無は何処からやって来るのか

このQ&Aのポイント
  • 無は人の心から生まれるのである。
  • 無を願う心が無を生むのである。
  • 無は願望である。
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無は何処からやって来るのか

  無は人の心から生まれるのである。 無は願望である。 無を願う心が無を生むのである。 色即是空空即是色。 これもまた同類である。 ただの願望に過ぎないのである。 いや無ではなく空であるなどと言い逃れよーとしても無駄である。 無を願う人の心が無を生み、空を生むのである。 なぜ人は無を願うのか。 あらゆるものが無であってほしいと願うのであろーか。 それとも自分だけが無であってほしいと願うのであろーか。 あるいは自分は無ではないが苦しんでいる間だけ無でありたいと願うのであろーか。 しかし有が無になることも、無が有になることも出来ないのである。 それは宇宙の法則が許さないからである。 無を願う人の心が無を生むのであれば、無を願う心がなければ無は生まれないのである。 無を願う心の中以外に無は何処にも存在し得ないのである。 無は願望である。 およそこのよーに結論して十分ではなかろーか。  

質問者が選んだベストアンサー

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noname#189765
noname#189765
回答No.4

お早うございます。 環足しの場合は、先ず有が任意思規され →空→食う→出→無。(出たモノの先は知ラズ) →其れを理とする。 「無生之有食出無理」 食って出すミミズがごとき、この身。 宇宙を思考して始終を夢想しても、 時間軸を想い描く前に消滅してしまっている と言う事なのでしょうから、 「無」は「夢」 「天」は「点」とします。 点が規則性を保てば線を描き、 線は始点の無きモノなれば、円だが 円に見えるほど狭くは無いのでしょう。 ワタシの想うまま続くので、無は無い。 つまり、無いものは無いのですが、 人の道様の天削を戴けましたら幸甚です。

hitonomichi31
質問者

お礼

  世の中には今夜の晩飯のことを考えながら座禅を組み無の境地に浸ろーとする坊主もいるのであるから、それに比べればあんたのほーが余程真っ当であるとゆーておきます。    

その他の回答 (7)

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.8

>「で、どー違うのか説明できるのかな。 ただ違うと思いますだけでは、願望にしかなりませんよ。」 「信教の自由」ですね。

回答No.7

 悟り人、とは宇宙の本体の精神に自身の心を同化できた人のことです。  暖かい湯船につかれば心穏やかになるように、わが心を“絶対の精神”に浸かることのできた人のことです。

回答No.6

 凡人の“想像”するところの「無」、が、悟り人の云う「無」と、果たして同じなのでしょうか。  想像でしかない我々凡人の「無」は、“願望”と思ってもいいと思います。

hitonomichi31
質問者

お礼

>凡人の“想像”するところの「無」、が、悟り人の云う「無」と、果たして同じなのでしょうか。 悟り人って、最終解脱した人のことかい。  

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.5

無は生まれも消えもしない

回答No.3

もし「無」を認識できたら、そこには「認識」する何ものかが 介在する訳だから、真の無ではありません。 逆に言えば、「無を想像できない」ことの中に、“ある形式” で無はあり得るのです。 その「ある形式」とは、“突き詰めれば無に還元される” =絶対確定化により無限不確定化(=無)する不確定性 原理に基づく物理による世界です。 有限的存在の集合としての宇宙とは、無の潜在(全ての 存在は量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め込 むと存在確率の山が平らになって無と等価)としての認識 可能性の感受表面(現在)における量子相互作用パターン に対する、経験(過去)による予測(未来)として生じている 幻想に過ぎません。 無=無限の潜在的な認識可能性の光速の移動(=時間軸) に対して、無の相対化としての量子=光速で動けば無は 風(光)となるのです。 そこにおいて、過去(超光速=記憶)と未来(光速下=予測) は、現在としての感受表面(光速=量子相互作用)から、 そのいい加減な認識(階層現象性の表面的定性化)に よる仮想的非光速性として対発生していると言えます。 即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の 相補として生じた時空仮説に対して、その相殺=「本当は 無いんだけどね」という補完として、存在は生じているのです。 無いとは分からない事が有なのです。

hitonomichi31
質問者

お礼

  一粒の麦が在るだけで、この世は無ではないのです。 これは既に確定している事実です。 どのよーな屁理屈を用いてもこの事実を曲げることは出来ません。    

  • atti1228
  • ベストアンサー率15% (111/711)
回答No.2

生きる意味ってなーに?なんにもないですよね。

hitonomichi31
質問者

お礼

  >生きる意味ってなーに?なんにもないですよね。 色即是空空即是色などと唱えているうちは、確かにそーなる。  

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.1

こんばんは。 なるほど、そうですね。 >「空であるなどと言い逃れよーとしても無駄である。」 それは違うと思います。 >「無は願望である。」 そうかもしれません。 つまり、 「無」であるは無理、だが、「空」である余地はある。

hitonomichi31
質問者

お礼

  >それは違うと思います。 で、どー違うのか説明できるのかな。 ただ違うと思いますだけでは、願望にしかなりませんよ。  

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