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ほんとうの「勤勉さ」とは?

現代日本社会にとって必要な「勤勉さ」とは,どのようなものか?  参考までに: 日本人にたいする「言説」のなかには,「勤勉さ」などがあります。このような「言説」は言説であると同時に,日本人にたいする「表象」でもあります。 現代日本社会においても,「勤勉さ」は社会にとって重要な要素であることには,間違いありません。しかしながら,その「あり方」において,なんらかの「問題」があるとわたしは考えます。 たとえば,「いわゆる“ブラック企業”化する日本社会」にかんして,いわゆる「お上」や「雇用者」などが,社会の構成員や労働者の「勤勉さ」を<利用>する傾向にあると,わたしは考えます。「勤勉さ」とは,個人の自発的な行動や言動などによるものであると同時に,「尊重」されなければならないものであると,わたしは考えます。いわゆる「お上」や「雇用者」は,彼ら,彼女らの「勤勉さ」を<利用>するのではなく,彼ら,彼女らの「勤勉さ」によって社会,あるいは,企業という組織が持続可能の状態にあるという「認識」をもつ必要があると,わたしは考えます。

noname#181693
noname#181693

みんなの回答

回答No.6

「勤勉さ」とは「正確さ」と認識しています。勤務中は仕事に集中する。余暇は十分に楽しむ。しかしこの区別ができない人、曖昧な人が多くなって来ているのではないでしょうか。日本人の勤勉さはすでに伝説だと思います。その為に労使の信頼関係が崩れたのではないでしょうか。自分は勝手に週休二日制がバブルを呼んだのではないかと決め付けています。仕事より愉しもう遊ぶのには金が要る、楽して収入の多い仕事に就こう。バブルが弾けたが仕事の仕方が分からない、収入が減り仕事に集中する気力がない。昔フリーターと呼ばれていた人達がいたそうですが、遊びながら仕事を転々とする人達だったと聞きますが、今の人達に似ているのではありませんか。自由のはき違いが勤勉さを失わせたと結論します。勤勉さが薄れてきたと回答されていますが、その通りだと思います。休日がとにかく多すぎます、仕事に集中できないし、誘惑に負ける。利用されても仕方のない状況と受け止めるべです。日本社会に勤勉実直な日本人は居ないです、恐らくずっと。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.5

no.2です。 お礼ありがとうございます。 「現代日本社会にとって必要」なのか、「現代日本社会で目立っている人が必要としている」かの違いな気がします。 現代日本社会で目立っている人は、自分が上に立ち目立ち続けるためには下の者が自分で何も考えず上の物の言うとおりに動くイエスマンの方が都合がいいので、そういうコンピューターのような勤勉さを求めます。 しかし、その組織(日本という国や自治体、会社など)や組織のメンバーがよくなることを考えるトップはちゃんと自分が考える部下を望み、その考える判断基準を提示することを仕事とします。 そしてその判断基準が合わなければ、合う組織に移ればいい。 質問が現代日本社会であって、現代日本社会の指導者ではなかったこと、 ブラック企業などの問題について書かれていたので、 本当に日本社会が良くなるための勤勉さを書きました。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。

  • aburakuni
  • ベストアンサー率30% (470/1562)
回答No.4

どんな事象にも問題はありますし、例えば「勤勉さ」を「技術の進歩」の様な肯定されるものに置き換えても、同じ様な話になりますね。 「技術の進歩」は利用されるものですが、悪用もされるし「感謝の念」を待たれる事はまずありません。 日本社会において、「勤勉さ」は今でも存在していますが、経済発展前の時より度合いは低い気がしますし、他国との比較で言えば「差が無くなっている」と言う事は確かです。 アメ横の商店街の中で飲食業を行う店は今でも多いのですが、間口が狭いテイクアウト販売には、かなりの割合で外国人が入って来ています。 その理由は、立地としては確かに儲かる店の権利が貸し出されていて、権利を持つ日本人は時間の制約を無視して働く言うな事はしたくないので、自分は楽な仕事をして店の賃貸を副収入にしているからだそうです。 雇用者側としては良いも悪いもなく、「勤勉さ」には価値があると認識されていますが、一方で代替え可能なものという認識もあります。

noname#181693
質問者

お礼

コメントありがとうございます。

noname#184692
noname#184692
回答No.3

そりゃ勤勉が当り前の社会なら勤勉でいる状態が当り前なのですから…。 例えば電車が時間通りに来る。 日本は素晴らしいと海外でも称賛される例ですね。 ただ、これが一分でも遅れると文句を言われる。 これは時間通りに正確に電車が運行しているって状態が当り前だからです。 逆に言えば海外など電車が遅れてくるのが普通の国では一分くらいの遅れなら誰も文句は言わんでしょう。 こういうことなんだと思います。 どっちが良い社会なのかはわかりませんが、人に勤勉さを要求すれば自分にも要求される訳です。 海外からの旅行者が日本の行き届いた接客などのサービスに感動するって話は良く聞きます。 だけど、これは部外者である外国人旅行者だからです。 彼らは提供されるだけで、それを自らに要求される事は無い。 だけど、日本人は違う。 日本という社会の構成員だからです。 彼らだって日本のサービスは素晴らしいと思っているけど、自分がサービスする側になりたいとは思わないはずです。 自分は電車が5分くらいなら遅れても問題ない。 多少店員が横柄でも仕方ない…って社会の方が楽に感じますけどねぇ。 何か自分の首を絞めている気がするのです。 勤勉さと言うのは感謝があって初めて成り立つような気がしますね。 当然その勤勉さに対して対価が払われるべきでしょう。 これがなければ単に利用されるだけです。

noname#181693
質問者

お礼

「感謝」という点は,良い指摘だとおもいます。 コメントありがとうございます。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.2

自分で考え、取捨選択し、決断できる勤勉さ。 指示まち人間だからブラック企業に利用される隙が多いのだと思いますよ。

noname#181693
質問者

お礼

「自分で考え、取捨選択し、決断できる」 はたして,いまの日本社会において,そういう「要素」は必要とされているのでしょうか? 寄らば大樹の陰,ムラ社会的メンタリティのある日本社会においては,「決断」することよりも,「流される」ことのほうが重要であると思います。 コメントありがとうございます。

noname#194996
noname#194996
回答No.1

ブラック企業自体は犯罪的確信的限定的に雇用者を搾取するだけなので、行く先のことは何も考えてはいないと思いますが、 >いわゆる“ブラック企業”化する日本社会 こういうものが現実にあるとしたら、困ったことですね。日本人の勤勉さは「言説」でも「表象」でもなく、既に過去の幻影だと私は思っていますが、確かにブラック企業が日本人を壊してそうしてしまったともいえないこともないと思います。 >。「勤勉さ」とは,個人の自発的な行動や言動などによるものであると同時に,「尊重」されなければならないものであると 蟹工船の時代ではないのですから、当然のことでしょう。 ブラック企業化とは一面では小泉イズムによる若者総派遣社員化現象(計画?)ともいえるわけで、そういったものの見直しが日本人の勤勉さを取り戻すのには必要だと私も思います。もう手遅れかもしれませんが。

noname#181693
質問者

お礼

「経済構造の変貌」が,良くも悪くも日本社会に「影響」をもたらしたと考えることは,わかりやすいことだとおもいます。 考え方によっては,すでに日本社会は「ブラック企業化」したとみなされるかもしれません。それは,兵農分離のような,所得層の固定,といったものなのかもしれません。 コメントありがとうございます。

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