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第二次世界大戦でドイツ上空で制空権が

連合国側に渡ったのはどの時期ですか? 資料を読みあさるとある時期になるとドイツ上空には連合国の爆撃機戦闘機がたくさんいて ドイツの戦闘機が飛び立つとすぐに迎撃されると読みました。

  • 歴史
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みんなの回答

  • drmuraberg
  • ベストアンサー率71% (847/1183)
回答No.3

ドイツは日本より高い防空能力を示していました。 しかし、最終的には制空権を失い都市爆撃を受けています。 何時頃に制空権を失ったかは、日本の場合の様に「あの海戦以降、とか あの島を失ってから」の様に明確では有りません。 Web.で「制空権」の記述を見ると、英語Wikiには次の記述が 有ります。 <Achieving total air superiority allowed the Allies to carry out ever-greater strategic bombing raids on Germany's industrial and civilian centers (including the Ruhr and Dresden), ・・・・・ Allied planes went after the German fighters wherever they could be found, and substantially lowered bomber losses for their side for the rest of the war over western Europe.> http://en.wikipedia.org/wiki/Air_supremacy 完全な制空権の獲得は連合国にドイツの産業と市民生活センター (ルールやドレスデンを含む)に対する従前より大規模な戦略爆撃と 東部及び西部戦線での地上戦の遂行を可能にした。1944年2月後半の ビッグウイーク*攻撃に続いて、第8空軍の新しい司令官ジミー・ ドーリトルは1944年3月に始まったP-51ムスタングによる周辺 護衛の代りに爆撃編隊の遥か前方への飛行を許可した。 これが1944年3月に開始され、ドイツ空域からドイツ空軍戦闘機を 掃討する大規模な“戦闘機掃討”戦術**の一部となる。連合軍戦闘機は ドイツ戦闘機が現れ次第とこでもそれを追撃し、それ以降の西部戦線に 於ける彼ら(連合軍)の側の爆撃機損失をかなり低下させた。 *ドイツ軍需産業に対する大規模爆撃。爆撃機6,000機、護衛戦闘機  3,670機。 ** ドイツ空軍を消耗させる作戦。 これによると1944年3月以降のP-15の投入以降とされているようです。 (この次の文章は、太平洋戦争に関してです。ドイツWikiには相応する 適切な記述は有りませんでした。) ドイツ側の記述としては次のものが有りました。 Im weiteren Verlauf des Jahres 1944 erlangten die Alliierten schließlich durch massiven Einsatz von Langstrecken-Jagdflugzeugen vom Typ North American P-51 endgültig die Lufthoheit. 1944年のその後の経過では連合軍は長距離戦闘機ノースアメリカンP-15 の大量投入により、最終的な制空権を獲得した。 更に、同じWebに次の記述もあります。 Die besonders intensiven Luftangriffe auf Dresden am 13., 14. und 15. Februar 1945 sowie die Luftangriffe auf Kassel, Braunschweig, Magdeburg, Würzburg, Darmstadt, Pforzheim, Hildesheim, Nordhausen, Nürnberg, Königsberg und Halberstadt erlangten traurige Berühmtheit. 特に大規模な1945年2月13~15日のドレスデンに対する航空攻撃や カッセル・・・・・等に対する航空攻撃は悲しい話として有名となった。 1945年2月段階では「制空権」を完全に失い、一方的だったわけです。 https://de.m.wikipedia.org/wiki/Luftkrieg#Luft.C3.BCberlegenheit 更に、1944年6月6日に始まったノルマンジー上陸作戦では、 防衛に動員されたドイツ空軍機は増強される事無く終わっています。 これらから判断するに、 1944年3月に始まったP-14の爆撃機直衛から前方周辺追撃攻撃の開始が契機で、 ドイツ空軍は損失を増やしその損耗を補充できなくなり、1944年の夏頃に掛け 制空権を徐々に失い、1944年内には制空権を完全に失い、1945年には サンドバック状態だったということでしょうか。

  • StuG3
  • ベストアンサー率26% (18/68)
回答No.2

議論が分かれるところなのですが 西側連合軍が完全にドイツ上空の制空権を握ったのは、1944年秋から45年の初頭以降です。 その直接的な理由は、地上軍の前進に伴う航空基地の前進とドイツ側のボーデンプラッテ作戦失敗と航空燃料の枯渇です。 特に、航空基地の前進により英米軍の戦闘機がドイツの迎撃戦闘機に即座に対応できるようになったのが大きい。そのためドイツは非常にハイリスクなボーデンプラッテ作戦を実行しなければならなくなったのです。 よく言われる「P51登場により、米軍がドイツ上空制空権を握った」は正確ではありません。「優位に立った。」または「爆撃機の損害が劇的に減少した」というレベルで、1944年夏ごろの段階では米軍爆撃機は昼間にドイツ上空に侵入するのにはまだまだ相当の覚悟が必要でした。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (812/3030)
回答No.1

アメリカは当初護衛無しでドイツへの戦略爆撃を敢行しバッタバタと打ち落とされてました。 これにP51の護衛をつけることが可能になり制空権がドイツから連合国側へと移ります。 wikiによると1943年から44年にかけての冬多くのP51が配備されたとありますので、概ねその時期から徐々に制空権が移ったと思われます。

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