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【戦国時代】評定に於いての座り方

よくテレビなどで観る城内、戦評定などでは大将を上座に、家臣達は左右縦に位の高い順から座っています。 同じような評定でも、ある場面では横に並んで(現代の教室みたいな配置)座り方もありますよね。 つまり2通りの座り方(座り配置?)をその時々でしていたのでしょうか? もしくは安土桃山~江戸期に以降する際の時代の流れや、家々ごとなにかしらの慣習があったのでしょうか? 評定の際の座り配置と形式など、詳しく教えてください。

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  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.1

テレビでよく見る戦評定の座り方は、江戸時代家臣 の身分が明確に定まってからの、評定の場合です。 戦評定は円陣形(指輪形)が普通です。 指輪の宝石の場所に大将、家臣は左右に輪になり 大体の順序に円状で座ります。 身分の上下が厳確に定まった江戸時代とは違い、 家臣が同等の発言権があるようにしたわけです。 (アーサー王の円卓会議ですね) 命のやり取りの場では、建策に身分の上下は 関係なしです。 これでドラマをやると主役が後ろ向きになることも あるので変えたわけです。

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