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満州事変は侵略ですか?

Tare_Toroの回答

  • Tare_Toro
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回答No.2

*満州事変の首謀者は板垣征四郎ですが、その片棒を担いだ石原莞爾は、陸軍退役後に就任した立命館大学で軍事学を教えていました。 *そこでこんな話をしたそうです。 1.侵略とは何か、正確な定義は存在しない。   ただし、大本営参謀で戦後は伊藤忠商事会長を務めた瀬島龍三によると、侵略とは計画戦争のことであり、100%勝てる見込みがなければ行なわないものである、と証言している。 2.満州事変を起こした目的は、ソ連の南下を防ぎ、日本と直接に国境を接しないために、中国東北部を政治的・軍事的な中立緩衝地域にするためだった。 3.その第一段階として、中国東北部から張学良ら中国軍閥を一掃することを目的とした。 4.それは政府の方針には反することだったため、自らは処罰を受ける覚悟をしてした。   (しかし実際には“勝てば官軍”で、東京に呼び戻され、栄達してしまった。) 5.その後、久しぶりに関東軍に赴任してみると、そこには帝国が築かれ、関東軍の傀儡となっていた。それでは、返ってソ連と国境を直接に接して危険なうえ、国際的な反発も招いてしまった。 6.従って、満州事変を起こした初期の目的は自衛のためであったが、満州帝国を建国したことにより、結果的に侵略行為となってしまったと思う。 *では何故、関東軍は占領した満州に帝国を築いたのか。 1.最大の原因は、関東軍の幹部に存在した政治軍人たちの名誉欲。   たとえ政府の方針に反しても、軍事的に成功しさえすれば、石原莞爾のように栄達できるんだと思ってしまい、競って軍事的行動を起こすようになってしまった。 2.清朝最後の皇帝だった溥儀の野心と利害が一致した。   帝国を築いてしまった関東軍の最大の悩みは、誰を首班とするかだった。そこで溥儀に交渉したところ、清朝の再建でなければ納得しないと駄々をこねたため、日本の天皇と同等の皇帝とすることで、ようやく話がまとまった。   しかし皇室御用掛を務めた吉岡中将の話によると、溥儀は気が小さいくせに残忍な性格で、ほとほと手を焼いたらしい。しかも同性愛者で、正妻との間に子どももうまれなかったため、日本の敗戦が決定的になると、関東軍が口封じのために殺しにくるとか、中華民国軍に殺されるとわめき、発狂同然の毎日だったという。 *満州事変が侵略がどうか、判断する上での1つの材料になれば、幸いです。

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