何故私は他の誰かではなく、この人物なのか?

このQ&Aのポイント
  • 私が小学4生のとき、便所でふと気づいたというか、疑問に思っていたことがあります。これを他人に質問するのも、伝えるのはしんどいと、思っていましたが、最近解り易く説明してある文献を見つけましたので、ご質問させて頂きます。
  • 実際のところ、私たちは他の人とは異なる個別の存在であり、特別な経験を通して世界を見たり感じたりしています。私たちが他の誰かではなく、この人物なのかについて、なぜそうなのかという疑問が浮かびます。
  • 世界はある一つの体に中心化されており、他の体の存在はこの中心体である私たちにとっては一つの出来事でしかありません。しかし、この中心体が消滅することは、世界そのものの消滅であると言えます。なぜ私たちの存在は中心化され、特殊なあり方をしているのでしょうか?
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当たり前だけど不思議な疑問

 私が小学4生のとき、便所でふと気づいたというか、 疑問に思っていたことがあります。未だに詳しいことは解りません。 これを他人に質問するのも、伝えるのはしんどい と、思っていましたが、最近解り易く説明してある 文献を見つけましたので、ご質問させて頂きます。 是非、解る方、「こうだと思う」でもいいですので、教えてください。 (文献) 世界中に今現在 沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてき、 これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。 しかしそれにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか? (質問の説明) (1)これはあなたとあなたの友人4人が、  一緒に食事をしている場面を抽象化した図である 。  この図ではすべての人が同じ○で描かれている。(下図に続く...)  ○ ○ ○ ○ ○ (2)しかし実際のところ、上の図のようではなく、  事態はこの図のように描くのが適切なものとなっている。  つまり、5つの体の中で、ひとつの体(●)だけが、  特殊なあり方をしている。すなわち、その体についている  眼球だけを通して世界が見えている(他の眼球を通しては見えない)。  その体だけがつねられると痛い(他の体はつねられても痛くない)。  その体だけが動かそうとして動かせる(他の体は動かせない)。  (下図に続く...)  ● ○ ○ ○ ○ (3)さらに事態は、この図のように描くのがより適切なものとなっている。  つまり世界はある一つの体に中心化され、そこから開けている。  すなわち他のどの体(○)が消滅しても、それは「世界」(図中吹き出し)  内部の一つの出来事でしかない。しかしあるひとつの体(●)の消滅だけは、  「世界」内の出来事でなく、「世界」の消滅である。  なぜ事態は一番上の図のようではなく、この図のように、  ある特定の地点へと中心化された特殊なあり方を<現に>しているのか?  ( ○→○→●←○←○ )

質問者が選んだベストアンサー

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noname#215107
noname#215107
回答No.13

私も質問者さんと全く同じ疑問を持っています。 生命はなぜ存在するか。 偶然の積み重ねで出来た天然の機械である。仮にそう仮定すると以下の説明できない事象が浮かんできます。 なぜ、私は、その生命体の一種の人間で、世界を観察できるのか。 しかも、何十億の人間の中でよりによって、日本の一個人に私の意識が宿り、なぜその個人としてしか世界を知覚できないのか。という疑問です。 宇宙論の中で、人間原理という説がありますが、その中でも「強い人間原理」という説があります。 更にその中でも究極の考え方として、「観測者が存在しない宇宙は、宇宙そのものが存在しないのと同じことだ。」というものがあります。 私は、実は意識とは宇宙に一つしかなく、すべての個人すべての生命体にその一つの意識が順番に宿っているのではないか、と想像することもあります。最新宇宙論によると宇宙には時間軸、縦、横、高さの3次元+1次元だけではなく、11次元もの軸があるそうです。 もちろん、あなたと私は同じ時間軸上に同時に生きているわけなので、私があなたに生まれ変わるわけにはいきません。しかし、時間軸以外に第二の時間軸がある場合などを仮定すると、私は、あなたの人生を経験したことがあるのかもしれません。 そう考えるとご質問の(3)のパラドックスを説明できるかもしれません。 つまりすべての人、生命体は、全生命体の人生を経験しているのではないか、という個人的な説です。 夜考えるのはやめましょう。不眠になりそうです(笑)

hi-rinngu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >私も質問者さんと全く同じ疑問を持っています。  そういっていただいて、少し安心しました。 >時間軸以外に第二の時間軸がある場合などを仮定すると、私は、あなたの人生を経験したことがあるのかもしれません。  その時間軸ですが、実は無限に存在すると聞いたことがあります。しかも毎瞬、 毎瞬創り出されていると。。 そのことからしますと、概念的には説明がつくのですが、 何で今、俺なのかというところに戻ってしまいます。 >つまりすべての人、生命体は、全生命体の人生を経験しているのではないか、という個人的な説です。  究極たどれば、私達は一から分離したものであり、そもそも一つ しかも、すべての万物の一つという。俗に言うワンネスの状態ですね。  私達はそもそも神であるとも言えますね。実は、私もそう考えています。  ありがとうございました。

その他の回答 (23)

回答No.14

 ★(趣旨説明欄) ~~~~  (文献)  ・・・(省略)・・・  しかしそれにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?  ~~~~~~  ☆ この問いは 《しかしそれにも拘わらず》はいっさい関係なく ただただ      ★ なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?  と問うていると捉えます。そして答えは   (あ) そのように生まれて来ているから。  という自同律の内容になります。  すなわち この(あ)の内容としてはさらに   (い) ひとにはおのおの《自由意志》がある。   (う) 二人や三人があつまって たとえ何かを共謀したとしても 意志行為はそれぞれ《ひとりとしてのわたし》である。というふうに成っている。   (え) 他人(ひと)が歯が痛いと言っていても それをわたしは自分の経験をとおして推し測るのみである。というふうに成った身と心とで生まれて来ている。  というふうに自同律の中身についていろんな説明が繰り広げられるに過ぎない。と成っているようです。  すなわち   ★(表題) 当たり前だけど不思議な疑問  であることに成っています。  つまりは   (お) ひとは 不思議なナゾをもって生まれて来ている。  です。そういう存在なのでしょう。  ナゾの起点は 《わたしはわたしである》という自同律(自己同一性)ですが 着地点も同じくでありそのような堂々巡りで終わるということに成っているようです。    けれどももしこのように《わたしはわたしである》のなら――または《〈わたしはわたしである〉わたしがわたしする》ならば―― みな互いに対等でありこの平等を守りつつ自由である。  すなわちナゾゆえにひとは自由を得る。理論上と言いますか 潜在能力としてと言いますか 人と人とのあいだの自由が約束されている。そういう人生をそれぞれがあゆむことに成っているようです。  どうしてそのように成っているのか? どうなんでしょう。  そりゃあ丸儲けだと言って能天気になれるかどうか。  あるいは 自同律のナゾをとことん追究するか。  あるいは ・・・

hi-rinngu
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。 >すなわちナゾゆえにひとは自由を得る。理論上と言いますか 潜在能力としてと言いますか 人と人とのあいだの自由が約束されている。そういう人生をそれぞれがあゆむことに成っているようです。 確かにそうですね。瞑想したときに、そのように感じることがあります。 ただただ、永遠の自由、永遠の至福を感じることがあります。 ありがとうございました。

回答No.12

あなたの疑問の根底には、因果律=時間は過去から未来 へと流れ、その中間に意識は派生している、というものがある。 しかし最新の量子論的世界像において、認識することで有限な 存在性は生じている=自我仮説の補完として時空仮説は派生 する=全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源に まで遡った)補完だと言えるのです。 その「自我仮設(記憶=時間の流れ=過去=超光速)と時空仮説 (予測=空間の広がり=未来=光速下)の感受表面(量子相互作 用=光速=現在)からの相補分化という事は、先述の因果律で 言えば「現在から過去と未来に対発生している」という事です。 そうして、超弦理論において全ての存在性の根源とされる量子 性(プランク定数h)において相補分化すると同時に、その原理 的なプランク定数の変化=h(確率的広がり)の収束=物体収縮 =空間膨張(ビッグバン)を時系列化する事で、非本質的な時間 軸は派生しているのです(物理は時間性に対して独立)。 宇宙の膨張=不確定性(h)の収束という、異なる本質=異なる 認識可能性を一つの仮想軸(階層現象表面的な非光速性に 基づく時系列化)にするところに時間性は依拠し、過去の自分も 空間的広がりにおける他人も、不連続な認識可能性として等価 です。 宇宙は、別の認識可能性を自己同一視するという、ある種の 精神異常として発生し、実は他人も共通(自己存在の必要)で あるという愛に向かって進むと言えます。

hi-rinngu
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。 >全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源に まで遡った)補完だと言えるのです。 なるほど、すべては自分が作り出した仮想空間。 しかも、時間など最初から存在していないということ。 後はちょっと、理解するのに時間がかかりそうなので、 何回か読ませていただきます。 ありがとうございました。

  • o-sai
  • ベストアンサー率19% (199/1001)
回答No.11

知覚する脳にとっては「全てバーチャル」だからです。 光や触感は微細な電気信号に変換されて脳に送られて脳内で「感知する」ので、単に信号の集まり先が「自我」です。 空間の認知も時間の認知も、全てが電気信号の処理結果に過ぎません。 親子の深い絆も、捨てがたい恋愛感情も、世界も自己も、結局は全てがバーチャルです。

hi-rinngu
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 >光や触感は微細な電気信号に変換されて脳に送られて脳内で 「感知する」ので、単に信号の集まり先が「自我」です。  電気信号で感知しているだけで、自分が思っている現実はなく、  仮想空間で、体感だけはあるということでしょうか?  すべては自分の脳が作り出した産物であり、  最初から疑問に思うことも自分自身が作り出している幻想ということですね。     ありがとうございました。

noname#194289
noname#194289
回答No.10

いわゆる自我意識の起源のことでしょうね。やはり脳の構造の研究は一つの方法だろうと思います。でも人のなかでも一生自我意識のことを一度も考えないで過ごす人もかなりたくさんいるように思います。

hi-rinngu
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。 >一生自我意識のことを一度も考えないで過ごす人もかなりたくさんいるように思います。  そうですよね。私みたいな考えは10人に1人だそうです。  ありがとうございました。

  • Tefu_Tefu
  • ベストアンサー率27% (87/322)
回答No.9

こんばんは。 私の考えとしては 人間は遺伝子によりコピーされたものとする(完全に同じにはならない)ならば5つの場所のどの位置でもよいのだと思います。 同じ時空間に二つ以上の物体は同時に存在できないので その位置は 自然界の(重力 電磁磁力 弱い力 強い力)を受けて決定されるのではないかと思います。 人間は決定された時空間の環境を五感で認識することにより その位置(場所)に順応していくのだと思います。 たとえば 生まれたすぐの赤ん坊が取り違えられ 片方は裕福な家庭環境 片方は貧しい家庭環境で育てられるならば 人間の人生は変わるのかもしれませんね。 ただ 注意しなければならないことは この世界は全体で一つの時空間であり 我々は同じ場所に同時には存在できないので 全ての物体は密度や温度等により衝突したり 吸収されたりして 地球環境という時空間ではエントロピーが一定になるように変化していくのかもしれないと思いました。 

hi-rinngu
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 >この世界は全体で一つの時空間であり 我々は同じ場所に同時には存在できないので  とても興味深いお話です。  ありがとうございました。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.8

こんばんは。 多分、「認識が未熟だから」? (やはり、(1)の図が正しい?) あるいは、「認識が中途半端だから」 ((3)になってしまって哀しい、とか) 「個人主義」とは実は(1)のほうで、(3)はむしろ、「前近代」に近いのではないのか?

hi-rinngu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 すいません。ご回答、私には難しかったです。

  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.7

万物の創造主たる自覚に欠けているのでは? 生物も無生物も彼も私もすべて貴方が作った。 時間を作ったのも貴方じゃないですか。 貴方は自分を客観視することはできない なぜなら貴方がすなわち世界そのものなのだから 世界である貴方以外には「無」すら存在しない

hi-rinngu
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >万物の創造主たる自覚に欠けているのでは?     確かに。 >貴方は自分を客観視することはできない  貴方がすなわち世界そのものなのだから  なるほど、すばらしい言葉ですね。     ありがとうございました。  

  • pecory
  • ベストアンサー率23% (67/281)
回答No.6

そう思い込んでいるだけかもしれませんよ? 自分が消滅しても、自分の見えてる世界は消滅しないかもしれません。 仮説でしかないかもしれません。 先日同僚の方に、「この世で体験していることはすべて、予め決められたストーリーを見ているだけだ。映画のようなものだ。私たちは神様の人間ゲームのコマだ。」という考えがあることを教えられました。 なにが本当かなんて、わからないんですよきっと。

hi-rinngu
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  >自分が消滅しても、自分の見えてる世界は消滅しないかもしれません。 仮説でしかないかもしれません。  私もそう思います。その部分に関しては、不確定要素が多いですから、、、  死んだら世界が消滅するというのは、前後の意味をわかりやすくするための方便だと捉えています。  >この世で体験していることはすべて、予め決められたストーリーを見ているだけだ。映画のようなものだ。私たちは神様の人間ゲームのコマだ。」  私もその話は何回か聞かされています。  神様ゲームのコマという考え方はある意味そうかもしれませんね。 ありがとうございました。

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12476)
回答No.5

カメラのレンズ越しにしか世界は見えていない。 見えていない壁の向こうはいないも同然。 カメラ以外に肉体もあるが、感覚の届く範囲は大きくない。 知覚したものだけが存在し、他は想像でしかない。

hi-rinngu
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  >知覚したものだけが存在し、他は想像でしかない。    なるほど一理ありますね。

  • Nebusoku3
  • ベストアンサー率38% (1441/3774)
回答No.4

かなり難解なのでやめようかと思いましたがやめませんでした。 月並みですが 「我思う 故に 我あり」 と言う言葉があったと思います。 集団は 「我」 の集まりですが 図示化された ものを参照すると人間がものごごろついた時は (3)→(2)→(1) の順番では無いかと思います。 赤ちゃんから急に大人になる訳ではありません。 3)他の4人を友人ではなく兄弟と考えて下さい。 それが赤ちゃんの世界そのものです。 2)次に食べ物をめぐって争います。そこで自分の存在にうすうすと気がつきます。 1)食べ物が有限であることを理解し、分配が必要考えます。(その他大勢になります。) 0)更に安定を求め競争(淘汰)の世界へと飛び出します。 このことは動物である為、避けられない手順と思います。人は何故生まれて死んでいくのだろう の疑問にも通じるような気がします。 まとめとして: 貴方は貴方の体という乗り物を与えられ、それは1つにしか乗れません。それは決まりです。(多重人格と言うものもあるがそれは大勢が乗ってしまったものかもしれないですね) あるいは自分から選んで今の乗り物に乗っているのかもしれません。 もしかして抽選で当たったのかもしれません。 それは非常に確立の低い当選らしいので今の自分と乗り物を大事にして下さい。 と変なまとめをしてしまいましたがどうもご質問には答えていない様な気もします、それでは。

hi-rinngu
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  乗り物を大事にします。(^^  「我思う 故に 我あり」は深いですね。

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