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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:科学は常に進歩するものなのか)

科学の進歩と後退:真実と一時のトレンド

ok9608の回答

  • ok9608
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回答No.7

No.5です。 仮説から演繹される実証可能な予想を多方面で行い 予想を観察によって裏付け OKなら仮説は実証されたとなります。 ビッグバン仮説の第一は 宇宙は一様に膨張しており 過去に遡れば 宇宙サイズは極小空間に押し込められる、ということです。第二はこの極小空間は いかにして発生したか であります。 第一の問題は 一般相対性理論にハッブル則を考慮したものが ビッグバン仮説であります。観察事例は先に述べた通りです。補強すれば一般相対性理論はNASAなどの人工衛星によって多数の実証結果が得られています。第一のビッグバン仮説は 観測実証されたものと考える科学者は 多数派となっています。観測実証された理論から演繹して 観測不可の極小空間から宇宙が膨張したことを推定しているのです。理論とは一つは未経験域の出来事を推定する手段なのです。あとになり 推定が正しいと確認されることはよくあることです。 第二の問題は ホーキングなどの仮説の段階ではないかと思います。少なくとも基礎知識として 4つの力が統一理論として実証解明されない限り仮説は理論にはならないとおもいます。統一理論の実証は 素粒子の世界となり 大型施設の素粒子実験が実験場所となります。実験は相当な金を投入して日々行われています。 仮説をどう評価するか ピープルとして現実の科学実験結果をウオッチしながら評価するのも一つでしょう。あるいは 新たな仮説をたて実証努力する手もあります。ここまでは科学的評価ではないでしょうか。

hitonomichi30
質問者

お礼

  >観測実証された理論から演繹して 観測不可の極小空間から宇宙が膨張したことを推定しているのです。 これはただの演繹であり推定なのだから、実証とはいえませんね。 やはりビッグバン宇宙論は仮説から抜け出せないことになるね。 しかし流体力学でよく行われるように、船の模型を作り、これを実際に動かして、その船の挙動を物理的に観察して、流体理論の正しさを証明するのであればこれは実証と言っていいと思う。これをコンピュータシミュレーションしただけだと実証とはいえないとみなします。なぜならコンピュータシュミレーションの世界は全て計算であり推定であり物理的反応は含まれていないからである。  

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