• ベストアンサー

江戸時代お寺の時刻通知の鐘について。

上記について、江戸時代は時刻を知らせるのに、鐘を突いて時間を知らせていましたが 時計の少ない時代に、どのようにして時間を計ったのでしょうか?。 歴史にくわしい方、教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.3

>江戸時代は時刻を知らせるのに、鐘を突いて時間を知らせていましたが 城鐘・寺院鐘とか、江戸の町では木戸番が柏子木を打って時刻を知らせていますね。 >時計の少ない時代に、どのようにして時間を計ったのでしょうか?。 時計(和時計)を持っている武家及び裕福な商人は、その時計を時刻を管理していたようです。 では、寺院は? 他にも回答がありますが、多くは「定香盤」で時刻を計っていました。 お香の燃え方(どこまで燃えた?)で、経過時間を計っていました。 お寺としては、お香の購入代金+人件費として「近隣住民から、4文前後を徴収」していた様です。 ※坊さんが担当するのでなく、専門職として別途雇った。 時刻は「全国共通でない」ので、弘前藩と鹿児島藩では「時差」があります。^^; 日の出が「明け六つ」。日の入りが「暮れ六つ」です。 じゃ、城郭・寺院が近く似ない場合はどうするの? 旅人は、日時計を持参して時刻を把握していました。 日時計が無い者は、大雑把です。 「西洋時辰儀定刻活測」(安政4年)によると・・・。 明るい星がちらほら見え、手の平の内で筋は見えないが太い筋が3筋ほど見える時は、明け六つ。 ※太い筋は、感情線・知能線・生命線などの事。 まぁ、「日の出と共に起き」「日の入りと共に寝る」のんびりした時代です。

daburu0903
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます。  時計の少ない時代はお香を焚いて時間を計ったのですね。  手のひらで時間を見る方法も有ったのですね。  ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (2)

  • daidou
  • ベストアンサー率29% (491/1687)
回答No.2

香時計というものがありました これは灰の上に抹香を載せて火を灯してそれが燃えた長さで時を図るというものです。 お寺で時計に使われたのは主に、これのようですね。 お寺でお香ですから違和感ありません。 「香時計」で検索をかけると色々と画像もあります。 また線香の形の物も有り、これは吉原あたりで客がいられる時間を図るのにも用いられたとか? 当然、江戸の粋を凝らしたものが作られたようです (一定の時間ごとに香の薫りが変わるとか) そもそも江戸時代は 日の出から日の入りまでの日中を6等分 日が沈んでから翌日日が昇るまでを6等分する 「不定時法」ですので、季節ごとに時間の長さが変わっていました。 それに対応できるよう、香時計でも抹香を敷く文様が工夫されていたようです

daburu0903
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございます、時計の少なかった時代は  お香を焚いて時間を計ったのですね、お香の燃える長さで  時間の経過がわかるのですね、芸者の花代金の計算と  同じような方法なのですね、参考になりました。  ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • mpascal
  • ベストアンサー率21% (1136/5195)
回答No.1

日本には、和時計というものがあったそうです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%99%82%E8%A8%88

daburu0903
質問者

お礼

 早速のご回答ありがとうございました。  和時計で時間を計ったのですね。  その他、お香を焚いて時間を計ったと言う  ご回答も頂きました、参考になりました。  ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 江戸時代お寺の時刻通知の鐘について。

    上記について、江戸時代のお寺は時刻を通知するために鐘を突いて知らせていましたが 暮れ六つとか七つとかの時間をどのようにして計ったのでしょうか?。 江戸時代は時計の数少ないと思いますので、どのように計算したのでしょうか?。 江戸時代の歴史にくわしい方教えてください。

  • 江戸時代 時の鐘について

    江戸時代、人々は時の鐘で時刻を知ったということですが、たとえば七つ半、午後五時にも時の鐘はならされたのでしょうか。ご存じの方がいらっしゃいましたらぜひお教えください。よろしくお願いします。

  • 江戸時代、時の鐘を打つタイミングは

    時計という時間を計るものがない時代は、日の出から日没の間で時間を割り振って時刻を決めていたといいます。 明け六つとか暮れ六つとか、いわゆる「時の鐘」というもので時間を共有していたことは分りますが、この時の鐘を打つタイミングはどのように決めていたのでしょうか。 水時計とか原始的な機械があれば別の話ですが、季節によって日の出の時刻が変わることを考えれば、太陽の動きが基準になると思われます。曇りや雨の日は判断が難しいでしょう。 具体的な判断方法を知りたいと思っています。

  • 江戸時代より前の時刻確認・管理方法

    皆さん、毎日、時計を見ながら生活していますよね。 でも、時計が一般的で無かった江戸時代やそれより前の人たちはどうやって時刻を知ったのでしょう? お寺の鐘の音? では、お寺の人はどうやって時間を知ったのでしょう? 江戸の様な大きな町や城下町では、お城に水時計があったかも知れません(これも間違いかも 知れません)。 でも、小さな村で、和尚さんが一人(?)しかいないようなお寺では? さっぱりイメージがわきません。 どなたか、ご存知の方がおられたら教えて下さい!!

  • 時の鐘について

    江戸時代 十二刻を鐘で知らせていましたが、たとえば「七ツ半」という時刻を知らせる鐘は打たれたのでしょうか? どなかたお教え下さい。

  • 江戸府内の時間「時の鐘」。

    これまでに度々類似の質問がありましたが、回答を読めば読むほど新たな疑問が出てきましたので、教えてください。 1.江戸市中に時を告げる「時の鐘」は、最初、石町3丁目に設置されています。鐘を撞くのは民間人ですが、時間を測るのは幕府のしかるべき役人で、その役人が打つ太鼓の音を聴いてから石町の「時の鐘」を撞いたのですか。つまり、大元は幕府(江戸城)ですか。 それとも「時の鐘」鐘楼内に日時計や漏刻のようなものがあったのですか。 2.石町に最初に設置されてから、上野、浅草など次々と「時の鐘」が増えていきましたが、お寺の鐘を利用するのではなく、「時の鐘」用の鐘と鐘楼を作ったのですか。 3.武士階級は、時刻を「六ッ時」のように鐘の鳴る回数で呼ぶのではなく、 「干支」で表した時刻を多用したのですか。 幕府の記録や武家の日記には、時刻を「数」で表したものも多々ありますが…。 よろしくお願いします。

  • 協会や寺の鐘を鳴らす時刻の元。

    時代によって違うでしょうが、昔寺や協会が何をたよりに時報を鳴らしていたのですか。日時計なら当然近時差は無視、曇りが続くとどうしたのでしょうかね。なお、江戸時代日本の時刻が夏と冬で違っていることは知ってます。

  • 江戸時代の時刻について

    江戸時代の時刻は四つから九つまでを使っていますが、なぜ、1ツ、2ツ、3ツは使われないのでしょうか?

  • 江戸時代の時刻表現について

    中学生時代に宮部みゆきさんの 時代物で時代小説、歴史物に目覚めました。 以後、平岩弓枝さん、池波正太郎さんを中心に 藤沢周平、山本周五郎、司馬遼太郎、柴田錬三郎、海音寺潮五郎等 読み漁っています。 それからずーっと気にはなっていたものの数年判らないまま 放置していた疑問があります。 江戸時代の時刻の呼び方(数え方)です。 いろいろ調べて、 ・江戸時代の暦は太陰暦である ・江戸時代の時刻は不定時法であり  春分や秋分(厳密には違うらしいですが)の一刻は約2時間となり  夏の昼間と冬の夜間は長くなり逆は短くなる。 ここまでは判りました その上での余計に混乱してしまった事を含めての質問です。 質問1: 「四つ」「暮れ六つどき」「明け六つ」等と言いますよね? これはどの時間を基準に「4つめ」「6つめ」なのですか? 質問2: 質問1の基準時間を教えて頂いたとして その基準自体の呼び方はどうなりますか? (たぶん0ゼロという考え方は当時無いと思うので・・・ 年齢の数え年と同じように基準時間自体が「一つどき」なのかな? 質問3: 不定時法の「いっこく」と、この数字式の「いっとき」は 別物ですか? 『お江戸日本橋「七つ」だち♪』の「七つ」が午前4時頃を 指すらしいのでたぶん違うのですよね? 質問4: 平岩弓枝さんの小説で初見でしたが 「六つ半」「四つ半」という言い方もあるようです。 この場合の「半」とは 時計の正(+)の方向へ「はんとき」ですか? それとも負(-)の方向へ「はんとき」ですか? 質問5: どうも「数字式の呼び方」は 時計の逆(負)方向へ加算される事はわかりましたが 「あけ」とか「よい」「くれ」の切り替え基準時間はどこになりますか? 質問6: 「初更」「二更」「三更」とは何時頃のことでしょうか? またこの時間表記は「四更」「五更」等もあるのでしょうか? 質問が大変多くて恐縮ですが、 かなりの資料に当たってみましたが 判らなくて困っています。 どうぞよろしくご教示下さいませ

  • 江戸時代あたりの 小規模な寺について

    今、江戸時代の事についていろいろ調べているのですが。。。江戸時代になると檀家制度が開始されて、寺が地域とピッタリくっついてしまったようですけど、そうなると地域によっては小さな寺しかない所とかありそうに思ったんですけど、どんな小さなお寺にも立派な御本尊だとか鐘があったんでしょうか? 大きな寺ならいっぱい資料があるのですが、いかんせん小さな寺となるとどうも資料が少なくて困っています。 質問のまとめ:昔(江戸時代あたり)の小さなお寺にも立派な御本尊や鐘があったんですか? そもそも、寺の建物自体もみんな立派な物だったのでしょうか?  回答どーーぞよろしくお願いします