(笑)アンテナは張っておかないと犠牲者にされてしまいますね。気をつけます。 回答いただきありがとうございました。

noname#200838
質問者

補足

回答いただいた皆様ありがとうございました。 回答いただきながら、対案を出さない理由はいろいろあっても、やはり批判するには対案をつけるべきだと思いました。 また、回答していただいた方が全員?ほとんど?男性のように思いました。これもまた興味深かったです。 とにかく、ありがとうございました。

その他の回答 (12)

  • kofusano
  • ベストアンサー率13% (190/1435)
回答No.13

>社民党は日本共産党と同様に、なんでも反対党である。また両党とも反対はするが対案は示さないと言う、 http://plaza.rakuten.co.jp/akakura/diary/201306210000/

noname#200838
質問者

お礼

再回答ありがとうございます。 これは個人のブログかな? 主語が社民党になっていますが。 もし共産党が対案なき批判ばかりするなら、議長がずーっと注意し続けたらよいと思います。無視したら退席させても良いし、そこまでしなくてもバカ丸出しになるから支持者が減るのでは。 なぜ共産党がいると無理なのかまだわかりません。

noname#200838
質問者

補足

共産党があるとなぜ不可能なのか詳しく教えていただけませんか? また、 対案なしで批判しても無駄で、物事は良くならないと思うのですが、なぜそんな批判が多いのでしょうか? 対案が示せないなら勉強したらよい。なぜそういうふうに考える人が少ないのでしょうか?

  • kofusano
  • ベストアンサー率13% (190/1435)
回答No.12

共産党がある限り不可能です

noname#200838
質問者

お礼

ありがとうございます…って、えーっ?国会の話ですよね?なぜ共産党がいたら無理なんですか?裏社会の話?全然知らないので教えていただけたらありがたいです。

noname#200838
質問者

補足

共産党があるとなぜ不可能なのか詳しく教えていただけませんか? また、 対案なしで批判しても無駄で、物事は良くならないと思うのですが、なぜそんな批判が多いのでしょうか? 対案が示せないなら勉強したらよい。なぜそういうふうに考える人が少ないのでしょうか?

noname#246720
noname#246720
回答No.10

そこまで深く考える人がそもそも少ない…というのもあるとは思いますが あまり深く考えすぎても何も進まない、というのもあると思います。 というより、「本当のこと」を突っ込みすぎると辛い…ということかも。 多くの場合、「正論」っていうのは人の耳には痛いものです。 人間は感情の生き物なので、嫌なことに立ち向かう勇気がある人はかなりの少数派なんですよね。 正論を言うことで、例えば原発が必要だという話では 「じゃああなたはその土地を出て行かなくてはなりませんね」という突っ込みが予想されるとしたら、当然個人としては嫌なわけですので、そういう理屈になりにくい範囲で話を展開するしかなくなってしまいます。 逆に、原発はいらないという話にしても 「だったらあなたの生活は今の半分しか電気を使えないものにして下さい」と言われてしまうと、正論だけれど…これに従える人はそういない。 みんな自分が一番幸せになるために必死で、そのためには色々矛盾も出てきます。 そういうことなんじゃないでしょうか。

noname#200838
質問者

お礼

深く考えずに批判するだけでは何もいい方向に進まないと思うのですが。 おっしゃるとおりだと思います。本当のこと、正論は辛い。だけど結局は何かを選択しなければいけないのだから、現実を見ながらやっていかないとしょうがないのではないでしょうか。現実味のない批判ならしない方が良いと思います。 いただいた例でいうと、原発反対するなら電気半分の生活になるのは現実だから覚悟しないと。(原発必要派の人がなぜ土地を出て行かないといけないのかはわかりませんでした) 「みんな自分が一番幸せになるために必死で、そのためには色々矛盾も出てきます。そういうことなんじゃないでしょうか。 」興味深いお答えですが残念ながらちょっと抽象的でわかりませんでした。 回答いただきありがとうございます。

noname#200838
質問者

補足

「みんな自分が一番幸せになるために必死で、そのためには色々矛盾も出てきます。そういうことなんじゃないでしょうか。 」というのがとても興味深いので詳しく教えていただけるとありがたいです。 どんな矛盾が生じて対案なき批判につながるのか、具体的にイメージしたいので、具体例でお話しいただけると嬉しいです。

noname#202739
noname#202739
回答No.9

自分の存在を認めてほしい。 バカのくせに、「オレは賢いことが言えるぞ」と誇示したい。 とにかくしゃべりたい、話を聞いてほしい。 あなたのおっしゃる代案による生産性など考えず、 ひたすら自己重要感を満たそうとしているだけです。

noname#200838
質問者

お礼

そんな気しますね。対案示さずに批判している間は、口だけだとかバカだとかバレませんからね。でもそんな批判をしても何も良くならないと思います。 回答いただきありがとうございました。

  • atelier21
  • ベストアンサー率12% (423/3293)
回答No.8

高尚な国会の与野党議論から 巷の井戸端会議まで 批判の為の反論は 対案出すと其れに対する再反論が予想され 再々反論まで用意しての反論が有るや無しや 批判する立場で華やかだった人が いざ実行する側になって光を失う

noname#200838
質問者

お礼

そうですね。再再反論まで考えたりして、決して容易なことではありません。 でもそうでもして議論しないと、批判は無駄ですし、いい方向にはいかないと思います。 回答いただきありがとうございます。

  • mojitto
  • ベストアンサー率21% (945/4353)
回答No.7

その対案とやらが思い付き、極論、妄想、愉快犯だったら聞くだけ無駄ですし、質問者さまは勉強しろと言いますが生半可な知ったかぶりの変に自信のある対案が一番厄介だと思います。 だったら要望だけ出しておいて、それを実行する人が考えればいいんです。 例えばある料理の塩味が濃いからと言って、プロでもない人が「塩を減らせ」と言ったとしても、作る方にしてみたら塩を減らすだけが塩辛さを減らす手段ではないわけですし。 「次からは塩味を薄くしてほしい」と言うだけで十分でしょう。

noname#200838
質問者

お礼

なるほど、塩味の例はわかりやすいですね。料理人からすればこのバカ対案なんか出すなって思うかもしれません。 聞くだけ無駄。でも対案なき批判もまた無駄だと思います。どちらの無駄がよいでしょう? 「生半可な知ったかぶりの変に自信のある対案が一番厄介」とのことですが、そんなに厄介かな?塩味の例で言えば、料理人は「ご意見ありがとうございます」って言って内心バカだと笑って自分の考えるように塩味を調整したら良いし、その気になれば簡単に論破できるでしょう? 以上より、回答者様の考えるデメリットを差し引いても、対案ある批判の方が良いと思います。 また、「だったら要望だけ出しておいて、それを実行する人が考えればいいんです。」→こういう人はもはや批判すべきではないと思います。 詳しく言えば「私には知識がないからどうやったらいいかわからないけど知識のあるあなたならわかると思うからよろしく」ですから、要望、お願い、依頼…いずれも私が考える「批判」ではないです。 回答いただきありがとうございます。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7258)
回答No.6

【こんなふうに、デメリットによって犠牲になるのが誰なのか何なのか、明らかにしながら論争すれば、国民から見て方針の是非を判断しやすいと思うのですが…】 それって、対案としては具体的にあったとしても、誰かが結局、ババ引くことを決めることなんです。 今だって、そうでしょう? 原発で悪いことばかりではなく、地域ではそれで収入を得ている人もおおい。 米軍基地もそう。 100%誰にとってもokな解決策はない。 確かなことは、どんな形にしろ、’税金として集めたお金’をどうやって分けるか・・・です。 まとめて使うために、集める。 当然に、集めるために無駄(経費)も出る。 使うためにも、無駄が出る。 たとえて言うなら、100円集めて、集まったお金は、80円ぐらいになり、これをまた、 何がしかに使うに、60円ぐらいになる。 結局、誰かの100円を誰かの60円として使うために、’政治’がある。 最終的に、60円をもらえる人の声が大きくなる。 道中、40円(経費)をもらえる人は必ずいる。 私見ですが、よくばら撒きといいますが、個人とか、世帯とか、個別にまさに なんとか手当て様に、’現金に相当’するように、’戻す’政策がありますが、 あれが一番の愚策だとおもう。 地域振興券とか昔ありましたけど、何でもばら撒くのがすきな党が推進してね。 なんのために最初に集めたのか考えれば、良くわかるでしょう? 一番無駄なんです。 経費だけがかかる。 たとえ、誰かが集中的に儲かったとしても、それにまつわる、 通常ではない使い方(無駄)があるからこそ、 科学も、インフラも、芸術も、教育も、今あるのですから。 ちなみに、経費として失われる、分で、国民の何割かが仕事して養われるという、 ベースは必要です。 たとえ、公務員は、はたらかないとか、もらいすぎだとか、出入り業者が得しているとか言ってもです。 徳川300年で培われた、行政としてのありかたが、日本人にはあってるように思える。 ’見える無駄’が0にはならない。

noname#200838
質問者

お礼

国会の提案についての回答?ですよね。 「それって、対案としては具体的にあったとしても、誰かが結局、ババ引くことを決めることなんです。今だって、そうでしょう?」→はい。今でもそうです。回答者様のおっしゃるとおり、100%誰にとってもokな解決策はありません。 今は、誰がババを引くか明らかにしないまま議論していることが多いと思います。議員を選ぶ国民からすれば、明らかになった方がよいと思います。だからこそ対案出し合った方がよいと。という意見なのです。貴重な国会ですから時間とお金の無駄は少しでもなくした方がよい。 ということなんですが、後半は回答とどう関係しているかわかりませんでした。すみません。 回答いただきありがとうございます。

noname#200838
質問者

補足

対案なしで批判しても無駄で、物事は良くならないと思うのですが、なぜそんな批判が多いのでしょうか? 対案を示せないなら勉強したらよい。なぜそういうふうに考える人が少ないのでしょうか?

  • aho0xff
  • ベストアンサー率12% (218/1772)
回答No.5

まあ基本的には批判だけするのが「一番楽」だからですよ。 その癖、「偉そうにできる」ってのも大きいです。 楽に偉そうにできる。まあそりゃ批判ばっかりにもなりますわ。 まあ反面自分にとって都合の悪い意見、議論を批判ととるのも 楽だったりしますから、難しいところですね。

noname#200838
質問者

お礼

確かに楽だし偉そうにできますが、「対案出せますか?」って言われた時点で馬鹿丸出しがバレてしまいますね。 「まあ反面自分にとって都合の悪い意見、議論を批判ととるのも楽だったりします」っていうのは思いつかなかったです。そんな一面もあるのですね。

noname#200838
質問者

補足

回答いただきありがとうございました。

noname#205122
noname#205122
回答No.4

日本の歴史や風土、社会や政治のあり様、あるいは、環境や教育によって強い影響を受ける日本人の本質に関わる様々な要素・要因が複合的に関係し合って生じる国民性(「国民性」という言葉も、意味が狭くて、適切な表現ではないかも知れません。むしろ、単純に「現象」言い換えた方が良いかも。)だと思います。したがって、簡単に回答が引き出せるご質問ではないように思います。 このような中で1点だけ言えるのは、有史以来、 政治にしても、社会にしても、「最終的には、体制にお任せする」という体質があったのではないでしょうか?これは決して悪い意味ばかりではありません。「厳しい対立を防ぐ」という意味では有効に作用することもありますし、環境に恵まれた平和な日本では、そのようなやり方というか、政治や社会のあり方で良かったのだと思います。 もちろん、戦後の日本が歩んできた道も、例えば「戦後復興と経済重視」ということ一つを取り上げてみても、before10 さんの疑問と大きく関わっていると感じます。あらゆる事が関わっているのです。もちろんNO,1さんのいう「言論・表現の自由」というのも関わっていると思います。 「例えば原発は危ない。……どちらも示せないなら勉強したらよい。なぜそういうふうに考える人が少ないのでしょうか?」……「そういうふうに考える人が少ない」か、どうかは私は知りませんが、「どちらも示せないなら勉強したらよい。」ということに対して、「なぜそこまでしなければならないのか?」という反論が出てきそうな気がします。 「また、例えば国会で、対案を示せなければ発言できないようにルール化したら良いと思うのですが、そうしない理由は何でしょうかね?」…… 国会議員の行動の基本は「自己保身」です。このフィルターを通して観察すると、国会議員の行動がよく理解できるようになります。 「あなたの方針はこんなデメリットがある。私のやり方ならこう解決できる」「いやいやそれだとこんなデメリットがあるじゃないか。それなら私の方針の方がよい」……日本人だって議論しないわけではないし、議論するために、必要であれば勉強もしていると思います。しかし、議論によって白黒を付けるというのは日本人の体質に合わないのではないでしょうか?日本のように恵まれた環境にあった国では、白黒を決めるよりも「灰色」を探すことが、平和的解決なのかも知れません。

noname#200838
質問者

お礼

いやーそんなに難しい問題とは思っていませんでした。思いついただけで。 これまでの日本には良かったとして、これからもそのやり方で大丈夫でしょうかね? 「「どちらも示せないなら勉強したらよい。」ということに対して、「なぜそこまでしなければならないのか?」という反論が出てきそうな気がします。」→私は、そこまでできないならしなくても良いと思っています。ただ、できないなら、批判はしなければ良いと思います。時間の無駄にしかならないから。 国会の提案について、灰色がベストなら灰色を選択しても良いと思います。灰色を探すにしても、対案を示しながら摺り合わせた方がよいと思うんです。 回答いただきありがとうございます。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.3

おじさんです。 before10さんが書いていること、まとこにその通りですね。 「なぜそういうふうに考える人が少ないのでしょうか?」 ですが。 日本は伝統的にそういう教えの民族なのですね。 日本人の多くは物事を深く考えない人が多いのです。 例えば、学業を一生懸命にやることはいいことだと教えられますね。 そうすると、ただただ一生懸命に学業に没頭します。 その時に、何のために勉強するのか、それは何の役にたつのかとは考えないのです。 結果的に、学業成績がいいことが素晴らしいというだけの偏った人間になってしまいます。 政治でも社会問題、恋愛すべてに深く考えない人が多いと思います。 それは、深く考えることをよしとしない風習があったからです。 日光東照宮の「見ざる云わざる聞かざる」はそういう教えの最たるものですね。 つまり、庶民の思考レベルを下げておけば権力者は安心だったのです。

noname#200838
質問者

お礼

そうですか…うーん…昔の権利者にとっては安心だったでしょうが、現代日本にとってはまずいのではないかな… 回答いただきありがとうございました。

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