医療を開拓した人々と佐世保事件のような人について

このQ&Aのポイント
  • 医療を開拓した人々と佐世保事件のような人は同じタイプの人ですか?
  • 数百年前、人体解剖や手術などは行われず、倫理観も異なっていました。
  • 現代の医療は倫理に基づいて行われていますが、それ以前の行為とは異なる存在です。
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医療を開拓した人々と佐世保事件のような人

医療を開拓した人々と佐世保事件のような人は同じタイプの人ですか? ある宗教では「人を切り裂き、内蔵をいじくりまわし、他人の血液を他人の中に入れる」、そんなおぞましい行為は倫理に反するとして手術などを拒否している人たちがいます。 数百年前、世界中のほとんどの地域では人を切って手術などを行うようなことはなく、人体を細かく解剖するようなこともなく、「人を切り裂き、内臓をいじくりまわし、、、、」に近い倫理観で人は生きていたようです。 現在でも内臓がテレビ画面に写っただけで吐き気をもようしたり、直視できないという人がほとんどで、当然、今でも人や動物に手術をしようとすれば官公庁の許しを得ている人々が、法令によって手術などの行為を行っており、前提としては倫理に反する行為です。 しかしそれ以前には現在の手術などという行為事態この世に存在しませんでした。 医療を開拓した人々と佐世保事件のような人は同じタイプの人なのですか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.3

「医療に生かすために人体の構造を知りたい」から解剖という手段をとったのであって「解剖したいという興味本位」ではないのですから「次元が違う話」です。 それに解剖したいために遺体を調達することはあっても解剖したいために死体を作り出すことはなかったはずです(狂信的あるいは猟奇的趣味でそのようなことをした人はいたでしょうけれど)

princelila
質問者

補足

書き込みありがとうございます。 > 「医療に生かすために人体の構造を知りたい」から解剖 > という手段をとったのであって「解剖したいという興味 > 本位」ではないのですから「次元が違う話」です。 それって時代の前後関係に矛盾があるように感じませんか? 今でこそ医療は医療として成立している訳ですが、昔は霊媒師や宗教聖職者がいても医師も居なければ医学書も存在していなかった訳ですから。「興味本位の解剖」という未知への探求がなければ医学への道も存在し得ないのでは?でもそれって世の中的にはおぞましい行為ですよね。 > それに解剖したいために遺体を調達することはあっても解剖したいた > めに死体を作り出すことはなかったはずです。 ダビンチが死体や内臓を詳しくデッサンしていた話は有名ですね。他の方の回答で思い出しました。 それでもダビンチが死体の解剖であったとしても、その後に誰かが「人を切り裂き、内臓をいじくりまわし、、、、」という倫理の外の部分へ踏み込んだ人たちが存在していた”はず”です。 そうでなければ、手術行為やその積み重ねとしての医学事態が成立しえないのではないでしょうか。 それに常識的で善意の存在であるようなタイプの人が、当時の倫理を破壊するような「人を切り裂き、内臓をいじくりまわし、、、、」という行為を行うとは少々信じがたい気もします。 医学が医学として成立していない時代から「医療に生かすために人体の構造を知りたい」といった現代から過去へタイムスリップしたような価値観を持った人たちがいたのでしょうか。 私はそこに矛盾を感じてしまいますが、何か私の知らない矛盾を埋めるピースがあるのかもしれません。

その他の回答 (3)

回答No.4

●矛盾があるように感じませんか ○感じませんね。 「病気治療」が「呪術」ではなく「医療」になっていく中で「人体を知らなければ効果的に病を治せない」ということがわかってきた・・・・信仰ではなく科学になったということです。 またそれは「興味本位」ではなく「科学追求」です。 これを同列に扱うなら「正当防衛による過失致死」も「快楽殺人」も人殺しには違いないのだからどちらも殺人犯だ、と言うのと同じです(質問者さんなら「同じだ」と言いそうですね(笑))

princelila
質問者

補足

> 「病気治療」が「呪術」ではなく「医療」になっていく中で「人体を知ら > なければ効果的に病を治せない」ということがわかってきた・・・・信仰 > ではなく科学になったということです。 > またそれは「興味本位」ではなく「科学追求」です。 「興味本位」と「科学追求」が相反するものとお考えだなんて どんだけものを知らないのでしょう(笑)。 どちらも同じものですが。

noname#225485
noname#225485
回答No.2

ダビンチもそうだけど彼らは少なくとも生きた人間を解剖する事は無いでしょう。 問題は解剖するという事でなく、人を殺すと言う問題なのでしょう。

princelila
質問者

補足

書き込みありがとうございます。 ダビンチが死体や内臓を詳しくデッサンしていた話は有名ですね。回答で思い出しました。 それでもダビンチが死体の解剖であったとしても、その後に誰かが「人を切り裂き、内臓をいじくりまわし、、、、」という倫理の外の部分へ踏み込んだ人たちが存在していた”はず”です。 そうでなければ、手術行為やその積み重ねとしての医学事態が成立しえないのではないでしょうか。 それに常識的で善意の存在であるようなタイプの人が、当時の倫理を破壊するような「人を切り裂き、内臓をいじくりまわし、、、、」的な行為を行うとは少々信じがたい気もします。 医学が医学として成立していない時代から「医療に生かすために人体の構造を知りたい」といった現代から過去へタイムスリップしたような価値観を持った人たちがいたのでしょうか。 私はそこに矛盾を感じてしまいますが、何か私の知らない矛盾を埋めるピースがあるのかもしれません。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.1

はい。ダヴィンチもそうですね。

princelila
質問者

補足

書き込みありがとうございます。 そういえば今思い出しました。 1980年代後半ぐらいまで日本の多くの大学病院では、末期の患者に治療と称して多くの新薬などの医薬品投与を勝手に行い、薬の副作用で多くの患者が苦しみながら亡くなっていっていたそうです。ただの人体実験ですが、それらを行っていた医師たちに言わせると「医学の発展に寄与する貴重な行い」との説明でした。当時の日本では患者はそれを拒むすべは無かったらしいです。また医師も家族や親戚にそのような行為を行うことも絶対になかったそうです。そんなドキュメンタリーを昔みたことを思い出しました。

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