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満州事変の被害

はじめまして。 今、興味本位で満州事変前後の出来事を調べているのですが、そもそも満州事変の被害がよくわかりません。 ことの発端となった(柳条湖事件)は、日本軍が南満州鉄道を爆破し、そこから満州事変がはじまったということはわかったのですが、爆破はごく小規模な日本軍の自作自演だったとありました。 一通り調べてはみたのですが、どんなことがあったのか、ということは書いてあっても、実際の被害はよくわかりませんでした。 また、日本側の意見しか見つからなかったのですが、中国側からはどのように感じていたのでしょうか。 学校で習えなかったので、初歩的な質問かもしれませんが、よろしくお願いします。

  • 歴史
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みんなの回答

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.8

>独立といいますが、関東軍は日本政府からの独立という風に考えていいんでしょうか? 関東軍が独断で動きやすくなったのは事実です。その意味で独立という言葉を用いました。 ただ、建国後の満州国は日本政府も利用しにかかりますので、関東軍と日本政府との協力関係が存在しており、日本政府からの独立、といってしまっていいのかどうか。時期によって関係が変化しているだろうとは思いますが、そこまで詳しくはわかりません。

henomamu
質問者

お礼

返事が遅れて申し訳ありません。 なるほどなるほど。よくわかりました。詳しい解説をありがとうございます。 以上で質問を締め切らせていただこうと思います。 本当にありがとうございました。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.7

>ということは、事変というよりも一種の独立戦争のようなものだったのでしょうか。 満州事変の結果、独立したのは関東軍だったかもしれません。 以後、満州国の領域を広げるための戦いを中華民国へ仕掛けていきます。(熱河侵攻など)

henomamu
質問者

補足

ふむふむ。ということは満州(中国)にとっては全くのマイナスだったのですね。 独立といいますが、関東軍は日本政府からの独立という風に考えていいんでしょうか?

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.6

>「たまたま」「なぜか持っていた」というのは、完全な偶然なのですか? 偶然にはありえない状況である点を強調したくなって、わかりにくい表現になりました。ごめんなさい。 100%、計画的です。 特に24センチ榴弾砲は、満州事変を成功させるため、関東軍参謀で作戦立案者の石原莞爾が、陸軍省軍事課長の永田鉄山へ個人的に交渉して譲り受けたもので、平時の編成なら関東軍には存在しない兵器です。

henomamu
質問者

お礼

返事が遅れてしまい申し訳ありません。 そういうことだったのですか。随分と用意周到で計画的だったのですね。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.5

>満州事変は、建国で終わったわけではなかったのですか。それは初めて知りました。 >ということは、一種の内戦のようなものだったんでしょうか? 張学良軍の残党を掃討する戦いでしたが、義勇兵や暴徒なども一緒に掃討することになり、1933年ごろまで続きました。(満州国の建国は1932年) 内戦というより満州国を成立させるための戦いでしょう。

henomamu
質問者

お礼

返事が遅れて申し訳ありません。 ふむふむ。 ということは、事変というよりも一種の独立戦争のようなものだったのでしょうか。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.4

張作霖を爆殺した満州某重大事件は1928年。 柳条湖事件を企てた連中が参考にしたのは間違いないでしょうが、柳条湖事件では鉄道への損害は軽微でした。大軍を動かしての奇襲作戦に、南満州鉄道が使えないと都合が悪かったのでしょう。現場写真を見ると枕木より外の砂利が崩れ、焦げています。 なお柳条湖事件の位置についてですが。 柳条湖事件の発生直後、「たまたま」近くで演習中だった独立守備第2大隊は、「たまたま」近くにあった、張学良軍の最精鋭部隊が駐屯する北大営を奇襲攻撃。「なぜか持っていた」24センチ榴弾砲(鉄道守備隊には不必要な攻城重砲)の活躍で攻略しました。 爆破事件は奇襲攻撃のきっかけにすぎなかったわけです。

henomamu
質問者

補足

「たまたま」「なぜか持っていた」というのは、完全な偶然なのですか? それとも、どちらかがそう主張しているだけで、本当は仕組まれていたのでしょうか?

  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.3

No1です。  追加の質問にお答えします。 柳条湖事件では張作霖とその幕僚の何人かは死亡しています。 日本軍にはそのときは死亡者はありませんでしたが同時におきた北大営の戦闘、さらに満州事変の戦闘による戦死傷者はかなりの数字になります。 事件での列車の損害は張作霖は特別列車を運用していましたので彼の私物列車か満鉄の車両かが不明との理由です。 この事件は満州国建国や当時の中国領土に日本の権益を確保することを目的として仕組まれた事は明白な事実です。 この事件がなくても関東軍の暴走は止まらず別の事件を起こしたでしょうし、日本の領土拡大が目的ですから中国から見れば侵略行為であり行き着く所は日中戦争だったでしょう。 従って反日感情を刺激して各地に暴動が起こりそれがまた日本軍を刺激するという連鎖反応がひろまったのです。

henomamu
質問者

補足

ということは、満州事変というのはたくさんの事件の総称で、その中での柳条湖事件の損害は微々たるものだったということでしょうか。 (人が死んでいるのに、微々たるも何もありませんが) で、その事件に巻き込まれた(?)列車の所有者がわからないということですね。 「関東軍の暴走」ということは、この事件前にも日本は暴挙に出ていたんでしょうか。

  • a-koshino
  • ベストアンサー率23% (102/441)
回答No.2

柳条湖事件の爆発は小さく、レールの一部が欠けただけで列車は無事に通過しました。損害はレールの修理代程度でしょう。 満州事変の被害となると、ゲリラ戦まで含めると満州国建国以後も継続中だったりして、判定が難しいのでは。

henomamu
質問者

補足

満州事変は、建国で終わったわけではなかったのですか。それは初めて知りました。 ということは、一種の内戦のようなものだったんでしょうか?

  • komes
  • ベストアンサー率29% (147/494)
回答No.1

ご質問の趣旨が良く判りませんが満州鉄道は日本の資産ですから鉄道の被害は日本の損害になります。 列車はその所有者がいずれであったか(日本側か張作霖側か不明)によります。 それよりこの事件により張作霖軍閥を次いだ張学良が徹底した反日家になったことによる日中戦争への影響が多大です。 日本のむき出しの欲望を感じた中国大衆の反日感情の影響も多大でした。

henomamu
質問者

補足

失礼いたしました。 要するに、被害状況はどんなものだったのか、ということです。 経済的被害もそうですが、死傷者の数とか…。 満州鉄道は日本の資産で、その上を走る列車の所有者は不明ということでしょうか。 となると、それがどのように「日本の剥き出しの欲望」につながるんでしょうか…??? 反日化になったことによる日中戦争の影響、ということは、満州事変がなければ、日中戦争は起こらなかった(起こっても小さかった?)ということでしょうか?

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