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おれの目線の疑問

おれはおれの目線でしか世界、物事を楽しむことができないのが不思議です。 「それは他の人として存在してなくて おれという個体として生まれてきたから」と言われたらそれまでかもしれないですが、それでも絶対に他の誰でもなくおれという物体を通してでしか世界を楽しむことしかできないのは不思議です。 「おれの物体に完全に一致する魂みたいなものが物体にすんなりと拒絶反応とかなく入り込む必然なのか?」とか自分なりの答えを考えたりしてます。 何かこういうものを研究する学問の間で答えというか科学的に説明できるものは世に発表とかされてますか?詳しい人教えてください

みんなの回答

  • apple1963
  • ベストアンサー率47% (8/17)
回答No.3

>おれはおれの目線でしか世界、物事を楽しむことができない これは、逆です。<おれの目線>で<世界、物事を楽しむ>のではないのです。 <おれの目線>で眺めた<世界、物事>が別にあるのでない。<おれの目線>で眺められた<世界、物事>こそ、<おれ>なのです。<おれ>そのもの。 佛教に「唯識」と言う言葉があります。見る<おれ>がいて、見られる<世界・物事>があるのではなく、端的に「識」だけがある。そういう世界観です。 爾前の経々の心は、心より万法を生ず。譬へば心は大地のごとし、草木は万法のごとしと申す。法華経はしからず、心すなはち大地、大地則ち草木なり。爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし。法華経はしからず、月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。(日蓮「白米一俵御書」)

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6248/18626)
回答No.2

「我思う、故に我在り」は、デカルトが仏語の自著『方法序説』の中で提唱した有名な命題である。 全てについて疑うべし(De omnibus dubitandum。カール・マルクスの言葉)という方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識している我だけはその存在を疑い得ない。「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できない。―“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、ゆえに我あり)、とする命題である。コギト命題といわれることもある。哲学史を教える場合の一般的な説明によれば、デカルトはこれを哲学の第一原理に据え、方法的懐疑に付していた諸々の事柄を解消していった、とされる。 デカルト 1596年----1650年

  • toka
  • ベストアンサー率51% (1087/2101)
回答No.1

「おれの物体に完全に一致する魂みたいなもの」 先人たちの多くは、これを「自我」と名付け、名前を付けることによって客観的に解明しようとしてきました。  別に今すぐ特定の宗教やフロイトの心理学にあたれとは言いませんが、「自我」で検索をかけてみるだけでも、結構ヒントになるサイトがヒットするかも知れません。

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