もしハルノートを受諾し、大日本帝国が続いていたら?

このQ&Aのポイント
  • ハルノート原案では、日本軍全面撤退と引き換えに20億ドルの対日借款が盛り込まれていた。それが国務省内で練り直され、対日強硬派の言い分が通り、借款の項目は削られた。
  • 当時の日本政府・軍部の主流派から見て、ハルノートは受け入れられない。それどころか対英米戦は既定路線・・・・かな。
  • もし大日本帝国が続いていたら、今の現実とは異なる日本社会になっているでしょう。テクノロジーは発展していても、大日本帝国の国体が続いているため、社会の風景や価値観は違ったものになると思われます。
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もしハルノートを受諾し、大日本帝国が続いていたら?

今日の夜9:00~NHK真珠湾スペシャルを見ましたが・・・ ハルノート原案では、日本軍全面撤退と引き換えに20億ドルの対日借款が盛り込まれていた。 それが国務省内で練り直され、対日強硬派の言い分が通り、借款の項目は削られた・・云々 なかなか興味深い番組でしたね。 でも 当時の日本政府・軍部の主流派から見て、ハルノートは受け入れられない。それどころか対英米戦は既定路線・・・・かな。 さて、今回、あくまで IF ですが 日米戦争を回避でき、大日本帝国も明治憲法もそっくりそのままで今日この21世紀のIT社会に至ったらどうなったことでしょう? 若者が茶髪でスマホに熱中し前を見ずに道歩き、少女がローライズでパンツ半分見せながら道歩いて、それでも大日本帝国存続中だとしたら。 いったいどんな日本社会になっていることでしょうね? テクノロジーは今の現実そのままの社会で、国体は大日本帝国。 つまり往時(1941時点で)、あと数年を待たずして、台頭する巨大な軍事大国ソ連、蒋介石を追い出し中国の覇権を握った中国共産党。米国はこれらと対峙するために、日本を利用せざるを得なくなるのです。良い悪いはこのさい別として。 尚、連合国による対独・対伊 の戦争はあり、歴史通り連合国の勝利に終わったとします。日本だけがそのまま。 今どんな日本社会になってますか?あくまで IF です。

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回答No.8

afv2012さんの回答に対する意見です。 >>そして、軍事以外でも20世紀の主要な産業において、エネルギーや資源の問題は深刻です。 >> けっきょく、何らかの形で海外から資源やエネルギーを得るすべがなければ、資源の乏しい日本は衰退せざる得ません。 >>もし、こうして資源もなく、確固とした産業を持たないままでは… 日本が資源を海外に頼らざるを得ない状況はメタンハイドレートや核融合発電を実用化してみせない限りどこに転んでも変わりませんよ。戦争を回避した仮想の大日本帝国でも、実際の戦後日本でも。 勿論、戦中の相手であったアメリカと比べては凄く物足りなかったような気がしますが、戦前日本の産業基盤がそんなに貧弱な訳じゃありませんでしたよ。 もしかして此れが「確固とした産業を持たない」とされている戦前日本の姿(?)でしょうか。 これは戦中の敵国であった日本を出来るだけ嘲笑する為に日本を今の朝鮮、中共みたいにポンコツしか作れない産業未開国のように酷く描写している連合国側のプロパガンダアニメです。 第二次世界大戦中のポパイのアニメ(反大日本帝国) jp.youtube.com/watch?v=NzRgvt_0Trg Tokyo Jokyo jp.youtube.com/watch?v=QGbQjyrHjF8 しかし実際はどうだったんですか。 ご存知の通り戦中には歴史上最大の戦艦である大和級戦艦を、しかも3隻も建造したのですよ。(大和、武蔵、信濃。ただし、信濃は途中で空母改装) それ以前に有色人種が白人国家の技術力に頼らずに独自設計で独自に建造した世界最初の近代艦船の「薩摩」もあったし、戦後連合軍側は鹵獲した旧日本軍の航空機に適用された技術力を高く評価しました。 (軍事兵器しか評価しなかったような気がしますが、そもそも軍事技術というものはその国の工業技術力の尺度を表すのですからね。) 既に戦前からそれなりの技術力と工業力を持っていた日本を 確固とした産業を持たないと評価するには無理があると思います。 >>… 国内での国民の不平不満はかなりの高さで暴動や革命思想へと容易に誘導される不安定な不穏な状態が続くでしょう。 >>ちょうど南米の共産主義国家が歩んだ道筋に似た感じになるのではないかと想像されますが、日本はアメリカから遠いので、より共産主義国家の影響力が高くなる可能性は強く、共産主義革命が成功してしまう可能性もありえます。 戦争を回避した帝国より、寧ろ実際の戦後のドサクサの中の暫くの間に未だ自衛隊も編成出来ずになんの軍事力も無かった時、そして60~70年代の高度成長期に団塊世代の青年(今はジジババですけどね…)どもが火炎瓶と石投げたり竹槍振るったりする暴力的な共産主義闘争を繰り広げた時代のほうがもっと共産主義革命が成功しやすかった環境だと思いませんか。 スパイを丸腰に容認してしまってた実際の戦後の方がもっとやばかったんじゃないですかね。 そして南米の国家は、土着文明を破壊して占領してきたスペイン、ポルトガルの植民地だった地域が独立したばかり、国家としての基盤が非常に軟弱な地域でした。 当然、この隙が共産主義勢力を安易に許してしまう結果となり、これが直ぐに南米社会主義政権の誕生に直結したのです。 それに対して日本は王家が途中で断絶するなどインディオ民族としてのアイデンティティを相当失ってしまった南米地域とは違い、長い時皇室を断切なく継続的に維持しながら昔から地道にソフト、ハード的なものを積み上げる等、長い時にかけて大和民族とその国家としての基盤とアイデンティティを確立することが出来ました。 国家としての基盤とアイデンティティの丈夫さがガン並みに違うのに、南米と同じく呆気なく共産化する、というのは無いじゃないんですか。 物理的にソ連からの距離は日本が南米より近いからソ連からの風当たりそのものは南米へのより遥かに強いかもしれません。 しかし、民族としてのアイデンティティと国家としての基盤が既に確立した日本がそんなに共産主義の波に安易に巻き込まれるはずがないんでしょう。 更に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」中華秩序からの離脱を告げるこの文章が書かれた以来、日本は決して中華勢力の侵入を許した事が無かったんです。依然として中国からの文物は受け続けながらですね。 中華大陸とシルクロードを全て制覇して更には東ヨーロッパにまで飲み込もうとしたモンゴル帝国の侵略も食い止めたんじゃないんですか。 大陸からの侵略にずっと立ち向かってた歴史、経験があるから日本が又大陸勢力であるソ連の侵略を簡単に許す訳にはいかないと思います。 (実際にはハルノートを日本が拒否したのも、ある意味ではそれまで大陸からの侵略に屈服してなかった伝統の続きでないのか、と私はそう思っています。ただ、その時は日本としては始めての海洋勢力からの脅威で、その始めての海洋勢力との全面衝突には負けて今に至る…んじゃないんですかね。) >> この惨状の日本をソ連が黙ってみているとは思えず、何らかの形で冷戦時代初期に良くあったように、武装革命を影で援助し、武器を供給したりされる可能性は高いと思えます。 しかし実際の戦後日本でもないのに、此れをただ見ているわけでもないですね。日本の方もソ連のやり方を黙ってみているだけじゃ居られませんよ。 こんな共産主義勢力が余計な真似をしないようにした法律がありました。「治安維持法」。 勿論、この法律が真っ当な国民まで些細な理由で無闇に捕まってしまうなど、立憲主義に違背し国民の権利を一部侵害した負の側面もありましたが、 共産主義勢力、無政府主義勢力等の国家の治安に害悪を及ぼす諸勢力が帝国内外部からの混乱を煽るのを食い止める事には相当に役が立ちました。 そもそも帝国がずっと存続していたならこの治安維持法を国民の権利を侵害しない、ながらももっと有効に国家の安全を脅かす勢力を食い止めれる方向へ何回も改正されてる筈でしたね。 (もしかして、実際今の日本に一番必要なのはこの治安維持法かも知れません。ただ、前述のように立憲主義に違背されるように要素は改正する必要はあるんですけど…) 今更やっと日本版NSCだね、特定秘密保護法だ、スパイ防止法だ、と急いで対内外諜報対策が用意されてるのが救いなんだけど、とにかく戦後日本が敵性国家のスパイを丸腰で許して来たたのはご存知の通りですね。 しかし、戦後GHQによって旧帝国の各機関が解体される前は日本にも一応諜報機関が存在して、その能力はかなり優秀だったと要られます。 もしソ連が密かに武器を配るなど日本内部から革命を煽ろうとしても、それが日本側の諜報機関によって食い止められるのは間違いないでしょう。 …取り敢えずハルノートを受け入れるのはとにかくアメリカをはじめとする連合国側の下に入るというのだから、この点では史実の敗戦後の日本がアメリカの同盟国になったのとあんまり差が無いと思います。 大陸共産勢力の中蘇からの脅威に対応するために日米が連合するのは… 多分、こうなったら南米のようになるのではなく、他ならぬ実際の今の日本と似ている情勢になったんじゃないのかと思います。 はい、今の「第二次安倍政権の日本」みたいにですよ。 今年2013年度の安倍政権は憲法9条を解釈改憲して集団的自衛権を容認しようとしたり、日本版NSC,秘密保護法などの安保対策を用意する等、アメリカとの連帯を強めて中共からの脅威を含む様々な安全保障的なリスクに対応しようとしていましたね。 ハルノートを受け入れた大日本帝国はデブ将軍が率いる独裁国家北鮮でも、社会主義革命が成功してしまった南米のようにでもなるわけは無いです。 多分今の安倍率いる自民党政権が目指す国家の姿に似ているではないかと思います。(安倍晋三が敢えて始めてからハルノートを受け入れて戦争を回避した帝国を想像してあんな政策を推進するわけではないですけどね。) ただ、旧帝国なら朝日、毎日新聞はあるけど9条も日教組も共産党もないから一部偏向報道するマスコミは処分して立憲主義、国民の権利を侵害し得る憲法、法律の「穴」を適切に改正してアメリカとの関係を改善しただけで良いでしょう。 又の長文、駄文申し訳ございません。

sonohinioware51
質問者

お礼

安倍さんのような、貧乏生活もどんなものか知らず、兵役で一発張られた経験もなく、実際の戦闘がどういうものかも知らず、新卒で会社は選びたいほうだい、選挙区やかんばん・じばんは用意されていて、嫁さんは有名女子大卒の美人をもらい・・・・つまり苦労した事がないのです。下痢が続いて苦労したぐらいでね。 ああいう人が暴走すると危険ですよ。 回答者様はそこに切り込んでおられと思います。 まだ彼のおじいちゃんは巣鴨の刑務所に暮らしたり苦労してますね。刑務所入れとは言いませんが、人には芯から困ったという経験が必要なのです。一国の指導者には特に。 その点、引退した古賀さんなどは戦争の辛さを知ってますね。 あまり現内閣も机上の空論で、危険水域に足を踏み入れないでもらいたい。 回答有り難うございました。

その他の回答 (9)

回答No.10

・ハルノートを受諾して、中国から手を引くが、満洲国は存続する。 ・関東軍の現地暴走主義が止まり、軍部がおとなしくなる。 ・大慶油田が発見されて、北進も南進も必要がなくなる。 などの条件で、日本が第二次世界大戦を中立でやり過ごした場合は、 フランコ独裁のスペインのように1970年代くらいに軍部独裁から民主化して 国際社会に復帰するのではないでしょうか。 その場合、高度経済成長はなくて、ヨーロッパ南欧のラテン諸国くらいの国力になっていると思います。 PIGSとか言われるあの辺くらいで、トヨタの代わりに、フィアットです。 東京オリンピックも1964年じゃなくて1992年のバルセロナです。 満洲、台湾、朝鮮などは、1960年代のアジア・アフリカの植民地独立ブームで平和裏に分離かな。

sonohinioware51
質問者

お礼

えっ!ギリシャ並み? 回答有り難うございました。

  • k16399638
  • ベストアンサー率33% (342/1035)
回答No.9

つらつらと書いていきますが、漫談です 1 ハル・ノートは中国とフランス領インドシナからの撤兵を求めてはいますが、満州から兵を引け、とは言っていません。 2 中国大陸から撤兵すると言ってもいいのです。ただ、 「兵を引きたいのだが邦人に対する中国側の武力行使が停止されないので、引くに引けない」 と、問題を長期化させてしまう手があります。 3 共産党政権よりは国民党の方が日本としては話が通じる相手なので、蒋介石との単独和睦、のち国民党・日本合作で、共産党攻撃、という選択肢もあります 4 ここまでのことを実現するには、近衛の「国民党を相手にせず」の宣言をさせない、そしてフランス領インドシナに進駐しない、という前提の方が話がしやすいでしょう。 5 最近のロシア公文書公開によれば、ノモンハン(ハルハン・ゴル)でのソ連軍、実は日本軍によって大損害をだしており、日本側の戦車の数も過大評価していました。 6 ノモンハンで23師団への増援を東京がサクッと決断していたら、もう少し日本側に有利な形で停戦していた可能性が大です 7 6が実現し、陸軍のソ連軍恐怖症がなかったと仮定しましょう。南進ではなく北方重視の政策に舵を切っていたら、独ソ戦初期の日本は、アメリカと対決せず、ソ連には恫喝を効かせることができます。 8 石油の禁輸は仏印進駐がトリガーですから、北進政策だとおこりません 9 1941年11月ごろ、ナチス・ドイツの陸軍はモスクワ寸前まで行きます。ソ連側は満州国との国境にいた部隊を引き抜くことが必須ですが、関東軍に対する恐怖心は、拭いきれないものがあるでしょう。 10 で、日本は高みの見物でナチスを見捨ててもいいし、ソ連を攻撃し沿岸沿いに海軍のカバーのもと北上してウラズオストックを伺うこともできます 11 いまの中国の大慶は石油の産地ですが、ここ、実は満州国領です。日本が見つけていたら、という考えはおもしろいとおもいます。 12 石油ゲットして、国民党と手打ちができればアメリカとケンカしなくてもよくなります 13 普通選挙法が指向されている、実は民主主義国家なんてすよ。日本はw 治安維持法は、国体に反する行動をしなければ、一般国民には関係ない法律です。一方、共産主義勢力が伸長する余地はありません。日本のサヨクは戦後GHQが政治的自由を名目に野放しにしたので今のようになりましたが、サヨク、いなくなります。 14 現実の日本の戦争戦略は、ナチス・ドイツがソ連に勝利することが前提なので、モスクワでこけ、北アフリカでコケるまで様子をみることができたら、ナチスには声援だけ送って、放置、もありですね。 まとめ どこかで50年代フランスのように植民地独立闘争にぶつかる可能性が大きいですが、ナチスが滅びる寸前に宣戦布告しておけば、連合国で常任理事国になれる可能性がおおきいです。 核兵器の保有、満州国経営がどうなるかですが、日本陸軍の体質を考えても北朝鮮のようにもならないし、大陸での戦争が収束に向かえば兵士は動員解除されて郷里に帰り、自然と粛軍になります。 アメリカ式のマス・プロダクションの工業国になれるかがカギですね。 帝国憲法は、天皇の神聖と、天皇が陸海軍を統帥することは明記してあるので、立憲君主制の議会制民主主義、ただし共産党は非合法、という国になったのではないかとおもいます。空軍が創設できるかどうか、興味深いですね。

sonohinioware51
質問者

お礼

ハルノートは受け入れるが、実際の施行・運用には多大な時間を要する・・・・・ 興味深く読みました。 有り難うございました。

  • afv2021
  • ベストアンサー率52% (195/369)
回答No.7

歴史的に考えれば、ドイツイタリアとの三国同盟があるので、何らかの形でアジア方面のイギリス軍などと戦端を開く事になるのではないかとも思いますが、アメリカが参戦しなければ連合国側の勝利はなかなか大変そうですので、アメリカは何らかの手段で戦争に介入するものと思われます。 仮に、三国同盟を破棄して完全に英米と戦う事を避ける道を選ぶとした場合には、日清戦争、日露戦争などで肥大化した軍事関係の維持費用や軍事産業自体が資源不足などによって機能できなくなるのは明白です。 また、ハルノート受諾ですので、満州などのアジアに獲得していた各種権利も放棄するわけなので、それら海外から国内に帰還した失業者が溢れ、日本の治安はどん底になると思われます。 そして、軍事以外でも20世紀の主要な産業において、エネルギーや資源の問題は深刻です。 けっきょく、何らかの形で海外から資源やエネルギーを得るすべがなければ、資源の乏しい日本は衰退せざる得ません。 もし、こうして資源もなく、確固とした産業を持たないままでは国内での国民の不平不満はかなりの高さで暴動や革命思想へと容易に誘導される不安定な不穏な状態が続くでしょう。 この惨状の日本をソ連が黙ってみているとは思えず、何らかの形で冷戦時代初期に良くあったように、武装革命を影で援助し、武器を供給したりされる可能性は高いと思えます。 すると、けっきょく予備役にされた元軍人の失業者などが容易に内乱を起こす可能性が出てきます。 実際、2.26や5,15などのような武力革命がおきているわけですから、対外的に弱腰な政府を打倒したい人々は大いに決起するでしょう。 産業が資源やエネルギーに頼らない手段であるのは農業などになりますから、農業は廃れないでしょうが、これらの労働者にたいしての扇動は共産主義者たちのお家芸です。 ただし、西側でもハルノートを許諾する以上は、ある意味アメリカに接近する事になるわけでしょうから、それらエネルギーや資源を大いにアメリカからの供給に頼る事になると思われます。 アメリカは、実際にフィリピンなどを傀儡政権にしていたことからも、日本に資源やエネルギー供給というエサで傀儡政権にする可能性も高いでしょう。 太平洋戦争がなければ、アメリカが無理やり参戦したとして、第二次世界大戦にかなりの戦力をアメリカは投入できますから、独・伊はすぐに敗戦する事になると思われます。 結果、東西冷戦が若干早まって、中国などへはソ連が介入するでしょうし、不凍港を欲するソ連は朝鮮半島や旅順などを再度狙う可能性は高く、当然アメリカは対抗措置をとるでしょうから、傀儡になった日本は、アメリカ主導で朝鮮半島への出兵などが成されるかもしれません。 当然、産業などではアメリカに頼る表側と、ソ連に頼る裏側で国内は二分され、国内は混乱するでしょうから、現在のような技術大国になる可能性は低く、アメリカンドリームを夢(エサ)にアメリカナイズされた生活を送る富裕層と、共産主義者による労働者階級のデモや暴動などが起こりやすい国になるのではないかと想像します。 ちょうど南米の共産主義国家が歩んだ道筋に似た感じになるのではないかと想像されますが、日本はアメリカから遠いので、より共産主義国家の影響力が高くなる可能性は強く、共産主義革命が成功してしまう可能性もありえます。

sonohinioware51
質問者

お礼

回答有り難うございました。

回答No.6

欧米諸国が東南アジアの植民地支配を辞めなかった限り日米開戦は避けられなかったよ

sonohinioware51
質問者

お礼

回答ありがとうございました

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.5

なにも難しい問題じゃないですよ。だってさ、すぐおトナリに、かつての大日本帝国を彷彿とさせる国があるじゃないですか。その国の言葉でバンザーイといって両手を挙げるあたりもそっくりです。あれあれ、あれですよ。 まあ野暮なことをいえば、そういう政治体制をアメリカの同盟国として認めるわけにはいきませんから、いつの日か日米は何らかの形で衝突せざるを得なかったと思います。だから、大日本帝国として存続しているならという前提に立つなら、将軍様の国と同じような体制になるでしょうね。

sonohinioware51
質問者

お礼

回答有り難うございました

回答No.4

昭和12年のレコード大賞の曲を書きますね この曲は昭和12年12月に発表されて瞬く間に売れ、僅か一ヶ月でトップになったものです その月は南京攻略戦が行われています もしも月給が上がったら わたしはパラソル買いたいわ 僕は帽子と洋服だ 上るといいわね 上るとも いつ頃上るのいつ頃よ そいつがわかれば苦労はない もしも月給が上がったら 故郷(くに)から母さん呼びたいわ おやじも呼んでやりたいね 上るといいわね 上るとも いつ頃上るのいつ頃よ そいつがわかれば苦労はない もしも月給が上ったら ポータブルなども買いましょう 二人でタンゴも踊れるね 上るといいわね 上るとも いつ頃上がるのいつ頃よ そいつがわかれば苦労はない もしも月給が上ったら お風呂場なんかもたてたいわ そしたら流してくれるかい 上るといいわね 上るとも いつ頃上るのいつ頃よ そいつがわかれば苦労はない 大正末に流行ったのは女給喫茶(今で言うメイド喫茶) もしも月給が上がったら わたしはヴィトンを買いたいわ 僕はスマホとルンバだね 上るといいわね 上るとも いつ頃上るのいつ頃よ そいつがわかれば苦労はない もしも月給が上がったら 海外旅行に行きたいわ 聖地巡礼やりたいね 上るといいわね 上るとも いつ頃上るのいつ頃よ そいつがわかれば苦労はない もしも月給が上ったら ブルーレイを買いましょう 家庭でシアター気分だね 上るといいわね 上るとも いつ頃上がるのいつ頃よ そいつがわかれば苦労はない もしも月給が上ったら お風呂を最新に替えたいわ そしたら流してくれるかい 上るといいわね 上るとも いつ頃上るのいつ頃よ そいつがわかれば苦労はない にしかなりません 戦前日本を舐めてはいけません モダンボーイ・モダンガールの国が日本ですよw

sonohinioware51
質問者

お礼

回答有り難うございました

  • qrfrwi
  • ベストアンサー率22% (2/9)
回答No.3

長文、駄文、申し訳ございません。 私はithiさんの回答に同意出来ない部分があると思います。 先ず、「軍国主義」の事ですが… 戦前、つまり大日本帝国末期にあんな軍国主義勢力が猛威を振るって結局は戦争に突っ走ってしまったのは間違いありません。そんな軍国主義者を容認してしまったのが明治憲法の一番の致命的な弱点だったかも知れません。 と言っても、明治憲法が始めから軍国主義国家を目指すためのものではありませんでした。国内の軍国主義勢力は明治憲法の「穴」をくぐり抜けただけ。 連合国との戦争がなかったと仮定するなら、軍国主義が台頭しないという前提が必要ですね。その為には帝国憲法を軍国主義が許されずに軍の文民統制が確り行われるように、そして他に立憲主義に違背する色んな要素を排除するために改正しなければいけませんでしたね。 又、そもそも国が軍事優先主義路線を取るわけがないから「北朝鮮のような国家」は言いがかりだと思います。しかも、北朝鮮は首領を中心とする独裁国家ですよ。どちらかと言えばヒトラーと似ているんですね… それに対して大日本帝国は皇室の権限を制限して立法、司法、行政の三権を撤退的に分離した立憲君主制国家でした。今でもそうですし。 予算面を見ても北鮮の場合はいつも少なくとも十数%、多ければ数十%も占めているし、日本も日露戦争の時には国家予算の半分を国防費として支出した事がありました。帝国末期の戦中の時には言わなくも分かるんですね。。 しかし大日本帝国が平時まであんなに国防にお金をつけ込んだ訳ではありませんでした。独裁者の首領を中心とする先軍主義の北朝鮮では首領の意のまま国家を丸ごと軍のために捧げなきゃいけませんが、 平時の大日本帝国政府が戦争中でもないのにあんなに莫大な量のお金を注げようとしたら先ず議会が反対して、何よりも国民の世論が極端に悪化するでしょう。他に色々お金を回さなければいけない所も山積みなのに… これは、国防費が全世界の国防費の合計の半分を占めるほど莫大な量のお金を軍事に使って、軍産複合体が民需を牽引して、軍事技術がメインで民間技術はその転用品に過ぎないアメリカ合衆国の場合も同じですよ!! 北朝鮮軍にも南鮮軍と同じく旧日本軍朝鮮兵出身の将兵がいた故に様々な面において戦中の日本軍を一部真似した部分もあります。 北南軍どもに和製軍事用語の漢字をそのまま朝鮮語で読み上げた言葉をそのまま使っちまうケースが多いです。 …といっても、こんなことだけ見て大日本帝国そのものが北朝鮮のような軍国主義国家だ!というのは酷い言い掛かりに他ならないのです。 >> 技術的にも今のような技術大国になる可能性は低いと思います。 …んな訳でもないと思います。 先ず日本が明治維新に成功して世界列強と肩を並べるようにまで成長して、戦後も技術大国として跳躍出来たその原動力はいつから得られたと思いますか。 西洋勢力が押しかけたら未開国(?)の日本がいきなり一夜漬けで頑張った結果ですか。 答えは「そうでない」ですね。当たり前ですが、日本が「未開国(?)」だったという記述も「真っ赤なウソ」ですよ。 明治維新以前から既に日本では… 筆で文字を書いたりお茶を注いだりする精巧なカラクリ人形、現代の重機関銃で数発撃たれてもなかなか壊れないほど高強度の刀など、高度の技術力を要する物が作られて来ました。 それに江戸時代から江戸、大阪などは人口数十万の、当時には世界有数の大都市でした。 その数十万人の住民が衛生的に生活出来るための下水道施設があの巨大な都市の内部に細密に設置されてたんです。フランスのベルサイユ宮殿が糞尿まみれであった時代にですね。 そして世界初の先物取引も18世紀の日本で行われました。 (それ以前の16世紀にロンドン、ベルギー等で先物取引が行われてましたがこちらはあくまで現物の先渡取引で、本格的な先物取引所は大坂堂島米会所が世界初ですよ。) これくらい江戸時代の頃から既に日本はハード、ソフト面の各分野において先進国でありました。 勿論、戦後日本が敗戦の痛みをバネとして再跳躍した面も有りますが、結局は江戸時代から蓄積して来た色んなハード、ソフト的なものが明治維新、そして戦後の高度成長の根本的な原動力でありました。 故に戦争せずに大日本帝国のままにいたら技術先進国でなかったはず、というのは無いと思います。 >>ならば、植民地であった台湾や朝鮮は民族運動により、戦後に独立するでしょう。香港やマカオみたいに・・・ ロシアと中国が日本の仮想敵国になるでしょうし、朝鮮も彼等の後押しを受けた関係で日本と対峙するでしょう。 寧ろこれら植民地が日本に完全に同化して日本の一部になっていた筈じゃ無いのかと思います。 各地域別の籍ごと(内地籍、台湾籍、朝鮮籍…)に違いは合ったんですが、既に日本統治地域の住民には初めてから日本国籍が与えられていたんです。 もしこれらの地域が完全に日本に同化されたらその 内地籍、台湾籍、朝鮮籍…の区分すら撤廃してみんな同じ日本人になった筈でした。 総督府が撤去されて台湾、朝鮮にも府県が設置される筈だったかもしれません。 ただ関東、関西、北海道みたいな地域名として台湾、朝鮮の名称は残っていたはず。 もし日本が台湾、朝鮮を欧米の植民地と同じに酷く搾取したりしてたら民族独立運動が行われたかも知れません。 だが、これを見て下さい。 【親日国の真実】台湾が証明する日本の「内地延長主義政策」 jp.youtube.com/watch?v=1t5s3ISS3hw パラオ人の証言 jp.youtube.com/watch?v=vQaZ6SHqOxA 日本が植民地でやった事が100%全て正しかったとは言えないんですね。 でも、この動画を見ると植民地だった台湾の住民だけじゃなく、日本の委任統治を受けた事があるパラオの人達も日本の支配をポジティブに評価しているのが分かるでしょう。 ただ、両朝鮮の場合、日帝の過酷な植民地支配がー、と何度も煩く喚きながら度々に謝罪と倍賞を要求して来ますが、騙されちゃいけません。 前述のように日本の植民地支配が100%正しかった訳ではありませんが、 彼等朝鮮人は日本統治時代の是々非々を冷静に判断もせずに「日程の植民地支配は正しかった事が0.00001%も無かったニダ!」と思い込んで倍賞を要求するのですよ。 何故なら北鮮の金一家、李承晩以来歴代南鮮大統領たちは自分たちの失政と国民の不満を何とか誤魔化す為に日本をスケープゴートにして来たからですよ。 「今ウリ等がこんなに不幸せなのは何もかも悪辣な日帝がウリウリを苦しめて全てを奪い去ったからニダ!」こんな風に国民を洗脳してきた故に悪辣な日帝がーと言い掛かりして来るのですよ。 (こんな朝鮮人の態度を見て個人的に私はこう思います。 「朝鮮を併合したのは日本にとっては負担が多過ぎて、台湾人と違って恩を仇で返す国民性の朝鮮は初めてから併合しない、関わらないのがベストアンサーだった。 しかし、併合から既に30年以上経過して中途半端に朝鮮を手放すのは最悪だった。何故なら未だ損益分岐点すら通過していなかった中途半端過ぎる時だったし、独立したら恩人の日本にこんなにまでつけあがりやがって今でも日本に様々な害悪を及ぼしてるから。 こんなに出来損なった奴等を中途判断に野放すより、朝鮮経営における損益分岐点も通過して朝鮮人達がマトモになって朝鮮が完全に日本化するまで最後まで併合していたままの方がマシだった筈。って、一体こんなに野放しちゃいけない朝鮮の独立を後押ししてしまった連合国側は一体何だったの?!」) 欧米の列強が先ず自国の経済的利益の為に植民地から甘い汁を吸い取っていたに対し、 日本の植民地政策は「内地延長主義」の傾向でした。つまり、いつかは台湾、朝鮮などの植民地も北海道、沖縄のように同じ日本にする事を念頭に置いたのです。 植民地を本国と同化させて本国に吸収する、と聞いてもしかして今の中共の対チベット、ウイグル政策みたいなもんかな?と思うんじゃないですか。 しかし、日本の植民地政策は今の中共のとまた違うんですよ。 中共の場合は「取り敢えず我が座り込んだ土地、元住人のあいつ等さえ無けりゃ我の土地アル!」と思った結果、文字通りに本当に元住人を虐殺して、漢族をその跡に入植する、血の国土延長主義、いや、血の土地泥棒主義です。 それに対して日本の場合は手に入れた土地の元住人と共に幸せに暮らす為に彼等と一戸で一緒に住めるようなもっと大きな家を一緒に建てようとする主義でした。 欧米のような搾取関係でもなく、今の中国のような元住人みんな頃し主義でもなく、 皆一緒に「同じ日本人」として幸せに暮らそうとしてた、世界的にも非常に優しい植民地(と呼べれるとは言い難い)政策を行って来た日本からの民族独立運動は外部からの圧力が無い限り、考えにくいものでしょう。 しかも、戦後多くの欧米植民地が独立したのも、日本が戦中これらの地域の従来の欧米の植民支配を終わらせる事に貢献したり、これに刺激を受けて日本軍の手が届かなかった地域も刺激を受けたりしたから可能だったんです。つまり、日本は戦争に敗れ去りながらも欧米の圧政に苦しんで来た諸民族の解放に寄与してたんです。 もし連合国との戦争が無かったら日本が台湾、朝鮮を手に入れているのが別に都合に悪くないし、彼らの国自身も依然として多くの植民地と属国を手に握っていたままだから、日本の植民地を独立させる真似はしなかったんでしょう。

sonohinioware51
質問者

お礼

大変詳しい解説ありがとうございました。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1960/9577)
回答No.2

sonohinioware51さん、こんばんわ。 大日本帝国も明治憲法もそっくりそのままで今日この21世紀のIT社会に至ったらどうなったことでしょう? 少なからず軍国主義が存続することですから、若者が茶髪でスマホに熱中し前を見ずに道歩き、少女がローライズでパンツ半分見せながら道歩いてということにはならないでしょう。アメリカナイズされていないんだから・・・たぶん洋装でしょうけど・・・ ハルノートは受け入れられない。 そうですね。これをのむということは日本がこれまで四十年かけて構築した中国大陸での権益を全部亡くすことになるので、今までの人的、時間的、物質的な損害は計り知れないでしょう。無理ですね。いくら20億ドルの対日借款でも不足ですね。 テクノロジーは今の現実そのままの社会で、国体は大日本帝国。 無理ですね。おそらく、経済よりも軍事優先になるでしょうから、北朝鮮のような軍事大国への道へ進んでいるでしょう。成長は高度経済成長のような急激なものではなく、もっと緩やかなものでしょう。おそらく民需用よりも軍需用が優先されるからです。技術的にも今のような技術大国になる可能性は低いと思います。 つまり往時(1941時点で)、あと数年を待たずして、台頭する巨大な軍事大国ソ連、蒋介石を追い出し中国の覇権を握った中国共産党。米国はこれらと対峙するために、日本を利用せざるを得なくなるのです。良い悪いはこのさい別として。 尚、連合国による対独・対伊 の戦争はあり、歴史通り連合国の勝利に終わったとします。日本だけがそのまま。 ならば、植民地であった台湾や朝鮮は民族運動により、戦後に独立するでしょう。香港やマカオみたいに・・・ ロシアと中国が日本の仮想敵国になるでしょうし、朝鮮も彼等の後押しを受けた関係で日本と対峙するでしょう。

sonohinioware51
質問者

お礼

回答有り難うございました。 やはり原案をもってしても、受諾は難しかったですかね。 今回の番組で、ハル原案が 米太平洋艦隊の引き上げ 最恵国待遇 資源の自由調達の保障 相互不可侵条約の締結   等々 少なくとも国内良識派を納得させる内容である事に注目しました。 しかし学校秀才の典型でしかない陸軍エリートを納得させる事は難しかったでしょう。

  • oo14
  • ベストアンサー率22% (1770/7943)
回答No.1

みました。 なかなか興味深かったですね。 日本とロシアは英国の情報戦に負けたのです。 米国はただたんに英国に載せられただけ。 しかも、米国はわかっていたが、 日本はことごとく、その情報を、なかったことにしただけ、 今の日本と全く同じです。 そんな情報はなかったことにしておれば、 F22も、手にはいったし、 オスプレーをひゅうがとしもきたに格納できたなんてことを こっそりやらなくてもよかったわけです。

sonohinioware51
質問者

お礼

回答有り難うございました。 大型護衛艦の件、興味深いですね。

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